[マインドフルネス]プチ瞑想のちょっとしたコツ
『からっぽ!』という本が好きで。
とくに何度も読んだわけではないんだけど、定期的に思い出す。
と同時に、あっ、と瞑想を思い出す。
からっぽ!が瞑想を思い出すフックになってます。
本格的に勉強してはないけど、瞑想は好き。
あれこれ準備せず、どこにいても即できるのがいい。
そう、自分なりにからっぽ!を読んで、瞑想を実践してみて。
無になることは難しいよ。
難しいんだけど、だったら無になるんじゃなくて、無の瞬間を見つければいいんじゃないかと。
これが僕がみつけたちょっとしたコツです。
どういうことか。
頭の中、いつもブツブツブツブツ雑念ばっかりなんですよ。
家の鍵閉めたかな?からはじまって、ケチャップ切れたからウェルシアに買いに行かなきゃとか、最近はぼっちざろっく!の挿入歌が頭の中かかりっぱなし。
ふだん日常生活の中でアワアワしてばっかりのぼっちちゃん。
ライブではスイッチ入ると鬼神のようにギターをかき鳴らす。カッコいい!
まるでミッシェルの故アベフトシさんみたい。
このミッシェルのライブの狂乱っぷりは控えめに言って伝説ですよ。観客が大渦のようで倒れる人がいるなか、スタッフから演奏中止の声がかかって、でもそれを振り切って演奏するアベさん、ギターの鬼神です。
さてさて、このnoteからして雑念、煩悩だらけ。
からっぽ!は非常に難しい。
だから、雑念をとめるのを必死に頑張るんじゃなくて、
雑念の雑念の一瞬の隙間を見つける方が楽だと思うんです。
どういうことかというと、どんなに始終流れてる雑念だって、「間」がある。
その「間」をぼーっとしながら見つける。
たとえば、
「家の鍵閉めたっけな、どうだっけな、いやたしかロックした後一度確かめた気がする……ぼっちざろっく最高かよ!ギターまた始めよっかな。島村楽器行くかな。。」
とブツブツ頭の中で考えている、「、」や「……」の部分ですよ。雑念の「間」は。
話題が変わる瞬間というか、思考の途切れ目というか。
この「間」。
頭の中の雑念によくある。
その「間」を見つけると、少なくとも一瞬、思考が途切れる。無がある。
そんな風にして、「間」を探してると、意外と間ってたくさんあって。
何も考えちゃいけない!!!って踏ん張るよりもわりとラクに無の断片が見つけられて、それを繋ぎ合わせてほどほどの無心になれる。
これじゃあダメですかね。
この「間」の繋ぎ合わせだけでも、意外と無心でいることの心地よさ、感じられるんですよ。
だから発想の転換というか。
無になろうじゃなくて、無の瞬間をみつける方が楽だしじゅうぶん心地いいです。
あとは目の前の空間を意識するのもいい。
こちらは僕のバイブル的な存在の本。
生命科学者による般若心経の意訳。
本自体薄くてシンプルなんだけど、奥が超深い。
宇宙の真理をちょっとだけ垣間見れた気がする不思議な本。
この本の僕の解釈は、
僕もあなたも宇宙も全ては同じ粒子、同じちいさな粒からできている。
だから、その粒の視点から見ればあなたも私も宇宙もひとつ。
です。
戦争、人種、ジェンダー、あらゆる分断の問題の解決策の糸口がここにありそう。
この考え方からみると、目の前の空間にも宇宙が広がってる気がするんですよ。
なんてイメージすると、ちょっと頭の中のゴチャゴチャがシーンと鎮まるんですよね。
いきなり崇高すぎて頭の中も引いちゃうのかも。
家にいるときも歩いてるときも、どこにいるときもこのイメージを思い出すと、ふと静けさを感じられます。
悟りを開くとか、仙人になるとか、そういう大それた事ではなくて、ほんのちょっと瞑想して心を鎮めると明らかに気持ちがいい。
体調が良くなる気がする。ストレス軽減。よく眠れる。ご飯が美味しい。
などなど、生活のあらゆる面で良い方向にいく気がする。
逆に考えると、過度のストレスが諸悪の元凶でしょうね。
なるべく心地よく生きる術としても、10分瞑想、いや1秒瞑想でも、それを重ねるごとにちょっとホッとできて効果的だと思います。
こちらは旧版。既に絶版。
こちらが新版。地味にロングセラーですね。
カバーイラストは旧版が断然好きなんだよな。