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表札:南伊豆町立図書館・石垣りん文学記念室
自分の住む所には
自分の手で表札をかけるに限る。
精神の在り場所も
ハタから表札をかけられてはならない
石垣りん
それでよい。
石垣りん(いしがき・りん、1920年~2004年)…詩人、銀行員。
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画像は、静岡県南伊豆町にある南伊豆町立図書館。館内には、石垣りん文学記念室がある。
石垣りんは、東京都港区の生まれではあるが、父親が南伊豆町子浦の出身、母親が南伊豆町の北に隣接する松崎町の出身で、伊豆には特別な思いを持っていたという。
女性詩人にハマった時期がある。
茨木のり子(いばらぎ・のりこ、1926年~2006年)、新川和江(しんかわ・かずえ、1929年~2024年)、工藤直子(くどう・なおこ、1935年~)、覚和歌子(かく・わかこ、1961年~)など。
茨木のり子は「自分の感受性くらい」。新川和江は「わたしを束ねないで」。工藤直子は「おれはかまきり」。覚和歌子は「いつも何度でも」。が有名かな。
付け加えると、工藤直子は漫画家の松本大洋(まつもと・たいよう、1967年~)のお母さん。覚和歌子が作詞した「いつも何度でも」は、スタジオジブリのアニメーション映画『千と千尋の神隠し』の主題歌。
石垣りんは、茨木のり子と仲が良く一緒に旅行とかもしていたらしい。確か茨木のり子を経由して、石垣りんの詩集なども読み始めたような気がする。「挨拶」、「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」、「シジミ」、「くらし」、「定年」などが広く知られているのだろうか。
そして、前述の「表札」。いやはや、迫力が、勢いが凄い詩である。
「表札」は森鴎外(もり・おうがい、1862年~1922年)の遺言書と重なるような気がする。
生死別ルル瞬間
アラユル外形的取扱ヒヲ辞ス
森林太郎トシテ死セントス
森鴎外は、死の床で東京大学医学部時代から親友である賀古鶴所(かこ・つるど、1855年~1931年)に頼んで、口述筆記で遺言書を残した。陸軍の軍医としてトップに立ち、また作家としても揺るぎない位置に。だが最終的には、本名であり一個人の「森林太郎」として最期を終えたいと考えた。
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