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西川太
2020年11月30日 09:30
お祓ばかり言うて、信心がなければ、氏子は天地の神に頼んだと思うておっても、神は頼まれておらん。それでは相損じゃ。 金光教教典 329頁 島村八太郎 19おはようございます。 上の空でご祈念するということ、ありませんか。心を入れよう入れようと思うほど入らない時があります。それでは神様に届いていないというご指摘で、申し訳ないことです。空念仏という言葉がありますが、仏教でも同じこ
2020年11月29日 09:17
お札には墨がついとるのみ。お祓は言うほどずつ消えてゆくぞ。心をつけて教えて、おかげをいただかせよ。 金光教教典 329頁 島村八太郎 18おはようございます。御守り札は単なる印刷物。ご祈念の言葉は、それを言う尻から消えていく。大切なのはお札を頂く心であり、ご祈念を唱える心である。教祖様はこのことをおっしゃっています。* 「お札には墨がついとるのみ」。なんと痛
2020年11月28日 10:50
お祓は神に奉るものではない。自分の戒めのために書いた物。一度読んでも、それをわきまえれば、年中言い通した者よりましじゃ。何百度あげても、神がお受けくださらねば、言うたお祓は消えてゆく。消えてゆけば相損になって、時間を費やせば家業はできず、家が貧乏になって、人にそしられ笑われて、神様のごひれいを汚すことになるぞ。 金光教教典 329頁 島村八太郎 17おはようございます。お祓と
2020年11月27日 09:12
三宝(さんぼう)様ということは、天と地と人とのことをいう。神も人なければ用なし。また、まつる者もなし。米麦も人なければ用なし。また、作る者もなし。 金光教教典 329頁 島村八太郎 16おはようございます。 三宝とは、もと仏教用語で、仏・法・僧をさしていましたが、ここにあるように、天・地・人を指したり、また、穀物を指す場合もありました。教祖様は、日天四・月天四・金神を三
2020年11月26日 09:20
他人に、わずらわしいこと、気に入らぬことを辛抱させるような不徳なことでは、神徳はいただけぬぞ。 金光教教典 329頁 島村八太郎 15おはようございます。何が気に入らないのか、むっつりと黙り込んで、触れなば切るぞという感じの人がいます。ああでもない、こうでもないと批判・文句ばかりいう人がいます。若い頃の昔のわたしです(今は卒業していると思いたいです)。そんな時、いいこ
2020年11月25日 09:16
日乃大神のお照らしあるうちは心配すな。 金光教教典 328頁 島村八太郎 14おはようございます。日乃大神様(お天道様、太陽)のお照らしがなくなるということはありません。ですから、心配するなということがこの御教えの主旨になります。生きること、死ぬこと。そして、その間(生まれてから死ぬまで)の病気や辛いことやいろんなこと。なにがあってもおかげになるから、心配するな、とおっし
2020年11月24日 07:23
生きた母がかわいい子の手をとってさえ、病を治すことができまいが。死んだ神にすがっても、生き死にの安心のおかげを受けることができるか。 金光教教典 328頁 島村八太郎 13おはようございます。病気の子どもを、母親であろうとも治すことはできません。死んだ神もまた同じです。この御教えはその事を言っています。死んだ神とは、「氏子あっての神 神あっての氏子 あいよかけよで立
2020年11月23日 08:12
堂宮へ参拝して、おかげがいただけるか。堂宮は死んだ物なり。生きた神にすがりてこそ、おかげがあるぞ。 金光教教典 328頁 島村八太郎 12おはようございます。「堂宮は死んだ物なり」とおっしゃるのは、教祖様が苦難の前半生を過ごしておられた時、神社仏閣にお参りしても「片便で願い捨て」であったことをさしておられます。「生きた神」とは、「氏子あっての神 神あっての氏子 あいよかけよで
2020年11月22日 07:47
生神金光大神といいしも、今までは形があったから暑さ寒さも感じたが、これよりは形を去りて真の神になるから、一目に氏子を守ることができるわい。 金光教教典 328頁 島村八太郎 10おはようございます。 教祖様、神去り(御帰幽)の時のお言葉として、島村八太郎師が伝えておられます。教祖様にとって死とは真の神になることだった、ということが分かります。晩年百日修行を2回しておられます
2020年11月21日 07:18
生きとる時に神になりおかずして、死んで神になれるか。 金光教教典 328頁 島村八太郎 10おはようございます。死んだら霊になるとか仏になるとか言います。が、このお道では、生きている間に神になった人が霊神(みたまのかみ)になれます。神とは、人が助かる働きそのものです。家族や周りの人が助かる働きをし続けた人は、死んで後、人が自ずから手を合わせるようになります。それが神になると
2020年11月20日 08:09
自分も神の子なれば、一つの神ではないか。 金光教教典 328頁 島村八太郎 9おはようございます。教祖様の御信心の特徴は、神と人とがつながっているということです。「一つの神」である自分も人も、大切にしなければなりません。でも、その人間が難儀にとらわれると、あっという間に神様から離れてしまいます。* 信心とは、神様が喜ばれるような心のあり方、行いに取り組むことです。
2020年11月19日 06:16
天地の神は厠(かわや)の内にもあるぞ。されども、ものを言う神は金光大神よりほかにないぞ。 金光教教典 327頁 島村八太郎 8おはようございます。神様はお手洗いの中にもおられて、わたし達の大小を受け止め、守ってくださっています。そのことをお取次の場で、言葉にして教えてくださったのが金光大神様です。* 友が遠方より来てくださり、話を重ねました。いいことを教えてください
2020年11月18日 10:35
真の信心ある者は神なり。ゆえに、神の取次ができるのじゃ。 金光教教典 327頁 島村八太郎 7おはようございます。学院を出て教師になっているからと言って、お取次の御用ができるわけではありません。父親母親が教師であり取次者だからと言って、お取次の御用ができるわけではありません。真の信心を頂き、神とまで言われてはじめて、お取次の御用ができます。真の信心は一日一日です。昨日、真
2020年11月17日 09:11
氏子が忘れさえせねば、神は忘れぬぞ。 金光教教典 327頁 島村八太郎 6おはようございます。食卓のいつもの席に座っていつもの時間にごはんを頂く時、「食前訓」「食後訓」はたいがい忘れません。でも、外に出て親しい友人と一緒に食事をする時、忘れてしまう。毎日使ういつものお手洗い。「四つのお礼」の内の「お手洗い」はほとんど忘れません。でも、外に出て、時間を気にしながら駅のお手洗