ショート:肉じゃが
スーパーでふと新じゃがが目に留まった。小さめのじゃがいもが透明な袋いっぱいに入れられている姿は、なんとなく可愛く存在感があった。
今って新じゃがの季節なんだ。そんなことを思いながら、気づけばカゴに入れていた。
よし、今日は肉じゃがにしよう。
家庭的な人=得意料理が肉じゃが、という方程式が世間的にかなり浸透しているように思う。
わたしも例に漏れず、なのだろう。肉じゃがを作るとなったら不思議とノスタルジーな気持ちになった。
レシピサイトには鍋を使うよう書いてあったが、あいにくうちにはちょうどいいサイズの鍋がない。
まあ、フライパンでいいだろう。
そういえばうちの肉じゃがもフライパンで作られてたなあ。そんなことを考えながら、材料を投入、油をひいて火をつける。
フライパンをゆすると、まだまだ固い具材たちがころころと心地いい音を鳴らす。どこか懐かしさを感じた。
なんとなく難しいイメージがあったが、軽く炒めて煮るだけという行程の少なさに驚かされた。本当にカレーみたいなんだな、などと一人考える。
煮物は炒め物や焼き物と違い、ぼーっと考える時間がある。ぽこぽこ沸き立つフライパンを見ながら、思い出すのは実家の母のことだった。
自分を育てるため、おいしい食事を食べさせるため、こうやって毎日毎日キッチンに立ってくれていた。
ろくにお礼も言わなかったなあ。
自分は立派な大人になれているだろうか。親孝行や恩返しだってまだできてない。
身体悪くしてないかなあ。
もらってきた愛情に対する感謝と、同じくらいの後悔がぐるぐる頭をめぐった。
…あぶない。肉じゃが作ってて泣くところだった。
完成した肉じゃがは、甘じょっぱくて懐かしい味がした。
実家で作ったレシピとは違うはずだけどな。もしかすると世の中の肉じゃがはほとんどがこんな感じで、みんな同じ味を、自分の家庭の味と思いこんでいるのかもしれない。
そう考えるとちょっと不思議で、でもだったらみんな仲良くできそうだな、なんてほんわかしたことを考えたりもした。
こっくりした味だったがあっさりと完食してしまった。
それにしても、食べても懐かしいけれど、作っても懐かしいとは。
家庭料理の代表は伊達じゃないなあと思ったのだった。