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逆噴射2024ピックアップ

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『ドゥヴァン・イン・ザ・シンク』

『ドゥヴァン・イン・ザ・シンク』

 親父が庭に池を作った。小さな池だ。穴を掘ってビニールを這わせて石で丸く囲んだ。庭のカイヅカイブキは手入れされておらず枯れていてすかすかだ。裏には三階建の鍼灸院が建っていて陽は当たらない。親父が金魚を買ってきた。多分車で十分ほど行った所にあるホームセンターだろう。金魚を放す。のら猫が喰う。また金魚を放す。俺は金魚の気持ちになってみる。水面を見る。金魚の眼は横についているからはたして水面が見れるのか

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彩雲の獄

彩雲の獄

 義姉の葬儀以来、四年振りに見る故郷の空はひどく暗い鈍色だった。空の下で神坐山にかかる笠雲だけが、光源もなく淡い七色に輝いている。山が瑞兆であるはずの光る雲を背負って以来、誰も山中から還ってきてはいない。姪の夕月もその一人だ。姿を消して既に九日が経っていた。
「友達が止めるのも聞かんと、母親を呼びながら山へ入ったらしい」
「こんな時に娘から目を離す馬鹿がいるかよ」
 恨めしそうに山を見上げる兄の晧

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アオモリエンバーミング

アオモリエンバーミング

 お前の墓の前で傘を掲げていたよ。ただ、辛くて何度も片手でネクタイを締め直した。お前の墓碑銘に、知らない日本人の骨が入った墓、初夏の昼下がり。とても暗かった。喪服も墓も濡れて黒ずんでいた。
 お前の息子は喚いて顔はグジャグジャで、カリーナも墓にしがみついていた。二人を慰めたかったが、お前を殺した手で二人に触れるのがひどく憚れた。苛立って泥濘を何度も踏み抜いていた。やがて葬儀は終わった。たぶん、遠く

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湿地帯から街まで

湿地帯から街まで

 三島由紀夫の自伝的小説『仮面の告白』の幕開きは主人公の幼少期からで、わけても古い記憶は出生時の光景と語らせている。産湯に使う盥の縁についた滴や、揺らめく水面の光など描写も詳らかだ。
 とはいえ彼の場合はあくまでも小説だから、事の真偽は定かでない。だが志希の方はだいぶ本気だ。いささか事情は異なるけれど。

 自分が真に産まれ出たのは湿地だと、彼女は言って譲らない。もちろん実際には違う。出産場所が東

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5minutes before

「どこで間違えたんだろうな」

答えが欲しかったわけじゃない。ただ呟いただけ。
街で一番デカい病院の中の、暗く、狭い部屋。
どこかわからない。やつらから……いわゆるゾンビとでも言えばいいのか……生きてる人間に襲いかかり、食いつき、殺し、食いつかれた人間もやつらの仲間になって、数を増やして襲いかかってくるバケモノどもから逃げて逃げて逃げて、行き着いた先がここだった。

「ごめんな」

「いいよ」とい

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うろくず

うろくず

「はい、今日のご依頼はですねー、マンションの管理者さんからでして」

 部屋の前の通路で動画サイトにUPする挨拶を撮る。主に喋るのは入社2年めのミネちゃんだ。

「んでー、借りてたご家族と連絡が取れなくなってー、私たちゴミ屋敷バスターズにご依頼いただいたわけですね〜」

 ミネちゃんのほにゃほにゃとした喋りと笑顔。彼女はドアを開けて部屋の中へと入っていく。俺は撮影しながらそれを追う。

 嗅ぎ慣れ

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カントリー・マアムが食い残せねえ

カントリー・マアムが食い残せねえ

パソコンデスクに蟻が、集っていた。俺はしかめ面をしながら机の上のファンタをごくりと飲んで、いや、違うだろ、この場合ファンタは原因であって。予想は当たっていて、ほぐした葡萄の果肉のようなほろ苦い感触が俺の口の中を席巻した。果肉入りファンタってあったよなと思いながら俺は込み上げてくる胃液ごとごくりと飲み干した。この数日間で俺は嘔吐という生理現象に順応した。蟻だけじゃない、この家は色んな生き物との共生で

