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【短編小説】1人なのは1人だけじゃない

12月が来てしまった。
つい何週間か前まで半袖だったような気がするのに。電車の中でため息をつく。澄んだ空気が世界を支配するはずの朝、大勢の人で敷き詰められた車両の中は息苦しく、ほぼ大多数の人間がスマートフォンをいじっている。空気が少ない。濁った川のように淀んでいる。スマホを触っていない自分からすれば、何をそんなに一生懸命、確認することがあるんだろうかと思うが、最初はぼーっと見ているうちに、だんだんとスマホと顔の距離が近くなって、それが周りから見れば、ぐーっと集中して見ているように見えるだけだ。どうせみんな、仕事に行きたくない現実逃避からスマートフォンをいじっているだけだ。自分だけはなんとなくそんな気になれず、足元で、両足に挟んで置いている通勤鞄に意識を向ける。結び慣れた地味な色のネクタイが、憂鬱に胸元を締める。目を瞑る。腕を前で組んで、春を待つようにじっとする。

目を向けられる範囲が恐ろしく狭い。電車の窓の、雑踏が生えた街を見ることすらできない。視界は知らない女子高生の、知らないリュックを捉えることしかできない。知らないキャラクターのマスコットが付いているそのリュックは、いかにも量産性の高そうなものだった。右も左も後ろも前も人で溢れている。

12月に入ったからと言って、特に何も変わらない。むしろ、半期決算だった9月から10月にかけての方が戦争だった。そういう意味で言うと、12月はクリスマスや正月のイベントに向けて、そわそわするだけかもしれない。お堅い事務仕事をしている自分の中では、そんなものだった。もう1年が終わるのかと思うと、呆然とするしかなかった。何をしていたのか思い出せない。とにかく働いていた。結婚もしていないし、もちろん子供もいない。もうこのまま1人がいい。冬の寂しさを人の暖かさで埋めたくなってしまう欲望は、コロナ禍ぐらいから潰えた。誰かの配信を見ていれば、大体寂しくはなくなる。コメント欄も同じような奴らで溢れている。1人なのは、自分1人だけじゃないと、わかるから、もう、付き合うのかどうとか、結婚がどうとかは、本当にどうでもいい。

大学進学のため上京して、そのまま就職した。地元の広島は、厳島神社など大きな名所があるものの、何と言うか、あまりカルチャーが根付かない街だった。(これは誰かが言っていたことの受け売りだけど)魅力がないと言うとまた違う。悪い意味でクールなのかもしれない。自分が就職した年から地元に残っている人はもともと少なかったが、今年は、転出が転入を上回る「転出超過」が全国最多になってから3年経ったらしい。自分が住んでいた時は、そこまでではなかった気がするが。
こういうことを、大変だとか、どうにかしなくてはとか言っている人たちは、大体地元を愛しているとか、公務的に動いている人たちばかりだ。別に、自分はどうでもいい。住めれば。自分が求める娯楽が近くにあれば。過ごしやすければ。そうやって遥か昔から、人間は大陸を移動してきたんじゃないのか。滅ぶ時は滅ぶ。ただそれだけ。みんな自分が1番大切だ。他の人を優先し、自分をないがしろにする人は、例えば、この車両の中に一体何人いるんだろうか?
今日、たまたま、ここにいるだけの人たちに、少しだけ思いを馳せる。そうすると自然と、地元にいる親や友人たちも、頭の中に現れた。もうどれぐらい連絡していないだろうか。たまには帰ってこいと言う親からのLINEも、ただスタンプで返信するだけだ。実家に帰っても、安心するとか、やっぱり実家はいいとか思わない。もともと地元にいる時から、両親の仲は、良いわけでも悪いわけでもなかった。家族間の関係が、びっくりするほど希薄だった。

急に電車が大きく揺れて、さっきの女子高生のリュックに体を大きく委ねてしまった。すみません、と思わず小さく言うと、意外と女子高生は、少しだけこちらに振り返り、会釈してくれた。別に都会だからといって、全員が冷たいわけではない。母数が多ければ、いろんな種類の人間が増えるだけだ。

電車のスピードは落ちていって、駅に停車した。いつも通りの時間。たくさんの人が降りていく。自分もその中の1人だ。みんな、同じ駅に降りて違う場所に歩いて行く。
1人なのは、1人だけじゃない。


おわり

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