さくらなお

映画大好き、真剣レビューアー。 レビューの力を信じて映画を真剣に語ります。

さくらなお

映画大好き、真剣レビューアー。 レビューの力を信じて映画を真剣に語ります。

最近の記事

  • 固定された記事

発達障害の女子高生がファッションショーに挑む青春ヒューマンドラマ【『BISHU〜世界でいちばん優しい服〜』映画感想文】

 外れの多いご当地映画にも関わらずかなりの傑作である。決してリアリティレベルが高い訳ではなく、ともすればご都合主義的な話にもなりそうな際どいシナリオなのだが、ギリギリのところでこれを回避している。しかもその方法が大胆な飛躍や、突飛な振る舞いなどでは無く、丁寧さと愛嬌を持って優しく包み込むという大変バランス感覚の要求される難しい方法で持って正々堂々と描き切っている。監督のこの懐の深さには素直に賛美を送りたい。キャラクター配置も絶妙でどのキャラクターもシナリオラインに対して上手く

    • オフビートロードムービー【『ルート29』映画感想文】

       本来オフビートとは贅沢な振る舞いである。なぜならオンビートで撮るべき物量のものをあえて簡素に撮るやり方だからだ。そしてその物量とは人の事である。だからこの映画は失敗した。日本の国道を歩く2人の人物を簡素に撮ってもオフビートにはならない、人が少な過ぎるのだ。オフビートとロードムービーは相性が悪い。ロケ地を多く捌かなければいけないがためにシーンの中で人を集めることが出来ない。これは動物や虫を寄りで撮ったところで補完出来る事ではない。ゆえに子供達のシーンはエネルギーが出るがその他

      • 3人の幼馴染が抗争に巻き込まれる【『オアシス』映画感想文】

        という映画なのだが悪い意味でそれ以上書く事がない。2人の男が1人の女を挟んで揺れ動く話かと思いきや、3人で巻き込まれるという目的が設定される意外性はあるがそれ以上はない。この映画でどんな主題が表現されてるか、そこにどんな想いがあるのか、何を観客に感じて欲しいのか、または楽しんで欲しいのか、そういうものが何一つ見出せなかった。  ドキュメント的なテイストを目指したのか、または単にカットが割れないのか、やたらキャラクターの背中を追っかける長い移動撮影が続くがそこに特に効果的なもの

        • 胸キュンとの板挟み【『あたしの!』映画感想文】

           ジャンルからの逸脱を試みているのは感じる。広告やMV的な所謂綺麗でエモい画面作りは、胸キュンジャンルの予定調和から抜け出すための戦術として有効である様に思えるし、胸キュンポルノ仕草も抑えめに設計されている。主演の様々な顔芸でキャラクター描写が進んでいくが、バリエーションは限られるため、脳内世界の人物達は役者を変えて、負荷を減らし差別化を測ったのは結果的に良い判断であったと思う。  しかし逸脱を試みながらもギャグの処理でトンマナを乱してしまう。完全にボケにいくギャグが作品のジ

        • 固定された記事

        発達障害の女子高生がファッションショーに挑む青春ヒューマンドラマ【『BISHU〜世界でいちばん優しい服〜』映画感想文】

          メタメタ時代劇【『侍タイムスリッパー』映画感想文】

           上映後近くの席の女性が見入っちゃった、と言っていた。コンセプト優位の作品であり、物語優位の作品であるため、語り方に見るべきものはない。というより割過ぎなカットやテンポの悪い芝居、あまりに図式的過ぎるキャラクターや状況など前半は我慢の時間が続くが、敵役の長州武士の出現以降、スリリングな展開が立ち上がっていく。  異質なショットが一箇所ある。それは劇中劇の中で主人公と敵役が言葉を交わすところなのだが、このショットでの主人公の芝居が変わる。それまで現代にタイムスリップした侍を演じ

