5.true good seed

 褒美にせよ祝いにせよ、自らに差し向けた報酬には欲がある。どんなに体裁を整えても、欲を貪る醜さを誤魔化して、自分にまで言い訳をして、騙くらかしているに過ぎない。
 因果の規律に沿って考えれば、過剰な欲を満たす行為、貪欲は悪行。悪い種を撒き、それを貪り育てると、どうなるかは明白。
 だって、頑張ったんだから良いじゃないか。めでたいのだから当然だろう。そんなに褒美や祝いが悪いことなのか?という素直な気持ちに水を差すつもりはないが、そういう無駄な正当化が、自分自身に実った悪い結果を、素直に観察する眼を濁らせ、『なにかうまくいかない』という漠然とした不満感や虚無感が生まれる。
 では、どうすれば良いのか?それは、

どうすれば善い種が蒔けるのか?


という問いとなる。
 根本に翻り、褒美や祝いは他者からの評価や厚意でしかない。となると、それが収穫できるよう、我が身を育てることが、善行と言えるのではないだろうか。

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