【書評】『目的への抵抗』(國分巧一郎)を目的なしに読む。
ロッシーです。
『目的への抵抗』をなんとなく読みました。
なんとなく読んだため、きちんと内容を理解できていませんが、とりあえず書評を書いてみます。
本書では、「目的が人間の自由を制限している」という趣旨の記載がありましたので、ここに着目したいと思います。
確かになぁと思いました。
私自身、とても目的コンシャスです。
基本的に、目的がはっきりしない事はしたくないタイプです。
仕事でも、目的がはっきりしない会議、出張、飲み会には抵抗感を覚えます。
でも、これは私という個人だけではなく、社会全体がそうかもしれません。
最近では「パーパス経営」なんていう言葉も当たり前になっているように、企業経営においては、パーパス(目的)を明確にすることが非常に重要だとされています。
個人も会社も、社会全体が目的コンシャスになっているのかもしれません。
では、目的ばかりを追求することの何が問題なのでしょうか?
本書では、
「目的が人間の自由を制限している」
と述べています。
確かにそういう部分はあると思います。
コロナ感染対策という目的のために、行動の自由が制限されてしまったケースはその典型例でしょう。
「それはそれでしょうがないんじゃないの?」
と思うところもありますが、そういう考えこそが「目的に支配されてしまった状態」なのかもしれません。
その状態から抜け出すには、目的とは無関係の行動を増やす必要があるとのことです。
例えば、無目的に集まってワイワイ飲み会をする機会を増やすとか・・・。
う〜む・・・。全然したくないですね(笑)。
個人的にはそんなにしてまで「目的による支配から脱却」するくらいなら、目的に支配されているほうがよいです。
なんだか映画『マトリックス』みたいになってきましたね。私は別に目覚めなくていいです(笑)。
というか、「目的による支配から脱却しようという目的のための行動」そのものが、結局目的そのものじゃん!という突っ込みが入りますね。
まさに目的のマトリョーシカ状態。
哲学者の本を読んでおきながらめちゃくちゃな感想になってしまいますが、
「これは目的なのかどうか」
なんてあまり考えすぎず、やりたいようにやればいいんじゃないでしょうか(適当~)。
確かに目的というものは、人間の自由を制限する部分もありますが、一方で人間は制限を欲する存在でもあるわけで、目的それ自体に良いも悪いもないような気がします。
会社なんて、うまく目的を使うことで成果を生み出しているわけです。
目的もなく集まって、なんとなく適当にビジネスをする会社があったとしたら、私はそういう会社で働きたくないです。将来が不安過ぎます(笑)。
プライベートでは、本を読みたいから読む、将棋をしたいからする、とかはしています。寝たいから寝るし、食べたいから食べていますし、排せつしたいからトイレに行きます。
つまり、よくよく見れば、目的なんか関係なく行動をしている部分も結構あるわけです。
要はバランスと言ってしまえばそれまでですが、目的なんか関係なくやりたいことをやるのも大事だし、目的をきっちり決めてそれに向かって進むことも必要でしょう。
本書の主張は、どちらかというと目的コンシャスになりがちな現代社会に対するアンチテーゼとして意義があるのかもしれません。
さて、まとめに入ります。
人生には目的なんてないわけです。
ということは、目的というのはある意味「おまけ」みたいなものです。
必要があれば目的というものを設定すればいい。
そして、適当にそれに向かって進みながら、たまには道端の草花にも目をやればいい。
そんな風に思います。
と、ダラダラ目的もなく書いていたら、記事がひとつ書けました(笑)。
最後までお読みいただきありがとうございます。
Thank you for reading!
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