8. no truth Paradox
前提として、うまくいかない。という感覚があるとしたら、それは何かの悪行・悪業が機縁となって作用している証拠。これは真理、因果の規律を逆説的に表現しているだけだが、となると、善い結果が実った時には、善い種が蒔かれ、善い育て方ができた。つまり善行ができたということになるのだから、善い結果そのものが、私たちが真の善行を把握するひとつの判断材料となる。
しかし、ここで注意せねばならないのが、自分にとって都合が良い結果ではなく、真の善い結果とは何か、という問題。
私たちには善い行いが解らないのではなくて、善し悪しそのものがよく解らない。だから善い結果だって真には解らない。
ここで理解できるのは、よく解らないと表現している我々の感覚の正体は、
私たちには真がない
ということ。十方三世貫く真理を、私たちは何も持ち合わせていない。という無常の証明である。
しかしながら、無いなら探し求めるより他ない。
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