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人生を変えたのは習慣だった

私は過去に、とても苦しい生き方をしていた。

自分を責めたりもしたし、親を恨んだこともあった。

全ては「許し」なのだと気付くまでの過程は長かったが、本当の「許し」とは、「許せないことがある自分も許す」ことにある。

両親が二人の個人だった頃に出会い、私を生み、食べさせてくれて育ててくれたことには感謝している。

だが、間違った方向へ導いたことは、親のせいにしたままにしておく。

もちろん、そこには敗戦による「アレ」が起因しているので、その後しばらくは仕方ないことだったのかもしれない。

それはまあ良いとして、それらは全て「生き方」の本質に気付くまでの重要なプロセスだっただけだろう。

アラフォーになり、何もかもが苦しくなって行った時、地獄のような思いをした。

けど、私は生きることを諦めなかったから、ただ「生きる」ということに専念した。

むしろ、それしか出来ることがなかった。

そこに、真の答えがあったことに気付かされた。

誰が何をしたとか、あいつのせいでこうなったとか、社会が、政治がとか、全然関係なかった。

全ては、自分の生活習慣によるものだった。

生活習慣とは、自分の「生き方」そのものなので、「生き方」とは生活習慣なのは当たり前のことだ。

今思えば、そんなの当然のことだし、出来ている人からすれば???なことなのだが、幼い頃からそれを知らずに育つと、そうなってしまうのは当然だ。

そこだけが、私が親のせいにしたままにしておきたいところなのだ。

結論から言えば、太陽と共に目覚め、生きるための活動をし、陽が沈んでから、栄養を補給して体を休め、暗い中でぐっすり眠る。

これだけで、全ては上手くいく。

働きすぎ、幸福度低すぎの日本人が、縄文的な田舎暮らしに憧れ始めているのは、それが理由だろう。

何もかもが嫌になったあの頃、私はもう力を失い、ただ時間が過ぎるのを感じているだけだった。

それまでは、仕事を前線でバリバリこなし、寝る間も惜しんで勉強し、隙間なくすべての時間で何かをしていた。

もちろん、知人と飲み歩いたり、ナンパしに行ったりとバカなこともしていた。

とにかく、休みなく動いていた。

けと、ある日突然に、その力は切れてしまった。

力を失ってからの私は、ただ、目が覚めて、ボーッとし続ける日々が何日も続き、虚しさだけを感じていた。

自分に価値が失くなったように思え、どんどん自分が嫌いになっていった。

それでも、生きるためにはご飯も食べるし、トイレにも行くし、それなりに動く。

それが長く続くと、徐々に私の考えは変わって行った。

「もしかして、これでいいのかも?」

自分に情けなさ、不甲斐なさを感じていながら、友人に電話すると

「何言ってんだ?」
「生きてるだけで丸儲けだわ」

と、大きな声で笑われた。

さらに、ただ生きるだけの日々を繰り返すと、もっと多くのものが見え始めた。

同じような経験をした人が沢山いること。

「だからそうしているんだな」と納得できること。

どんどん世界の見え方が変わっていくのがわかった。

それまでには気付かなかった、見えていなかった、感じていなかったものが、私の世界に次々と現れ始めた。

道端に咲く野花や雑草。

毎日変わる空と雲。

季節ごとに変化する景色。

近所で遊ぶ子供たちの笑い声。

世界が変わって見えることに気付き始めたのはこの頃だった。

そして、私は気付く。

世界は自分だったのだ。

自分とは、この宇宙の全てなのだ。

子供の頃に好きで見ていた聖闘士星矢の、「君は、小宇宙(コスモ)を感じたことがあるか」というセリフが頭の中で響いた。

それから、あらゆる自己啓発や宗教、スピリチュアルなどを深掘りしても、全てが同じ答えだったことを知った。

ビジネスの世界でも、「原理原則に従え」とあった。

世界が変わって見え始めた頃の私は、朝は明るくなった頃に目覚め、やることもないので外へ出て、風に揺れる木々の音と、日の出に合わせて騒がしくなる鳥のさえずりを聴きながら、ただ呼吸をしているだけだった。

時間が経つと、少しずつまわりから生活音が聞こえ始める。

子供にねだられて飼うことにした2匹のチワワをつれて、ほんの少しだけ散歩する。

「おはようございます」
「かわいいワンちゃんですね」

近所の人たちと、何気ない会話をする。

二人分のご飯を作って食べ、片付ける。

特に何も考えることなく、生活のためにやることをこなしていくと、気付けば日は暮れ、夜を迎えて、自然に眠っていた。

この繰り返しに虚しさを感じていたはずが、徐々にそんな日々に愛おしさを感じるようになっていた。

習慣が、本当に人生を、生きる世界を変えてくれることを知った貴重な体験となった。



やっていたこと

・太陽の光で自然に起きる
・自然の中でボーッとする
・明るい時間に散歩する
・あいさつをして軽く会話する
・ご飯を作って食べる
・眠くなった時間帯にそのまま寝る



これは、私が何かを変えたくて意図的にそうしていたものではなく、自然とそうなっただけのことだった。

この頃、全くやっていなかったこと、減っていたことがある。



やめていた、減っていたこと

・ブログ、SNS、スロット、ゲームなど液晶関連全般
・コーヒーとタバコ(無理なく減っていた)
・夜更かし
・飲酒
・人の悪口、陰口
・怒る


無理に何かを直そうとして、変えようとしてやるとそれはストレスになるが、私は自然にそのように変化していた。

それから、私は上手くいかない時、トラブルが増える時、ネガティブな思考が生まれる時には、習慣を見直すようにして、大きなことにならないようにしている。

沢山ある社会問題のほとんどは、自分の生活習慣を見直して実践するだけで解決へと向かえるのだが、そのことにすら気付けていないから、いつまでも本質的に解決しないままとなり、大きなトラブルにまで発展してしまうのだ。

始まりは、ほんのささいなことなのに、それが悲しい結末を迎えてしまうことにもなりかねない。

だから、「生き方」「習慣」は大切なのだ。


くう、ねる、あそぶ


それだけで十分に幸せになれるのだ。

朝起きて、何かしらの活動をして、夜は早めに寝る。

これが、自分の人生をより良いものにし、「生き方」、ライフスタイルを確立させてくれ、自然な形で自分の人格をも変えてくれる。

そしてそれが、成すことの全てに影響を与え、自分のまわりに幸せのサイクルを生み出してくれる。

情報過多で、娯楽と誘惑が個々へ直結してしまっている現代の日本人全てに伝えたいこと。

スマホは手放して、外で全身を使って遊ぼう!

スマホはおいて、目の前の人と話そう!

スマホは伏せて、さっさと寝よう!

指と目だけを動かしていたその時間。

人生最後の日に、後悔しないためにも、今を感じて、目の前の景色を目に焼き付けて、二度と来ないその瞬間を、全身で感じて生きよう。

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