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お金と愛の循環について学んでいます〈受け取る編〉

本の紹介

『お金の不安や恐れから自由になる!』という本を読みました。
この本は一般的なお金への不安の克服方である「収入を増やそう」「節約しよう」ということは一言も書いてありません。
じゃあなにが書いてあるのかというと、お金を循環するエネルギーと捉え、受け取る、与える、求めるの3つの要素で循環させていくふプロセスについて解説されています😳♻️
そして、この循環はお金の話だけに留まらないよね〜というお話です💐

受け取るにしても、与えるにしても、求めるにしても、必ず我々は心理的抵抗を持っているんですよね。
例えば受け取るでは「このお金を受け取る価値が私にあるんだろうか?」「自分で稼げるようになったら愛されない」など人によって様々な不安・恐れがあります。

恐れがあると自分自身から乖離してしまい、乖離した状態では豊かな人生も富も愛も遠ざかってしまうのだそうです。(分離の人生)
この循環がスムーズに回れば、お金や不安に翻弄されずに喜びや豊かさを感じながら自由に生きられると筆者はいっています。

受け取る、与える、求めるについて詳しくまとめていきます🫶🏻
どえらく長くなるので、この記事は受け取る編にします~!

正直、まとめるのめちゃくちゃ難しい内容だなって思っているので分かりにくかったらごめんなさい!!
もし質問とか、ここもっと詳しくっていう所があったらコメントやXのDMで教えてください🙇🏻‍♀️
わたしにとっても勉強になるのでお待ちしております💌

受け取る

「受け取る」が難しいのはなぜ?

「受け取る」とは、自分とつながること。
「自分は愛されていい」という許しが必要。
「わたしは大きな流れ、循環のなかにいる存在であり、常にあらゆるものを受け取っている」を感じれることが必要。

「受け取る」が基本であり、一番大事🫶🏻
これができないと「与える」と「求める」に進んでいけないのだそうです。

ところがわたしたち人間は生存本能として、「受け取る」を拒否したり、自分に禁止する力がかなり強く働いています。
そのため「受け取っている」という感覚を感じにくいという性質があります🤔
「こんなこと言ったら嫌われちゃう」「相手のニーズを満たさないと存在してはならない・愛されない」とかね……

自己愛が欠損したところから、何か人に与えようとする、という行為は、恐れが動力源になっています。「ありのままで愛されないんじゃないか?」という恐れが、貢献や奉仕的な行動を作り出しているということです。自分は「いいことをしている」と思っているし、人が自分のところに集まってきたり、喜んでもらえたりするから、それが報酬になってしまうのです。でもその奥では「ありのまま愛されないけど、何か人の価値になることを与えることでつながりがつくれる、関係性を維持できる」という取引が成立している。

『お金の不安や恐れから自由になる!』より

△心辺りありすぎてぐさり

自己犠牲や自己抑圧ばかりしてきた私たちは、自分を満たすことがとにかく苦手です。満たすというのは自分をご機嫌にし、快適にしましょうということではなく、自分の中にあるものをあるがまま認めることです。満たされていない状態で、人になにかをやってあげようとするのはやめたほうがいいですよ、本当に。(中略)
「誰かに承認してほしい」という欲求があるときは、自己承認に失敗していると思った方がいいのです。

『お金の不安や恐れから自由になる!』より


「嫌われちゃう、愛されない、だから完璧でいなきゃ、相手に言いなりにならなきゃ」というように、不安や恐れを克服しようと我々は行動しているんです😌
不安や恐れによる克服行為が他者に向く人もいれば、自分に向く人もいますね。

この状態で生きていると「これをやったから相手はこれを返してくれるはず」とか「こんなことしてもらえる価値が自分にあるとは思えない」など、価値を天秤にかけた取り引きになるんです。
本書で目指しているのは循環。

なぜ克服行為をするのかといったら、ほんとうは嫌われたくないし、悲しみや痛みをもう感じないため。
でも、今までの人生で、嫌われてしまったり、傷つく言葉を投げられたり、受け止めてもらえない出来事を経験してきましたよね。
「嫌われちゃう、愛されない」という悲しみや痛みをもう感じないために必一生懸命頑張ってきましたよね。

受け取る(自己愛)をブロックする信念の例

・自分はありのままでは愛されない
・自分には愛される価値がない
・期待に応えなければ愛されない
・愛されるためには役に立たないといけない
・与えられたら返さないといけない
・愛されたらコントロールされる/支配される
・愛されたいなら我慢しないといけない
・自分は与えられない

『お金の不安や恐れから自由になる!』より

心にヒットする信念はありますか?
わたしは、期待に応えなければ愛されない、愛されたら支配される、愛されたいなら我慢しないといけない、あたりが強くあるな~と感じます。

ブロックはひとつだけではありませんが、わたしの場合は「期待に応える、他者のニーズを満たす」が根っこに強くなるな〜って思います🌳

本心を認めてもいい。でもそこには恐れがあるよね。

わたしは人との繋がりが希薄な幼少期を過ごしました。
本当は人との繋がりを感じたいのに、それを望んでも誰も与えてくれないから「わたしは一人で生きていかなければならない、人を頼ってはならない」という分離の人生を生きてきました。