          メタメタ時代劇【『侍タイムスリッパー』映画感想文】

          近未来と政治と地震と青春と【『HAPPYEND』映画感想文】

           グレーディングのおかげか、エドワードヤン『カップルズ』を思い浮かべる。固い絆で結ばれた友人グループに一人の女が介入する事で関係がひび割れていくという図式もまさしくそうだ。メインビジュアルにもなってる分かれ道や、窓に反射するショットなど、人種や貧富の差を反映した図式的表現ははまっている。自由を求めて音楽に傾倒する主人公たちも随分図式的なキャラクターである。地震と身体の震えを直球で重ねたり、掃除をしてたら行き場がなくなった男女といった表現も効いている。  しかしこの映画が訴えた

          近未来と政治と地震と青春と【『HAPPYEND』映画感想文】

          メンヘラ多動牛女の彷徨う都市生活ポートレート【『ナミビアの砂漠』映画感想文】

           人もカメラもよく動く、多動と言って良いくらいよく動いたおかげで、物語から映画が自由を獲得するのに成功している。主人公の動きを起点にした良いショットもいくつか生み出せており、街角で彷徨う姿や、彼氏に向かって手を回すのと連動したカメラワークなどは白眉の出来である。しかし問題は映画の語り方ではなく、語られる内容である。  目的設定を二人の男の間でふらつく女の話かと思いきや、片方を選んだ後の女の都市生活のポートレートに持ってくるのは効果的だったが、その肝心の中身があまりにも無さ過ぎ

          メンヘラ多動牛女の彷徨う都市生活ポートレート【『ナミビアの砂漠』映画感想文】

          胸キュンというポルノ【『なのに、千輝くんが甘すぎる。』映画感想文】

           まず失恋の心の傷を上書きするために片思いごっこをするという目的設定に乗れるかどうか、ここがこの映画という船の大きな分かれ道である。仮にこの目的に乗れたとして、次々に展開される片思いの概念を揺るがす、完全両思い胸キュンシチュエーションの嵐に合い、映画は転覆する。その後、沈んだ映画の中でとんだデフォルメがされた謎のシチュエーションが展開され続け、恋は成就し幕を閉じる。  胸キュン映画というジャンルが出来て久しいが、このジャンルの映画は数分に一回胸キュンシチュエーションが配置され

          胸キュンというポルノ【『なのに、千輝くんが甘すぎる。』映画感想文】

          東西内戦【『シビル・ウォー アメリカ最後の日』映画感想文】

           アメリカの内戦を戦場カメラマンの視点で描くというのは面白いコンセプトだが、コンセプト負けした様にも思う。現在のアメリカの問題意識を色々と反映させているが、ロードムービーなため視点が狭く、一市民としてのリアルは感じるが、俯瞰した現代アメリカの自己批評としては物足りない。主人公達と大統領の目線を交互に描くという構成でも良かったかもしれない。  分断する事やカメラ=ショットといった運動のモチーフはありつつも有効活用されておらず、主人公の文字通り最後の瞬間をカメラで納めるなら、主人

          東西内戦【『シビル・ウォー アメリカ最後の日』映画感想文】

          捕らえられなかったジョーカー【『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』映画感想文】

           まずそもそも前作のジョーカーがあれだけの傑作となった理由は何か。それはひとえに編集にある。  現実か妄想か、曖昧な物語は脚本時に明確に想定されていただろうか?果たして疑問である。脚本を作るという事は書き記してしまう以上、そこに具体的な設定を用意する必要があり、具体性なしには脚本というものは書けないものである。ゆえに公開時、社会現象になるほど話題となった、主人公に起こった事は現実なのか妄想なのかという議論には脚本設定として確実に答えがある。  しかしその確固たる物語を編集が変

          捕らえられなかったジョーカー【『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』映画感想文】

          銃撃戦するテンバイヤー【『Cloud』映画感想文】

           銃撃戦をしたいんだったら他にも方法はある、と言いたい。資本主義に振る舞わされる動物的な人間たちの行く末に、理由なきゲームとしての暴力が待ち受ける。という事を描きたい映画なのだろうが、脚本が雑なため伝わらず、単に突然銃撃戦に走る謎の人間達の映画になってしまっている。組織なんて言葉だけ登場させても成立しない。何の組織の何の人間なんだ?ともやもやが続く。  人間の悪意だったり無意識だったりの、何かしらの感染をモチーフとして描いてきた作り手の意図は、まるでエマージェンシーコールの画