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墨黒屋敷の夜、からくり骨人形の夢

墨黒屋敷の夜、からくり骨人形の夢

火付盗賊改として京正は、外道の手で燃やされた黒色の灰に沈んだ長屋を、毎晩の夢に出るほど見てきた。

だが墨黒屋敷だけは未知なる脅威であった。

いま、詰所に戻り、長谷川平蔵を前にしても、己が生きた人間のまま帰還できたのか、既に死に、生霊となり化けて出てしまったのか、ぼんやりとしてはっきりしない。

鈴虫は、静かに鳴いていた。
今夜は京正にとって、いちばん凍える夜だった。

「気ぶりの南蛮女に惑わさ

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天使来たりて

天使来たりて

 かつて空は、果てしなく広がっていた。

 そんな話を聞かされたのは、書斎の虫だったレニの親父と初めて顔を合わせた時だった。

「昔は天井なんてものもなかった。空は誰もが、自由に見惚れられるものだったんだよ」

 タダ飯の対価にせよ、つまらない話だった。空。天井に空いた穴から見える、時々色の変わる景色。それが多少大きくなったところで何が美しいのか。僕は率直に尋ねた。

「……分からない」

 彼は

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まだらの樹氷

まだらの樹氷

 腐りかけの右脚を庇いながら、雪と腐肉が混ざった地面を踏み締め、ヨルニムは枯れた森を歩いた。

 眠る巨人の広間。枯れた森の中の平原で、座り込む巨人の死体があるからそう呼んでいた。
彼はそこに、よく見知った後ろ姿を見つけた。
巨人の死体の前に座る人影は、兄の朱色の防寒着を身に纏っている。

 「兄さん」
 ヨルニムは声を張り上げ走った。脚が痛もうが、構わず突き進んだ。
そしてその肩にぐっと指をかけ

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御座へと落つ #逆噴射小説大賞2024

御座へと落つ #逆噴射小説大賞2024

 淡い光に包まれた立方体が、濃紺の海中を下降していく。立方体の周りを、魚の眼と下半身を持つ女たちが取り囲んでいた。彼女らは側面に小さく開いた窓から中を覗き込んでは、下卑て不快な笑みを中の男たちに投げかけていた。

「深度1000を越えました。此処から先は文字通り、光届かぬ世界です」
 カランはズレた眼鏡を直しつつ、努めて冷静な口調でもう一人の男に語りかけた。
「サミア殿、貴方の協力なくては『方舟』

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おれたちは意外に脆い

 洗面器をすっかり平らげて、人心地ついた。洗った上で残った水アカは、ちょうどよくカルシウム。消化吸収される樹脂に、胃と腸が蠕動して喜んでいる。
 腹が膨れたから、上を向く。崩壊して骨組みだけの家の中から見上げる空は、電線が立ち並んでいた街並みの中にあった頃と、そう風情は変わらない。照りついた日差しの匂いが砂とともにやってくる。心地いい。
 プラスチックは体内の細菌(よくは知らない)によって栄養にな

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タフガイのプルエバ

タフガイのプルエバ

 俺は素麺を茹でずにバリバリ食う男だ。俺は元々タフに生まれついてるからそれができる。

 粉末スープも粉のままいく。冷凍食品も凍ったまま食う。下着は三日替えない。俺は自分の糞が便器についてても気にせず個室を後にする。俺は預金残高を見ない。定期を買わない。髪を拭かない。

 過去や未来を考えない──これがタフネスの鉄則だ、わかるか。俺の暮らしはこれまで、鉄みたいな強度だった。

 だがある日、俺の秩

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多武峰のペガサス

多武峰のペガサス

 永保元年、たしかあれは弥生の頃だったじゃろうか。興福寺の僧徒がめちゃめちゃに暴れよった。わしは歴史を意図的に覚えないようにしておるから曖昧なんじゃが、あの年の夏に、僧徒共がめちゃめちゃに暴れよったのだけは覚えておるんじゃ。彼奴らはわしらが暮らしておった多武峰の民家を焼きよってな。多武峰の民家をめちゃめちゃに焼きよって。たいそうめちゃめちゃに暴れたんじゃよ。あの晩わしは、幼い弟と妹を背中におぶって

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