一番欲しいのは人との繋がりなのに、それを得られなかったときの痛みが強すぎて、人との繋がりを感じるのが本当に怖かったです。
「どうせ裏切られる、どうせいなくなるんでしょ」っていう感じ。

だからなるべく他者とは距離を置いて、深く関わらないようにしていました。
ずっと寂しいし、孤独感が辛いし、毎日泣いて、でも人前では「わたしは独りでも平気、独りが好き」と平気な振りをしていました。
なにをしても満たされることがないし、未来に希望を感じられませんでした。

わたしが自分の心をなにひとつ受け取れていなかったのが伝わりますか?🤔
分離の人生を生きていた時は自分が「人との繋がりを感じたい」と思っているなんて全く信じていませんでした。
コーチングを受けはじめて、「人とのつながりを感じたい」と思っていることを自分で認めたのですが、もう、自分の全てが崩壊したような気分で放心しました。

だって「人との繋がりはない、わたしは独りだ」って今まで自分を守っていたのに、それが自分が苦しんでいた原因だって知ってしまって、ならこれからどう生きていけばいいの?って。
本心を認めることって、今までの生き方やアイデンティティを失う可能性を秘めているので、恐ろしくて当然なんですよね。

こういう原理で生きている人ってまだまだたくさんいると思いますし、動力源が全部これになってしまうんです🫠

痛みは「大人になった今なら自分の力で無条件の愛を体験できるよ」と自分の内側が知らせているんです。ところが残念なことに、ほとんどの人間はその声を無視します。そして「それが欲しいわけではない」「それは愛ではない」と、人の愛情表現を拒絶する条件付きの愛を生きている。これが典型的な傷ついている幼児性で、愛に関して大半の大人がこういう世界に住んでいます。だからパートナーシップや恋愛関係がもつれてしまうんです。

『お金の不安や恐れから自由になる!』より

この恐れも受け取っていこう

「本当は人との繋がりを感じたい」「本当は誰かに頼りたい、助けて欲しい」「否定されたくない」「ありのままで受け入れられたい」「寂しい」
こういった気持ちを受け入れていくのは本当に苦痛でした(笑)
本心で生きていくのは、意志の力なんです。

でも意思の力で生きていこうとすると、分離の人生を生んでいる生存本能が抵抗してくるんです。
「繋がりなんであるわけない」「頼れる人なんかいない、誰も助けてくれない、自分を救えるのは自分だけ」「わたしは絶対否定される」という具合に、かな~り強く抵抗してきます!

意思と生存本能を行ったり来たりしながら、ありのままの自分を感じていきます。
あるものがただあっていい、と自分に承認していくんです。

本当は人と繋がりを感じたい。
でも繋がりを信じるのが怖いと思っている自分がいる。
それはこういう経験があって傷ついてきたから。
本当はこうしてほしかった、こんなこと言われたくなかった。
またおんなじような出来事が起こるんじゃないかって不安。
こういう経験から自己否定感を強く持つようになった。
他者のニーズを満たさないと価値がない、と思っていた。
こういうふうに自分を守ってきた。
けどその守り方が合わなくなってきていて、自分を苦しめていることに気付いた。
この先、どう生きたらいいか分からないから、まだ苦しみを手放したくない。

わたしはこんな感じで、二年くらい反芻して取り組んできました。
(これはあくまでわたしのやりかたで、きっと人によって適切な進み方があると思っています)

もうね、やっと進んだ!と思っても、ちょっとしたことで生存本能の力にひき戻されて落ち込んだりして、この過程が本当にしんどかったです!!
自分でやるとどうしても生存本能に依ってしまうから、コーチにきっちり軸を握ってもらっていました。
だからわたしは、コーチングを受けるたびに大きなダメージを負っていました。
あとはフォーカシングの本を読んだことも役立ちました。

自分の本心を受け取れるようになってから

自分の内側を十分に感じて、あるものがあっていい、という感覚が掴めるようになってきました。
人と一緒にいたいと素直に思えるようになったり、わたしも愛されて守られたいんだって認められるようになりました。
どんどんnoteも書けるようになったし、人と話すことに抵抗感もなくなって、自分としてふるまえるようになってきたと実感しています。
自己愛が回復しているんですね!🫶🏻

家族や友達、職場の人、自分自身からたくさんのものを受け取っていると感じます。
noteでの発信に反応をもらえることも、わたしが受け取っているもののひとつです。読んでくださってありがとうございます!

分離の人生を生きていたころは「他人にどう思われているか」という不安ばかりが気になって、自分が受け取っているものに気付けませんでした。
だからきっと、見落としてきたものがたくさんあるのだと思います。

わたしはまだ道のりの途中で、これからもっともっと受け取れる量が増えていくのだと思うとワクワクします♪
「受け取る」がある程度つかめると、与えると求めるが自然と沸き起こってくるの、すごく納得しています。

長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました!
数日後に与える編もお届けできるように準備します✊🏻
わたしが刺さった部分や経験を引っ張って書いているので、気になったかたはぜひ本を手に取ってみてください☺️🍃


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