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1.goes wrong life
人生には時折、ストンと『腑に落ちる』ということがある。
納得するということは本来『得度を納める』ということ。つまり『渡るを得る』、仏の教えに出会い彼岸(浄土・仏の国・悟りの世界)に『渡る』機会を『得られた』という意味で、悟りを求めて仏道の修行に入るこという。
スタートラインに立つ、チャンスを掴むということは、そこからしか物事が始まらない、という意味において、とても重要である。仏教や修行などと
2.over reward syndrome
なぜ?こうも人生がうまくいかないのか?
…ある。楽しいと感じることはある。やりたいことや欲しいと思うものもある。望みや願いや欲ならあるが、充実感や肯定感のようなもの、それが何かよくわからないが、
…ない。ワクワクしない、心踊らない、そもそも、血も湧かない肉も躍らない、ピクリくらい動く?いや、そんなの続かない。これが虚無というものか?この空しさの正体が知りたくて悶々と考察し、ひとつの仮説に辿り
3.fundamental problem
自分へのご褒美。自分で自分を褒める。自分を肯定し鼓舞して、更なる成長や飛躍を目指す。ポジティブで素晴らしいじゃないか…と、思う。
お祝いだってそう。楽しいことは多いにこしたことはない、自分のことだろうが他人のことだろうが、めでたい時には祝わなきゃ…って、思う。
それの何がいけないのか?
確かに、嫌なことや辛いことに立ち向かう努力を学ぶ方策として、我々が子供の時から施されてきたご褒美教育は秀
4.cause and effect
時と場、そして人。どのような条件下であっても通じることでなければ、真理とは呼べない。これは至極当然の理。
その意味からも、仏教に説かれる因果の規律は絶対的真理と呼べる。異を唱えられるものならやってみるとよい、必ず恥をかける。
物事の結果には全て原因がある。そして原因には業縁が必要となる。蒔かぬ種は生えぬ。そして種が実るには土も水も光も要る、世話や手間だってかかる。
十方三世を貫く
それが
5.true good seed
褒美にせよ祝いにせよ、自らに差し向けた報酬には欲がある。どんなに体裁を整えても、欲を貪る醜さを誤魔化して、自分にまで言い訳をして、騙くらかしているに過ぎない。
因果の規律に沿って考えれば、過剰な欲を満たす行為、貪欲は悪行。悪い種を撒き、それを貪り育てると、どうなるかは明白。
だって、頑張ったんだから良いじゃないか。めでたいのだから当然だろう。そんなに褒美や祝いが悪いことなのか?という素直な気
6.theory of relativity
因果に従い、善行を積む。善い種を蒔き、善く育てる。といっても、物事の善し悪しとは一体なんなのか?
良かれと思ってやっていたご褒美も、欲を貪るほどの行為なら悪行。この世界では、私が満たされるとするならば、それは誰かから奪い取るということ。私が喜ぶ時、誰かを悲しませ、私が怒る時、誰かを怯えさせ、私が哀しむ時、誰かが有頂天となり、私が楽しむ時、誰かを暗い気持ちにしているのかもしれない。
この世
7.good or bad
私たちにとっての善し悪しとは、行動理念であり、基準となる物差しなのだが、その特徴として、ひとつには『よく解らない』ということ。ふたつには『表裏一体』ということ。これを忘れてはならない。
何故なら、ヒトは自分の正義を貫く時、反対側にある正義を悪とみなす生き物。使い方を誤ると危険な代物がこの善し悪しという概念の正体だ。
『よく解らない』とは、どの立ち位置から物事を見るかによって変化があるというこ
8. no truth Paradox
前提として、うまくいかない。という感覚があるとしたら、それは何かの悪行・悪業が機縁となって作用している証拠。これは真理、因果の規律を逆説的に表現しているだけだが、となると、善い結果が実った時には、善い種が蒔かれ、善い育て方ができた。つまり善行ができたということになるのだから、善い結果そのものが、私たちが真の善行を把握するひとつの判断材料となる。
しかし、ここで注意せねばならないのが、自分にとっ
9.how to find things
どこを探せば求められるのか?
遥か昔、シルクロードを歩き天竺に教えを求めた僧もいた。
常なる真理はどうしたら得られるのか。事由が沢山あり過ぎるので、そこは適宜述べていくとして、先ずは是非とも
仏教を聞いて欲しい
と願うばかりである。あくまで学ぶ気もなく、他人事のように扱わない限りではあるが、少し噛って学ぶだけでも、感受性の強い者ならば、そこに説かれていることが、荒唐無稽なファンタジーでは
10.reincarnation
モノの善し悪しを仏教に訪ねる。
仏教は仏の教え、仏と成る為の教説。だから、仏と成れるか否かが善し悪しを決する条件となる。
では、善し悪しの前に、
仏に成るとはどういうこと
だろう。仏に成るということは、仏に成る前があるということ。仏教の流転輪廻という世界観では人間に生まれてこないと仏には成れないとされている。仏に成る前は人間。他の動物や植物では成れないとすると、人間と何が異なるのか?
11.six roads
六道とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・天・人の六つの道。
六道輪廻といった独特の世界観は、仏教に免疫のない人にとって、非現実的な精神世界の話にしか感じられないかもしれない。しかし、私は次のように考えている。
地獄は苦しみだけの世界。餓鬼は欲貪る世界。畜生は意味知らぬ世界。修羅は争い奪う世界。天は最高の世界。これに人を加えた無常の世界が六道。私たちの命は生まれかわり死にかわり、この六つを繰り返す。
12.between people
この苦悩の世界、無常の世界を解脱する存在が仏であり、その前段階としてのヒト。
生命体としてのヒトの命の本質は、紛れもなく動物である。ヒト同士の集団、世の間にあって人間と表されるが、基本的にはヒト科の動物、つまりは畜生。それが鬼になったり、神になったりして、苦悩の世界で蠢いて、やがて死ぬ。
ヒトが人間になるということは、人の間があるということ。間があるとは、つまり限定的な時間がそこにあって、
13.surreal practice
ヒト科の動物として生まれたこの命が、ヒトの間に目指す先ができて、初めて人間としての命を生きる地点に立つ。ここに立たない限り、永遠に留まることのない、無常の苦悩の世界を繰り返し抜け出ることができない。だからその苦悩を解脱することができる唯一の存在である仏と成る為に説かれた仏教という真実真理に基づき、そこに説かれる善悪を基準とするしかない。何故なら人間の視点には偏りがあり、常に煩悩に操られ、正しい判
もっとみる14.you'll know if you do
仏道修行の具体的なものとして、六つの善行を修める『六波羅蜜(六度万行)』というものがあり、仏教を普く弘められたお釈迦様が、説き尽くされた多くの善行(万行)を、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧、の六つに纏められている。
便利な時代、時間を超え、場所を隔て、わざわざ教えを乞うような苦労もなく、知りたいことは大体のことが調べられるようになっている。この『六波羅蜜』についても沢山の情報が溢れているの