【書評】カフカ『城』を完読。現代美術としてのカフカ。
ロッシーです。
以前こんな記事を書きました。
読み終わった・・・
結論から言いますと、完読できました。
もう、なんていうんですかね・・・
「疲れた。」
それが一番言いたいことですね。
もはや楽しむための読書ではなく、耐久レースでしたよ。
この耐久レースに比べたら、『カラマーゾフの兄弟』を5回読むほうが全然楽ですね。普通に面白いですし。
『城』では、1人の人物が、数ページ以上もわけのわからないことをベラベラしゃべり続けるなんてざらにあります。
ドストエフスキーの小説で、私も長い会話形式には慣れているとは思っていたのですが、そんなものは屁でもないくらいの「しゃべりっぷり」でした。
そういうのをずっと読み続けていると、なんだか頭がもうろうとしてくるんですよ。とにかくこのしゃべりにはやられました。
この読書体験は、例えるなら富士山登山と同じですね。
「一度は登ってみたけど、もう一度登りたいとは思わない。」
そこは人それぞれですが、私の場合はそうでした。
もう読みません、というより読めません。
村上春樹は15歳で読んでいた
ちなみに、村上春樹はカフカについてこのように語っています。
15歳で『城』を読もうとすることがまず驚きです。しかも完読してるわけです。普通の15歳だったら、読み進められませんよ。
そして、「大変な衝撃」を受けるほどの何かを得たわけです。
同じ小説でも、読む主体によってここまで捉え方が変わるわけです。15歳の村上春樹と比べても仕方ありませんが、40代の自分自身と比べてなにやら情けない気持ちになりました。やはり小説家になるような人は違うんですね。
私が得たものは、まだ何なのか言葉にはできません。
とにかく、現時点では、得られたのは疲労感というか徒労感というか、程度の軽い絶望感というか・・・それくらいですね。
書評
この『城』という小説は、現代美術と同じなのかなと思います。
さて、この絵を見てください。↓↓↓
この絵は、アンディ・ウォーホル作の「キャンベルスープの缶」(1962年)です。
「これのどこが芸術なんだ?」
と思う人もいるでしょう。
でも、現代美術というのはそういうもののようです。
「芸術とはユニークで、珍しくて、貴重なものであり、大量生産されるものではない」
という伝統的な考え方に対して、
「そうじゃない!」
「そもそも芸術とは何だ?」
ということから考えるのが現代美術です。
カフカの『城』もそれと同じだと思います。
「ストーリーがよく考えられている」とか「登場人物の心情がよく描けている」とか「エンディングが美しい」とか、
そういう伝統的な考え方に対して、真っ向からそれを無視しまくっているのがカフカのスタイルなのだと思います。『城』に結論なんてそもそもありませんからね。
現代美術と同様に、既存の文学の枠組みをまず破壊しなければ新しいものは生まれません。
カフカが意図的にそうしたのかどうかは分かりませんが、結果としてはこの小説は間違いなく破壊力抜群だと思います。
私も、これまで自分が持っていた小説感を爆風で吹き飛ばされました。
ぜひ、そんな体験をしてみたい方は読んでみてください。
良いか悪いかどうかはともかく、貴重な読書体験になることは保証いたします。
Thank you for reading !