マガジンのカバー画像

短編小説

64
運営しているクリエイター

#短編

【短編小説】夜のあお

【短編小説】夜のあお

最近息子が、夜空に浮かぶ星を「人」だと思っていたことが判明した。

「あーお、あーお」

最近やっと立ち上がることを覚えた一人息子と、夫と、よく夜に散歩する。そんな時に息子が、よく空を見上げて言っている言葉だった。

「ねえ、もしかして蒼って言ってる?」

はじめに気が付いたのは夫だった。

夫が発した言葉に最初困惑したけれど、すぐに『夫の弟』のことだと分かって首肯する。息子のぷにぷにした息遣いが

もっとみる
【短編小説】なんで私じゃなかったの

【短編小説】なんで私じゃなかったの

急に誰かのことを思い出す瞬間がある。

それはいつだって突然で、衝撃を伴うものだった。一瞬何が起こったか分からなくて思考が止まる。そのあと何秒かして、ああ、と地面に膝をつくような諦念が生まれる。

後悔やあきらめが脳の裏側いっぱいに広がるのは、思いだすのが、いつも戻れない過去だからだ。やり直せないって、どうしてこんなにしんどいんだろうか。

この時思い出したのは、姉との思い出だった。

姉は5年前

もっとみる
【短編小説】寝付けない夕暮れ

【短編小説】寝付けない夕暮れ

「休めない日」に体調を崩してしまった。
40度近く熱が出て、ひいひい言いながら病院に行ったのが朝だった。つい数年間まで実家で暮らしていて、家には常に母と、まんまるなポメラニアンがいた。ちょっとしんどいと言えば、車でぴゅんと病院に連れて行ってもらえていた。一人暮らしを始めた今はそれが、ありがたかったことだと実感している。
職場に連絡した時、上司は優しかった。「疲れが出たね。ゆっくりしなよ。こっちでや

もっとみる
【短編小説】つきぬける晴天がほしい

【短編小説】つきぬける晴天がほしい

雨が降ってきてしまった。
正月が終わって、日常が始まったと思った途端にこの土砂降りだ。雪じゃないだけまだましなんだろうけど、それにしても億劫だ。もしかしたら、雪の方がいろんな交通機関も止まってくれて、行かない言い訳になってくれたかもしれない。そう思いついてしまうとさらに身体が重くなった。もっとも、自家用車で通勤している自分には長い渋滞に辟易している姿の方が想像しやすかった。スタッドレスに変えていな

もっとみる
【短編小説】言葉と待ち合わせ

【短編小説】言葉と待ち合わせ

そのブックカフェは、想像よりも緑に囲まれていた。わたしは入った瞬間、思わずおお、と呟いていた。圧倒される。パキラやオリーブなどが、大きな鉢で床に直置きされていて、天井からはいくつものハンギングポットが吊るされている。名前がわからないのもあるなぁと思いながら近づくと、丁寧に小ぶりのプレートが付いていた。「グリーンネックレス」「アイビー」「コウモリラン」…
フェイクグリーンかと思ったけれど、ちゃんと爽

もっとみる
【短編小説】きれいすぎる

【短編小説】きれいすぎる

偽善とかそんなふうに言うつもりはないけど、それにしても、きれいすぎる、とマチは思う。
祝日の図書館、カウンターの内側に立って、書架をわかめみたいにウロウロしている人たちを見ながら、やっぱ、そうなんだよなぁ。と頷く。

きゅうにこんな思考回路に陥ったのは、マチの視線に入る場所で、他の司書が、側面展示を作っているからだった。

司書は、印刷してきたばかりのポスターを大切そうに貼っていた。展示は、職員が

もっとみる
【短編小説】1人なのは1人だけじゃない

【短編小説】1人なのは1人だけじゃない

12月が来てしまった。
つい何週間か前まで半袖だったような気がするのに。電車の中でため息をつく。澄んだ空気が世界を支配するはずの朝、大勢の人で敷き詰められた車両の中は息苦しく、ほぼ大多数の人間がスマートフォンをいじっている。空気が少ない。濁った川のように淀んでいる。スマホを触っていない自分からすれば、何をそんなに一生懸命、確認することがあるんだろうかと思うが、最初はぼーっと見ているうちに、だんだん

もっとみる
【短編小説】くだらない軋み

【短編小説】くだらない軋み

自分が気にしすぎただけなんだろうか?