          銃撃戦するテンバイヤー【『Cloud』映画感想文】

          サイコなアメリ【『チャチャ』映画感想文】

           ラブストーリーをいなすというコンセプト自体はよかったものの、結果中途半端になってしまった。コンセプトを徹底するなら前半のラブストーリーを王道にしなければ効果を得にくいのだが、前半ラブストーリーが斜に構えてしまっており、斜めに構えた物語に更に斜めな展開が加わるというキレの無いものになっている。それでもとことん斜に構えれば突き抜ける可能性もあったが、そっちも不徹底であり、やはり中途半端なものになってしまっている。  この手の転調系の作品は『ヒメアノール』という理想の先例があり、

          サイコなアメリ【『チャチャ』映画感想文】

          人種や宗教や国境を包み込む優しい青春群像劇【『タレンタイム〜優しい歌』映画感想文】

           人種や宗教や国境を包み込む優しい青春群像劇。まずあまりに多様な顔が出てくる事に驚く。マレー系、中華系、西洋系。マレーシアという国が人種的に宗教的に多様な国であるという事を思い知らされる。そこで各登場人物達の物語が描かれていくが、群像劇といえど実はさほど相互に関係しあってはいかない、各エピソードが機能的に繋がる訳では決してない。しかもそのエピソード自体は時に唐突と言えるくらい展開が強い。それをドキュメンタリー風とも言える、ゆるやかなカメラで収めていく。編集も独特だ。ギターで歌

          人種や宗教や国境を包み込む優しい青春群像劇【『タレンタイム〜優しい歌』映画感想文】

          藝大受験をスポ根物語として描く青春群像劇【『ブルーピリオド』映画感想文】

           藝大受験をスポ根物語として描く青春群像劇。企画に対して製作陣は誠実に向き合ったであろう。美術の良し悪しを映画で描く事の難しさも十分留意していたはずだ、そして原作の物語もなるべく残す様に気を付けた。その結果失敗したのだ。  やはり美術の世界を映画に落とし込む手立てが製作陣に無かったのだろう、全てモノローグで説明するという一番避けるべき手段で全編描いてしまっている。元が難しい企画なのだから根本的な発想の転換が必要だった。美術の世界を物語に落とし込むのが難しいのだから、そもそも物

          藝大受験をスポ根物語として描く青春群像劇【『ブルーピリオド』映画感想文】

          破綻した夫婦関係を維持しようと家族のロールプレイをし続ける主婦の話【『愛に乱暴』映画感想文】

           破綻した夫婦関係を維持しようと家族のロールプレイをし続ける主婦の話。スタンダードサイズで主婦の居場所の無さや息苦しさを湿っぽい画で描く。のはよいのだが、どこか芯を喰っていない様に感じるのは何故だろうか。動物や火事や柱といった暗喩を散りばめてキャラクターの外周を描く事で、本質を浮かび上がらせるというアプローチもそれはそれで別によいのだが、それでも狙いとは違うところで芯を喰い切れていないのだ。  この原因はキャラクターの目的とストーリーテリングの齟齬にある。彼女の目的は終盤発す

          破綻した夫婦関係を維持しようと家族のロールプレイをし続ける主婦の話【『愛に乱暴』映画感想文】

          料理教室の講師である男が歪み切った世界を彷徨う話【『Chime』映画感想文】

           料理教室の講師である男が歪み切った世界を彷徨う話。無駄を剃り落とした黒沢清的世界がバチバチに決まった画で描かれていく。それが魅力であり、それが全てとも言える。過去作のリメイクも行い、キャリアとしては自己模倣に入ったとも言える。  今作もcureを筆頭にいつかどこかで見た黒沢映画の要素が集められて形作られている。言うなればファンムービーであり、それ以上の物は無い。むしろ物理的な制作費の限界によって削られた要素や尺を鑑みるに、過去作に比べてパワーダウンしている。しかし役者の芝居

          料理教室の講師である男が歪み切った世界を彷徨う話【『Chime』映画感想文】