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自分を責めてしまう考え方💭💭💭

先月、『「悪い私」はいない』という、内的家族システムによる全体性の回復を目指す内容の書籍を読みました。
たくさんワークも入っているのですが、ワークを通して母親代わりを務めてくれていたパーツが自分のなかにいることに気付けたのが新鮮でした😳
今後、自分でワークを作るときにも活躍しそうな本です!📚

ところが、一つひっかかっている内容があります。
それがこちらです↓

パーツたちとの信頼を得るのはしばしば難しいことがあります。彼らが重荷を背負っているということは、過去にあなたが彼らを守れなかったことを示唆しています。あなたは彼らを閉じ込めたり、または彼らの極端な防衛的な役割に依存し、彼らを利用した可能性があるため、彼らにはあなたを信頼しない十分な理由があるのです。

この解釈のしかただと、わたしは自分を責めてしまうなって思います。
今はかなりトラウマや心の傷から回復しているので、自分を責める声に自覚的でいられますが、回復しきっていない時期に読んだら、自分を責める材料にしそうです😵‍💫

回復している状態なら自分軸で生きるためのひとつの解釈として有効だと思います。
トラウマや心の傷は心が分離している状態で、統合していくことで癒しが起こります。
統合していくために、自分自身(セルフ)自分の内面の間に信頼関係を回復していくことが必要であり、それは自分の心持ちしだいで可能である、と捉えられたら大きな助けとなるでしょう。

しかし傷がむき出しの間は、もう少しやさしい、守りに入った解釈をしてよいと思います☺️
わたしはコーチにこう教わりました。
(わたしがお世話になったコーチはティーチングもしている方で、一般的にコーチはなにかを指導することはありません)


人間はストレスに対処するために、回避行動をとる。
回避行動は、他者を攻撃する、自分を攻撃する、自分を高めようとする(克服行為)など、人によって傾向があったり、選ぶ手段やそこにあるストーリーがひとそれぞれにある。

大抵の場合、回避行為は子どもの頃に、生きる手段・自分を守る手段として学習し、それを強化して大人になる。
強すぎると生きづらいし、大人になったら子どもの頃の生き方が合わなくなってくる。
だから不本意な現実を繰り返し体験する。

今の自分に合わなくなってしまったし、生きづらくて辛いけど、そうするしかなかった子ども時代があって、できることで一生懸命自分を守ってきた。
自分を守ろうと体が懸命になっていることは素晴らしいことなんだよ。
そして、あなたはその縛りから解放されて、自分を生きていいんだよ。

かのこのさん

「あなたはパーツからの信頼を裏切った」と言われるより「十分頑張ってきた、そうするしかなかったよね」と言われる方が遥かに受け取りやすいです。
頑張っても報われなかったからこそ傷ついていて、まずはそこに焦点を当ててもらえることが救いになりました。

ほんとにね、子どもなりに一生懸命、家族を繋ぎとめるために頑張ってきたんです。
あなたもきっと、なにかのために我慢したり、頑張ったりを重ねてたんじゃないでしょうか?

自分がどんなことを頑張ってきたのかを自分の言葉で語り、今までの頑張りが報われなかった悲しみや虚しさ、怒りをありありと感じる。
感じるの世界に入っていくことで不思議とどんどん癒されていくんです。

自分を責める気持ちにコントロールされない生き方を選んでいくのは怖かったですが、こちらに進んでよかったと心から思います🌳✨



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