エゴイストだった少年が、『チームビルディング』のプロになるまでの話。
今回お話を聞かせて頂いたのは、世界でもその名を知らない人はいない大手外資系企業の人事部門で活躍する山中周平さんです。
新卒の採用枠1人のシンクタンク系企業の人事職を猛アタックで見事こじ開け、約10年勤務した後に転職し、現職に至ります。
そんな『山中さんにしか話せないお話』をぜひお楽しみ下さい。
私は、人生における『柔軟なピボット(方向転換)の大切さ』を学ばせて頂きました。
サッカーが好きで、ゴールだけ考える少年だった。
グローバル企業で人事職として組織づくりを生業とする山中さんは、どんな少年だったのかルーツをお聞きしました。
お話を聞いていくと、今の仕事に繋がる『物語』が見えて来ました。
幼稚園の時にサッカーでゴールを決めた高揚感から心に火がつき、最終的には大学1年生までサッカーを続けたという山中さん。
そのプレースタイルは、唯我独尊で『ゴールだけを考えるエゴイスト』だったそうです。
周りをどう活かすかは二の次で、いかに自分がゴールを決めるかだけにこだわり『フォワード以外はやりたくない!』というジャイアンスタイルを貫いていたそうです。
クラブの練習以外も、朝でも夜でも自主練をして”一人で”シュートを壁に打ち込む日々。
身体をつくるための食事メニューも自分で調べて、両親に提案する程の徹底ぷりで両親もその熱の入れようを応援しながらも、心配する日々だったそうです。
『とにかく上手くなりたい。とにかくゴールを決めたい。』
山中少年はサッカーという魔物に取りつかれたように成長していきます。
アキレス腱断裂、サッカーが続けられない体に。
大学受験にあたり、自身のサッカーの成長を目的にサッカーの強豪校を選びます。
結果見事合格したのが、大学サッカーの名門、順天堂大学でした。
全国大会常連校などから猛者達が集まる環境の中で、山中くんは大学時代もサッカーに没頭します。
そんな時、プレー中の怪我でアキレス腱を断裂し、完全な回復が見込めない大怪我に見舞われ、競技サッカーを続けられない身体になってしまいます。
失意のどん底。。。
これから何を糧に生きていけば。。。
夢中の『ピボット(方向転換)』で没頭継続。
失望で落ち込む日々が続くのかと思いきや、なんと!山中さんは競技サッカーとはキッパリと別れを告げ、すぐに次の『夢中』に取りかかります。
それが、現在の職業にも繋がる『組織行動学』の勉強だったそうです。
その背景には、サッカーを辞めて『個人のモチベーション維持』、『チームワークの構造』、『リーダシップ論』などの『チームが出来上がるまでの様々なプロセス』を理解したいという感情が湧き上がり、サッカーを通じて『ゴールを決める事』以外で初めて興味が芽生えたそうです。
そして、この『組織行動論』の研究でも持ち前の『集中力』と『没頭力』を発揮します。
まず経営を知ろうとして、毎週書店に通いビジネス本を5〜6冊づつ買って、本棚の隅から隅まで読みあさったそうです。
その純粋無垢な『知りたい!』を心のままに勉強し、『どういう環境』が『どう人を動かすのか』行動心理学を積極的に学んだそうです。
もっと実践的に知りたいという思いから、大学のゼミでは募集前から教授に希望を出し自身を売り込みに行ったり、積極的かつ実践的に『組織行動論』にのめり込んでいきます。
俯瞰で『自分』を見つめ直してみた。
競技サッカーから離れた事で山中さんに新しい気づきも生まれました。
それは『極度に没頭し過ぎる事、集中し過ぎることは良くないのでは無いか?』という自問いでした。
今まで『あえて集中する環境』をつくり、意図して没頭し続けて生きてきた山中さんの根本を否定するような考えのように思えますが、山中さんはこの事を『柔軟』に受け止めました。
背景には友達からの指摘と、競技サッカーから離れた事で自ら感じた部分があったそうです。
価値観を壊すために、日常から離れる事にした。
そこで山中さんは自分の視野を広げる活動に取りかかります。
大学内でNPO法人を立ち上げたり、ビジネスコンテストに出てみたり、米国への短期留学をしてみたり、知見を広げる為にバックパックで東南アジアと中央ヨーロッパを回ってみたりもしたそうです。
そして、この自分の視野を広げる為にとった経験が、この先の山中さんの人生を大きく動かします。
実際に世界に出て自らの足でバックパッカーをしていると、様々な人種、文化、考え方に出会います。
そんな中で、特に山中さんに大きな刺激を与えたのが、30代、40代の異国のバックパッカーだったそうです。
自分の人生を豊かにするのは『自分自身』。
山中さんは当時を思い出すように話してくれました。
『沢山のバックパッカーと、つたない英語で沢山話をしました。
そこで見えてきたのは海外の多くのバックパッカーが、キャリアとキャリアの間で半年から1年の休みの期間を作って、その期間に世界を周っていたんです。
お金的に裕福には見えなかったし、実際にそういう人達では無かったけど、人生を豊かに生きているように感じました。』
そして異国のバックパッカーに『大学卒業したら何するの?』と聞かれ『普通に就職する』と答えたところ、『君の人生つまんなそうだね』とズッシリ体重を感じる言葉が帰って来たそうです。
この自ら視点を広げる為に動いた『経験』が、実際に山中さんの価値観に柔軟性を持たせ、この後、実際に就職をする山中さんのビジョンと働く目的に大きな影響を与えていきます。
『自分の為に生きていた山中さんの人生は、”人の為に生きる人生”へと180度様変わりしていきます。』