記事一覧
結婚記念日に離婚届不受理申出を提出した男の叫び 前編
僕は4年前、コロナ禍真っただ中の2020年8月29日に結婚した。
3日前に先に長男が生まれてしまい、バタバタのおめでた婚だった。
翌年、2021年6月には35年ローンで一軒家も購入した。
2022年7月には二人目の子供が生まれ、雇われ社長も辞めて独立した。
全てがうまくいっていて、誰もが羨む幸せがそこにあった。
…そして今日、僕は前日に嫁に子供を連れて出て行かれ、離婚を阻止すべく離婚届不受理申出
クライアント2社から契約解除され、事業が丸ごと吹き飛んだ話
以前、「求人掲載獲得の営業でボロ儲けしすぎてクライアントから業務を打ち切られた話」という記事を書きました。
この記事の本編にもあるように、実はこの話には続きがあり、
クライアントからの業務打ち切りを皮切りに長いハードシングスに入ることとなりました。
当時21歳の僕はまだチームリーダー程度の役職者でしたが、「売上が立たず、日々コストを垂れ流し、社員が次々辞めていき、倒産の危機に瀕する」という状況に
通信業界最後のバブル「Wi-Fi営業」で儲けた話
えー、じゃあ、ぞす!
2016年夏〜2016年末にかけてやっていた事業についてお話しします。
これは某JTC通信企業が当時新たにローンチした事業者向けWi-Fiサービスの営業代行で、
当時、高額の販売手数料が設定され、多くの代理店が群れをなして営業に奔走していました。
※2016-2020年頃までこの営業電話が主に飲食店を中心に頻発し、なかには契約トラブルに発展した事例もあります。後述します。
光の営業テクニック「客先業連」
えー、じゃあ、ぞす!
間もなく4月ということで、入社シーズンですね。
今日は僕から入社を控えたビジネスパーソンへ、
伝説の営業会社・光通信直伝の訪問営業テクニック、「客先業連」の話をしたいと思います。
2016年の夏頃、まだサラリーマンだった僕は元光通信出身の方が起業されたベンチャー企業で、部下を数名連れて出向のような形で2ヶ月間働かせてもらいました。(業界用語でインハウスといいます、場所を間
会社をクビになりかけた僕が信頼回復のためにやったこと
前回の有料記事で書いた通り、僕は10年ほど前、
正社員になって4ヶ月でひょんなことから逮捕され、
会社をクビになりかけました。(結果、減給と異動で済んだ)
今日はそんな僕が最短で信頼回復をするためにやったことを書きます。
今回は無料記事なので、色んな方の参考になれば幸いです。
前提
まず、僕が異動したのは当時立ち上がったばかりだった求人媒体掲載獲得の部署で、
当時は部長1人、古株バイト責任者1
社会人になって4ヶ月で逮捕された話
「それであきる野に所ジョージのガレージがあって、そこで写真撮ったりしてたら職質されてさ、そのままパクられたってワケ。」
2015年8月末日。
僕は警察署の留置場で、やや呂律の回っていない薬物中毒のおじさんの与太話を聞いていた。
正社員になり、華々しく営業マンとしての道を進み始めた僕は、それからわずか4ヶ月で逮捕され、
それまでの人生で一番のどん底に叩き落とされていたのだった。
※前回のお話は
純文学としての「リアル」あるいは「サグ」—REAL-T試論ー
REAL-Tというラッパーがいる。
2020年9月に生命身体加害略取、逮捕監禁、傷害の疑いで逮捕起訴され、
現在服役中の男だ。
冒頭からショッキングな出だしとなってしまったが、ご容赦いただきたい。
何故なら、この男は人生そのものが「リアル」そして「サグ」だからだ。
完全に触れてはいけないレベルの言葉が立ち並ぶ歌詞だが、筆者はこのラッパーが好きだ。
前回、前々回で触れたRYKEYやバダサイよりも好
非正規から正社員になり、半年の研修期間を特例で1ヶ月で終わらせてやった話
「そろそろ新幹線乗る!いってくるね!」
2015年3月、東京駅。
僕は上越新幹線のホームで、当時付き合っていた彼女にLINEを送っていた。
一介のアルバイトとして入社してから約1年。
僕は、4月から生まれて初めて正社員になることが決まったのだった。
前回までのあらすじ
役者業のかたわらテレアポのバイトを始めた鈴木聡一郎(そうみ)は、訪問営業に転身し才能を開花させた。
役者を引退し営業マンと
テレアポ成績ビリだった僕が訪問営業で下剋上した話
「今月から出勤規制をかけます。営業成績がワースト3位以下のアルバイトの子達は月末の一週間シフトに入れません。」
2014年8月。
K部長は朝礼で保険事業部の従業員達にこう宣告した。
顔は疲れ切り、ポマードで固めていたはずの髪はいつからかノーセットのボサボサヘアーに変わっていた。
肌はかろうじて黒さを保ってはいたが、3ヶ月前に目撃した時の溢れ出る勢いは完全に蒸発していた。
保険事業部と、そして僕
中卒、大学生になるーアカデミアへの「不法滞在」を目指してー
僕は2011年3月、ちょうど東日本大震災の前後に高校を辞めた。
都内にある偏差値40程度の私立高校で、推薦入試で金を積めば誰でも入れる学校だった。
内申点が21程度しかなく、テスト勉強も"した記憶がない"自分にとっては、
適当な作文と面接だけで不毛な受験戦争を乗り切れるということで願ったり叶ったりだった。
しかし、度重なる停学や教師とのトラブル、同級生達の頭の空っぽさ(自分も空っぽだったのだが)