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コンプレックス・シリーズ

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コンプレックスのシリーズをまとめています! ノンフィクションの筆者の若い頃のハナシです!
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2024年3月の記事一覧

続コンプレックス Vol.2

続コンプレックス Vol.2

ある時、私の携帯に懐かしい人から連絡があった。
その人は、KKRを開業する時にチャペルの司祭として、
私が見つけてきて契約した人であった。

当時福岡は、新規ホテルがバンバン続いてオープンしていた。
ハイアットリージェンシー福岡、
グランドハイアット福岡、
ホテルオークラ福岡、
シーホーク、などなど…
ブライダルも激しい戦いであった。

私はKKRのブライダルの戦略を練る責任者という立場もあり、

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コンプレックス 29

コンプレックス 29

■コンプレックス 29

札幌の冬を見ないまま、涼しい夏だけを過ごして福岡に戻った。

子供達の喜びようは大変なものだった。

福岡に戻ってから、
地中海クラブのGMの話や、地方のホテルのGMの話などいくつかあったが、その話もどれもがうまく進まなかった。

ボクの出身地であり、ホテルマンのスタートを切った新潟の先輩にも声を掛けたみた。
随分久しぶりに連絡したわけであるが、先輩は
「○SGという非常

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続コンプレックス Vol.1

続コンプレックス Vol.1

いつも「コンプレックス・シリーズ」をご愛読いただき、ありがとうございます。
作品の更新が29回となりましたので、仕切り直しで「続コンプレックス」として、連載していきたいと思います。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

2005年は私にとって、「良い年」とは言えない年であった。
まあ、その前がずっと良かったかと言われれば、決してそういうわけでも無く・・・

2002年にKKRを辞めてから、どうも「

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コンプレックス 28

コンプレックス 28

■コンプレックス 28

しかし、ボクの方は簡単にはいかなかった。

まだKKRに籍がある時に「京都センチュリーホテル」の料飲支配人の話しがあり、面接に行ってきた。

京都センチュリーは、GMと総務部長がセゾン出身で、
ボクの今までの職歴をよく理解してもらう事が出来た。

面接のその場でGMより、
「うちの方はOKなので、あとはあなたがよく考えて判断してください。」と言われた。

考えに考えたが、

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コンプレックス 27

コンプレックス 27

■コンプレックス 27

私が採用になったのはオープンの1年2ヶ月前。

その2ヶ月後には予約センターをオープンする事になっていた。
そして、当然のように何の準備もされていなかった。

必死になって市場調査をした。
あらゆる商品を作り、そしてそのツールも作った。
ギリギリであったが、間に合った。

その時、力になってくれた西鉄エージェンシーのS石部長とK氏、彼等の協力無くしては、不可能なことであっ

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コンプレックス 26

コンプレックス 26

■コンプレックス 26

その後、ある方から富山県黒部市のホテルの総支配人をやってみないか!という話しが舞い込んだ。

小さいながらも年間5億位の売上のホテルであった。

金沢にいるときに何度か行った事のあるホテルであったし、
私の出身地の新潟にも近い、なんといっても総支配人は長年の夢!
話しはトントン拍子にまとまった。

しかし、そこで思い知ったのは富山の県民性の暗さと、
人材不足であった。

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コンプレックス 25

コンプレックス 25

■コンプレックス 25

赤坂のカナダ大使館の地下にシティークラブオブ東京というビジネスクラブがある。

友人がそこに勤務していた。
CCAインターナショナルが経営する外資系のビジネスクラブである。

日本には、大阪と東京の二カ所しか無かったが、その時神宮に新たなクラブ開業が決まっていた。
そこの料飲の責任者をさがしていたのだ。

ボクを面接したのは、
当時シティクラブの総支配人でアジア地区の責

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コンプレックス 24

コンプレックス 24

■コンプレックス24

金沢から広島へ転勤になった。

新広島空港の敷地内にオープンする広島エアポートホテルの料飲支配人としての異動で、
これは大きな栄転であった。

ボクは、かつての自分の部下を呼び寄せスタッフを固めた。

この時代、とても良い仕事をしたと、今でもとても懐かしく思う。

広島のオープンで、TV取材で何日もベッタリ追われたこともある。

常にカメラと音声の人が待機していて、私がどこ

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