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コンプレックス 27

■コンプレックス 27

私が採用になったのはオープンの1年2ヶ月前。

その2ヶ月後には予約センターをオープンする事になっていた。
そして、当然のように何の準備もされていなかった。

必死になって市場調査をした。
あらゆる商品を作り、そしてそのツールも作った。
ギリギリであったが、間に合った。

その時、力になってくれた西鉄エージェンシーのS石部長とK氏、彼等の協力無くしては、不可能なことであった。
また、彼等もコンペティションでKKRオープンの一切を勝ち取ったものの、話が分かる担当者が存在せず、イッタイどうなるんだ!?という不安の頂点だったそうである。そこに現れた私は、彼らにとっても「救世主」に見えたそうである!

とにかく毎日のように飲みに行き、信頼関係を構築し、
一丸となって仕事を推し進めた。

ニューヨークからティファニーというモデルを招聘し、
「ひびのこずえ」デザインの鳥をモチーフにしたウェディングドレスを着用しての撮影。

これを大濠公園で行なったが、
このコマーシャルは、話題になった。

あの時、スタジオも含め イッタイ何枚の写真を撮り、
そしてカメラを廻したか・・・
長い1日であった。

ソラリア「ゼファ」でブライダルフェアを開催した。
これの準備や、運営も骨が折れたが、なんとかやり遂げた。

オープン後も、ホテルイベントの企画、
媒体管理、広報、会議の召集・進行、
おまけに業者会の窓口まで担当させられることになった。
雑務に追われる毎日であったが、とても充実していた。

オープンした年のクリスマス・ディナーは
「雪村いずみ」で280名の2ステージ開催した。

オープンからみでゼネコンや、関係取引先にまとまった枚数を
お願い出来たので、販売に苦労はしなかったが、
チケットの管理から一切合切を全て私が担当していたので、
大変であった。

このディナーショーで1800万以上の売上を作り、
粗利益も大きなものを作った。

西鉄エージェンシーにステージ制作やPAなどの
必要な部分をお願いはしたが、一番重要なミュージシャンのブッキングについては、エージェントは介さず、東京のアリさんにお願いした。

アリさんにはコーディネート料を支払ったが、それでもこのやり方の方が安いのだ。何故安いかというと、事務所とコネクションがあり、また現役ミュージシャンでもあるアリさんがお願いした場合に出てくるギャラが仮に200万だとする。
これを広告代理店などが直接 雪村いずみ事務所にブッキングした場合300万になってしまう。そして、広告代理店はそこにマージンを乗せるので、ホテルへの請求は500万だとか600万だとかという数字に簡単に化けてしまうのである。

エージェントを介さないと、先方との調整などのややこしい仕事が増えるが、そんなもので300万も取られるよりはと、その任はボクが全てを行なった。
もともと数々のライブなどのイベントを何度もこなしているので、何をどうしなければならない・・・
という部分は見えていたし、そしてこれらを一つ一つ確認していくことは、そのイベントにとって、何よりも大切なことでもあった。

その後も、大橋節夫X’mas Dinner Show、
Jazz Summer Dinner Show、
狂言(ディナーショー)、
津軽三味線(ディナーショー)等々・・
数々のオリジナリティーの高いイベントを実施し好評をはくした。

また、女性をターゲットにしたマンスリーのイベントを実施した。
キッチンスタジアム、フラワーアレンジ、海外ウエディング事情、ビーズアクセサリークラス等々である。
これを通じて婚礼・宴会につながるファン作りを行い、
顧客との信頼関係を構築することが出来た。

KKR博多のGMは大変頭が切れる方であった。
そして、ボクに面と向かって直接言ったことは無かったが、ボクを買ってくれているのが伝わってきた。

しかし、そのGMがなんとオープン一年後に突然辞めることになった。
これは本当に突然の事であった。

定年まであと一年以上残っていたのであるが、
売上が計画通りに上がらず、
ややこしくなる前に身を引こうと判断したのであろうか・・・

GMは辞めるにあたり、まだ先であったボクの契約更新の手続きを早めてくれた。そして、年俸を10万円アップしてくれたのである。

そして新しいGMがやってきた。

この人と私はどうもウマが合わなかった。
徹底的に相性が悪かったというか、なんというか・・・

博多全日空を早期退職で辞めた方であった。

リストラされた方を採用してしまう本部の役員の感覚・感性にも首をかしげたくなる。

そのGMは、ボクに喧嘩をふっかけてくるみたいな感じで・・
今にして思えば、ボクの事が色んな面で憎たらしかったようだ。

その一番の原因は、前のGMに一番買われていたという事のようであった。

とりあえず騒ぎを起こさないよう自分に言い聞かせた。
そして、自分の仕事に没頭するよう努力はした・・・

しかし、どうしても小競り合い的な衝突は避けられなかった。

そして一年後、契約更新時ついに決裂してしまったのだ。

彼はイッキョにボクの年俸100万ダウンと言ってきた。

こちらとしては、年俸を保障されて東京から家族帯同でやってきたのだ。地元採用の人間と一緒にして欲しく無い。

以前は企画課長だったのが、今では料飲課長も兼務している。
責任も仕事量も誰よりも多い。
給料を上げるなら話しは分かるが下げるとは納得いかない。

だいたい部下の給料いじくる前に自分の給料はどうなっているんだ?自分はそのままで、我々だけ痛みを味わうのはナンセンスだ!給料ダウンを拒否したら、辞めろってことなのか?

等々ガンガン言ってやった。

相手は、顔を真っ赤にしてこう言った。

「お前みたいな奴は、今まで見た事が無い!」
「総料理長だって150万ダウンをOKしたんだ!」

ボクは、
「そんなプライバシーを軽々しく喋っていいのかい?
ダイタイあなたとは価値観が違い過ぎるので話しをしても意味が無いようだ。」

「なんだと~、このやろ~!」

彼は完全に血圧が上がり、そのまま倒れてしまうのでは?
と、思ったほどであった。

そんな状況になってしまえば、これはもう辞めるしか方法は無い。
それが世の中というものだ。

辞めるといってもケツをまくるのは大人気無い。
当時担当していたホテルイベント「津軽三味線」ディナーショーを終わらせるまではきちんと仕事をまっとうしようと決めた。

小心者のGMは、ボクが辞めるのが決まり、スッキリしたはずなのに、執拗にネチネチと嫌がらせをしてきた。
くそ~権力を濫用しやがって・・・
いずれにしても、針の筵状態であった。

そういった「いじめ」は以前より私だけで無く、
私についている(アンチGM派の)人間全てが対象であった。

中でも、企画課長時代からずっとボクのアシスタントをしてくれていた女性(新卒で私の直属の部下になった)に対しては、執拗であった。

彼女はよく泣きながら、
「笹川課長も私も悪い事なんて何もしていないのに、
なんで私たちだけこんな目にあわなければならないんでしょう。あの人はキチガイです!」
と悔しそうであった。

ボクは自分だけ辞めて、可愛い彼女をそんなホテルに置いていけないと思った。

あらゆるコネを使い、結果的にソラリア西鉄ホテルの婚礼予約に採用してもらう事が出来た。

ソラリアの販売部門の支配人とはつながりがあり、
以前から彼女も交えて食事をしたりしていた為、
彼女の性格や能力、そして、おかれている状況をよく理解してくれた。
そして力になってくれたのだ。

今では彼女は、ソラリアの婚礼予約の一番の戦力として頑張っている。


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ササピー
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