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とっておきの京都手帖6 賀茂祭

立夏りっか/ 5月15日は賀茂祭かもまつり




柔らかな新緑の中、薄紫うすむらさきの藤の花が揺れる。

その下には、金色こんじきとも見える山吹やまぶきと、葵の葉が、牛車ぎっしゃいろどる。

御所車ごしょぐるまだ。

ゆっくりと歩を進める立派な黒牛のその先には朱色しゅいろ水干すいかん姿すがたの可愛らしい牛童うしわらわが行く。


大きな傘は風流傘ふりゅうがさと呼ばれ、その上には牡丹ぼたん杜若かきつばた等の花を飾り付けている。

「なんとみやびやかな…」「いにしえの京を思わせる…」

と、平安時代にタイムスリップしたように思うかもしれない。


藤の花揺れる御所車



しかし、その歴史はさらにさかのぼり、飛鳥時代の少し前、古墳時代に至る…!


6世紀半ばの欽明きんめい天皇の時代、凶作きょうさくに見舞われ飢餓きが疫病えきびょうが流行したため、天皇が勅使ちょくしつかわし「鴨の神」の祭礼を行ったのが起源とされている。


1450年以上、いや約1500年と言って良い歴史ある祭事だ。


ちなみに、欽明きんめい天皇は、聖徳太子の母方の祖父であり、日本で最初の女性天皇・推古すいこ天皇の父だ。


京都三大祭りの一つと言われる「葵祭あおいまつり」、しかしその歴史の古さは抜きんでている…!





当初、祭りの名称は「賀茂祭かもまつり」。


しかし、あまりに経費がかかるため、室町時代から江戸時代の元禄げんろく期まで断絶していたらしい。


元禄げんろく期に再興してからは、フタバアオイを飾ることから、「葵祭あおいまつり」と呼ばれるようになったそうだ。

また祭日は、古来4月吉日(2番目のとりの日)とされていたが、明治維新以後、新暦の5月15日と改められ現在に至る。




現在、NHK大河ドラマでは「光る君へ」が放送中だ。

主人公の紫式部がこれから筆をる「源氏物語」の中にも、清少納言の「枕草子」の中にも、この「賀茂祭かもまつり」が出てくる。


当時でさえ、「賀茂祭かもまつり」は500年近い歴史がある祭事だった。

祭りといえば「賀茂祭かもまつり」だったのだ。


古墳時代後期に始まった祭事だが、平安時代には著作に出してしまうほど有名なものになっていたことを思うと、時代とともに大きく発展し、貴族たちが楽しみにする一大イベントだったことがよく分かる。


現在、私たちが目にしている平安装束を身にまとう「葵祭あおいまつり」は、この頃のものを引き継いでいるのだろうか。

いとをかし。

機会があれば、友人の磯田氏に教えを乞いたい。




さて、今年も5月15日、午前10時半から京都御所を出発。

行列は「路頭ろとう」と呼ばれる。

約500人が平安装束で歩くその長さは、約1キロにも及ぶ。

どんな伝統ある祭事でも携わる子どもに笑顔があると親しみが湧く



今年の「葵祭あおいまつり」、私は少々そわそわしていた。

斎王代さいおうだいを務めるのは、知人の御息女だからだ。


「あんなに大きくなられて…」


と、半分親心で見ていた。


十二単じゅうにひとえを身にまとい、「腰輿およよ」と呼ばれる乗り物に乗って、ゆっくりと目の前を通り過ぎて行かれた。


お父様、お祖父様、御一家の皆様も、今年の「葵祭あおいまつり」を感慨深くご覧になっていただろう。


第66代斎王代 松浦璋子(あきこ)さん



斎王代さいおうだいの優雅な十二単じゅうにひとえ、実は重さが30kgもあるらしい。

日頃から着物を着慣れている人が務められるとはいえ、この重さは何をするにもなかなか大変だろう。

しかもこのところ、日中はかなりの夏日が続き真夏日を記録した日もあった。


皆様もご存じの通りの日々の気温である。




祭りを見物している中には、黄色い帽子の園児たちもいた。

間近でみる行列に興奮気味だった。

可愛い声で口々に、


「お姫様きれい!」

「昔の刀持ってる!」

「牛おおきい!」

「お馬さん歩いてはった!」


等、とても楽しそうだった。




海外からも多くの見物客が来られていた。

日本らしいこの行列に、カメラのシャッターを切り続けていた。

幼少の頃から歴史に触れる機会がある園児たち
君たちがこれから目にする未来の葵祭はどんなものだろう




行列は、京都御所を出てから下鴨神社を経て、午後には上賀茂神社へと向かう。

およそ8kmの道のりを練り歩くのだ。


この暑さと沿道の賑わいで、牛馬が混乱しないよう任務を全うできるよう、祈るような気持ちでもあった。

赤い綱が映える黒牛
互いに見惚れているのかもしれない



仮面をした白馬にまたがるは勅使ちょくし

勅使を乗せ優雅に歩く白馬
いま見ても洒落ている



行列の最高位である。

下鴨神社、上賀茂神社で、天皇の祭文を読み上げてお供えを届ける役割を担う。

葵祭あおいまつり」の起源が、凶作きょうさくに見舞われ飢餓きが疫病えきびょうが流行したことにより、天皇が勅使ちょくしつかわしたことだと考えると、本当の主役は勅使ちょくしと言える。






また、「葵祭あおいまつり」に欠かせないフタバアオイ。

この葉が獣害じゅうがい等により激減しているとのニュースを見た。

一般財団法人「葵プロジェクト」による葵を育てる活動があるそうだ。


地元では、葵の再生に小学校を中心とした教育機関や企業、団体、個人等の参加もうながしている。



葵を育てた小学生が、テレビのインタビューを受けていた。

自分たちが大事に育てた葵が、「葵祭あおいまつり」で使用されているのを見られてとても嬉しかったと、照れながら笑顔で語っていた姿が可愛らしく印象的だった。




昔はたくさん生息していたという葵。

葵の葉ひとつとっても、時代とともに変化する祭事の守り方、地域あげての支え方があること改めて知る。

出発する前の確認作業
黒牛も準備万端 待機中





そして、この祭事に欠かせない重責を担う方々がいらっしゃる。

牛、馬が歩いた後、その道々に落としていく糞を清掃する方々だ。

平安装束に身を包みながらも、いわゆるほうきとちりとりで拾い集めていくのだ。

どんなにみやびやかで伝統的な祭事であっても、この方々在りてはじめて成り立つのである。




今年は見物客が35,000人との発表があった。

葵祭あおいまつり」の成功の陰に、どのくらいの人数が携わっているのだろう。

サポートされた皆様もまた主役だと私は思う。




毎年決まって5月15日に行われる「葵祭あおいまつり」。

新緑の京都へ、平安絵巻から飛び出してきた行列を間近でご覧になってみてはいかがかな。



タイガースファン?
いえいえ行列の中の方です



<参考> 京都新聞Webサイト、京都市Webサイト、上賀茂神社Webサイト、「そうだ 京都、行こう」Webサイト




<(c) 2024    文 白石方一 編集・撮影 北山さと 無断転載禁止>

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