メタメタ時代劇【『侍タイムスリッパー』映画感想文】
上映後近くの席の女性が見入っちゃった、と言っていた。コンセプト優位の作品であり、物語優位の作品であるため、語り方に見るべきものはない。というより割過ぎなカットやテンポの悪い芝居、あまりに図式的過ぎるキャラクターや状況など前半は我慢の時間が続くが、敵役の長州武士の出現以降、スリリングな展開が立ち上がっていく。
異質なショットが一箇所ある。それは劇中劇の中で主人公と敵役が言葉を交わすところなのだが、このショットでの主人公の芝居が変わる。それまで現代にタイムスリップした侍を演じていた俳優が、変な言い方だがこのショットではまさしく侍となる。タイムスリップした侍、その侍が侍役で出演する時代劇、相手は大物時代劇俳優となったかつての敵が演じる侍。構造が多層化された状況がひとつのショットで交錯し、そこに芝居の変化が加わった結果、観客であるこちら側が無意識に混乱をきたしたのだろう。侍がそこにいるというほんの少しの錯覚を引き起こした。これ以降、時代劇の衰退と江戸幕府の崩壊を重ねるというストーリーラインがはっきりしてくる。ここまで積んできた構造が機能し、終盤の斬り合いはまさしく見入ってしまう出来となっている。
主人公を撮影所から出さなかったのは正解だった。会津藩士という設定も京都の中で異物感を出す事に成功している。会津藩の辿った歴史を物語構造の中に流用する事も出来た気がするが、そこまでやるとボリュームオーバーか。いずれにせよメタ構造の多層化が物語にダイナミズムを生み出している。それだけに語り方の朴訥さが、その朴訥さ自体を映画の中で有効活用出来た『カメラを止めるな!』に比べて純粋な弱点となってしまっている事が残念である。
しかしながらカメラを止めるなで熱を帯びたインディーズ映画界隈が、コロナ禍以降冷めていってしまった中、最近になって復調傾向だったとはいえ、ここまで界隈に大きな熱狂を本作が再び生み出した事は賞賛に値する。それも大人数キャストのワークショップ映画であったカメラを止めるなに比べ、数の力に頼らず熱狂を生み出せているのは、純粋に本作の物語力のパワーにあると言える。奇跡はニ度起こらない。カメラを止めるなの時は奇跡という向きもあったが、本作の登場以降、インディーズ映画の特大ヒットは起こるべきして起こる状況になったと言える。