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長文メールの構造美について触れる

近年長文メールは、"常識的"と言ってしまってもいいほど、"悪"にカテゴライズされていると思っていた。

受信者は時間をかけて文脈を辿り、膨大に膨れ上がった説明の群れを書き分け、やがて送信者の言わんとする結論に辿り着く。
受信者のレベル次第ではゴールに辿り着くことも叶わず、言葉の森で永遠に迷子になってしまうこともある。

一方送信者側も途方もない時間をかけて、多大なエネルギーを脳とタイピングの指双方から消費しながら、緻密に構成を練り上げ、ええい!とばかりに書き終える。
受信者側もその投資に見合うもの(時間)を差し出さないと釣り合いが取れないのは明白だ。

これもまた、人生の哲学との紐付きが見られる様で、メールを長文で書く人にプレゼンテーションを作ってもらうと、同じようなテイストで仕上げてくる。
「あなた方のレベルに合わせて、少し贅沢に作ってあげたわよ」と言わんばかりのホスピタリティである。
基本的に文字間のソーシャルディスタンスなどお構いなしだ。

最近長文メールの素晴らしさについて、たまたま2人別々の方々からご講釈を賜った。

時間が無い現代において、隙間時間で情報を伝えられるメールは非常に素晴らしいツールであり、その機能を最大限に発揮するには、一定のストーリを表現するために、ある程度の文字数が必要不可欠とのことだ。少ない文字数では表現したいことが仕切れない。
メールという画期的なツールに敬意を払い、しっかりとした心構えを持って取り組むべし、という姿勢の様だ。

確かに彼らのメールは序章の挨拶で始まり、提示部で本題について軽く触れ、展開部で細かく説明に移り、再現部でもう一度本題に戻り、そして結尾部で締めの挨拶と共に話を終える。
さながらソナタ形式の様相を魅せてくるのだ。

受信者はしっかりとその構成の妙を味わいつつ、送信者の思いに頭を巡らせながら思考の旅を共にするべきだ。
間違っても焦って結尾部から読んではいけない。
小説を終わりから読む人はいないはずだ。いくら結論らしきものが見えたとしても、じっと我慢して文脈を辿っていくのだ。

素晴らしい。

私も芸術に携わってきたこともある。

よし、やってみよう!

部下Cメール:
S&Oさん、
お疲れ様です。先日はお忙しい中お時間を頂きありがとうございました。
最近気温が上がったり下がったりして、体調を崩し・・・・・省略

さて、先日話にあがりましたミーティングの準備についてですが、実は私のチームから少し声が上がって参りました。何やら前々回全体ミーティングを行ったときに、Aさんと交友関係にあるBさんのチームの人が・・・・・・省略

少し詳細に移りまして、なぜAさんがその様に望んでいるかと言いますと、実は彼女は将来的に目指しているポジションがありまして、そのラーニングパスの一つとしてファシリテーターとしての実力を身につけ・・・・・・・省略
こちらが彼女のメールです。是非お時間のある時にご覧なってください。

"Cさん、
お疲れ様です。いろいろ考えたのですが・・・・・・・・・・省略

繰り返しになりますが、今回の彼女は元々友人関係にあるBさんの影響を受けてこの様に依頼をしてきていることもありまして、彼女なりに考えるところが・・省略

つきましては彼女にミーティングの一部ファシリテーターをお願いしてもよろしいでしょうか?
お忙しい中恐れ入りますが、ご返答のほどどうぞよろしくお願い致します。

C

私メール:

りょ


Shimeji & Oyaki

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