「ごめん、今日遅くなる」

さっき妻から来た連絡だった。たった1行のその文章が、自分を小さく包み込んで、突き放す。脱力感が体を襲う。どうでもよくなってしまう。今日が記念日だということも。リビングにある、丸い3人座れるテーブルには、今できたばかりのパスタがあった。ひき肉とトマト缶を買ってきて、ソースを作った。湯気が出ている。幸せの象徴みたいだった。今からこの湯

もっとみる
【短編小説】赤ちゃんとパン

【短編小説】赤ちゃんとパン

赤ちゃんの手とパンを並べて写真を撮る、というのを、一度はやってみたかった。

午前3時20分という、人によって朝なのか夜なのか、そんな秒針あったっけ?なのか、感覚がくるっと変わる時間。我が愛娘はやっとすんなり眠ってくれていた。夫は夜勤で、家には私と赤ちゃん、母と娘の二人しかいない。
半日前に夫がスーパーで購入してくれた「やさいパン」を、そっと取り出してくる。
そこまでは良かった。

シャッター音が

もっとみる
【短編小説】弱いとかじゃないよ

【短編小説】弱いとかじゃないよ

「弱いとかじゃないよ」

ひとしきり私が話して、沈黙がバスの停留所のようにやってきた所で、堀田さんがそう呟いた。独り言のようにも聞こえたけど、私が黙って堀田さんを眺めているともう一度同じことを言われたので、やっと私に話しかけていた事に気がついたふりをする。

飼っていた金魚が死んだ。

私が昔々に地元の祭りの出店でとってきた金魚だった。

最初、朝起きて、いつも通り鉢の中を眺めようと横から見た。な

もっとみる
【短編小説】挨拶せえ

【短編小説】挨拶せえ

個人の居酒屋だから、コンビニやスーパーよりもいい加減かもしれないと思いながら一週間前眺めた、入口のポスターを思い出す。あの時引き返していればと今警鐘を鳴らしても仕方なかった。

「まず、だれか入ってきたら口の端をぐっと上に上げる!で、いらっしゃいませエ!」

はい、と言ったつもりだったけれど、返事は?と聞かれたので腑に落ちないままもう一度はい、と言った。店主のさみしい頭が、きらきらと光っている。ち

もっとみる
【短編小説】お久しぶりです恋人さん

【短編小説】お久しぶりです恋人さん

手を繋ぎたいです、と急に言われて、最初は分からなかった身体が、首の付け根からぐぐぐーっと熱くなって反応する。

「なに、きゅうに」

自分でもどんな顔をしているかわからないまま聞くと、

「たまにはいいでしょ」

と表情を変えずに返された。

指をからめることなく、握手みたいにしっかりと手を繋ぐ。
そのまま土手沿いを歩くと、ちらほらとスーツ姿で自転車をこぐサラリーマンや、大きなスポーツバッグを持っ

もっとみる
【短編小説】のぞく

【短編小説】のぞく

目に入ったのは本当にたまたまだった。電車で偶然隣だった初老の男性が、スマホを開いていた。車両が全部埋まるくらいの混み具合だったので、肩が触れるのは仕方のないことだ。むしろ座ることができない混み具合のなか、こうして席に座ることができたのはありがたいくらいだった。

メモ帳らしきアプリに入れている文字を、改めて打つでもなく、男性は眺めていた。自分は背もたれにしっかりもたれて、男性はスマホを胸の前に置い

もっとみる
【短編小説】翼をくれよ

【短編小説】翼をくれよ

ピアノの旋律が美しくはじまりを奏でる。

興味がなくて半開きのままの目をなんとか閉じないように気をつけながら、口を開く。

「今私の願い事が叶うならば、翼が欲しい…」

歌に乗せると無くなる違和感は、文字で考えると、やけにわがままに、俺には映る。

この歌がどんな風に作られたのかなんて知らない。だからこんな風に残酷に思えるのかもしれないけど、だからって誰かに責められたとしてもそこには何の責任も伴わ

もっとみる