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藝大受験をスポ根物語として描く青春群像劇【『ブルーピリオド』映画感想文】

 藝大受験をスポ根物語として描く青春群像劇。企画に対して製作陣は誠実に向き合ったであろう。美術の良し悪しを映画で描く事の難しさも十分留意していたはずだ、そして原作の物語もなるべく残す様に気を付けた。その結果失敗したのだ。
 やはり美術の世界を映画に落とし込む手立てが製作陣に無かったのだろう、全てモノローグで説明するという一番避けるべき手段で全編描いてしまっている。元が難しい企画なのだから根本的な発想の転換が必要だった。美術の世界を物語に落とし込むのが難しいのだから、そもそも物語自体を取っ払ってしまえばよかったのだ。美大受験の世界とは劇中のセリフでも少し触れられている様に、学校で習う西洋美術史や、または現代美術の世界とも違う独特な世界である。美大に合格するために求められる技術や戦略は他の美術の世界とはまた異なるルールで動いているのだ。であるならば、その美大受験の世界に徹底的にフォーカスし、泥臭い努力で立ち向かっていく主人公と他の個性を持つキャラクター達を藝大受験シュミレーションに載せて映画の軸にすればよかったのだ。
 シュミレーション映画だとしてもシン・ゴジラの様に徹底していけばそこにエモーションは生まれる。観客もキャラクター達が美術の何に悩んでいるのか具体的に伝わってくる。具体的に伝われば伝わる程、観客は勝手に自らの内の別種類の経験と照らし合わせてキャラクターの心情を理解する事が出来る。とかく美術を物語に落とし込む事が難しいのならば、いっそのこと物語をやめてしまえばよかったのだ。しかし映画は青春群像劇の部分に足を引っ張られてしまった。
 ましてやスポ根物語として見るにしても主人公があまり追い込まれない中途半端さが目立つ。終盤の藝大受験の件は主人公に二転三転もっとピンチが必要だ。スポ根映画の型にもうまくはめられていない。編集でカットしたであろう他キャラクターの要素も、特定のキャラクターにフォーカスすればよいのにそれも出来ず、全員が満遍なく薄い印象で終わってしまった。
 よかった点は美術界の目配せの様にキャスティングされていた会田誠の存在と、眞栄田郷敦、高橋文哉、桜田ひよりのビジュアルの美しさだ。しかしキャストがいくら美しくてもビジュアルのよさだけが美術の価値ではないという事を描かなくてはいけない映画なのだから、これだけでは救われない。

#映画感想文


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