続コンプレックス Vol.1
いつも「コンプレックス・シリーズ」をご愛読いただき、ありがとうございます。
作品の更新が29回となりましたので、仕切り直しで「続コンプレックス」として、連載していきたいと思います。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
2005年は私にとって、「良い年」とは言えない年であった。
まあ、その前がずっと良かったかと言われれば、決してそういうわけでも無く・・・
2002年にKKRを辞めてから、どうも「運」に見放されたような、気分であった。
KKRを辞めてから、札幌に行ったが イッタイこのホテルは何なんだ!?
というホテルであり、どういう風に考えてみても続きそうに無いというか、
続けようという思いが微塵もわいてこなかった。
無意味な時間を何よりも嫌う私は、早々に判断を下し、わずか2ヶ月ほどで、某大手ホテルの料飲支配人というタイトルを捨てた。
我ながら、なんでそんなにいさぎいいのか・・・
このホテルを紹介してくれたのは、九州ではこの人の名前を知らなかったら「モグリ」
と言われるほど有名なお方、シーホークのオープン時
宴会部長をしていたT山氏。
BMCの会長を初代から何期も務め、会長を退いてからも顧問として残っているしつこい男である。
私は面識無かったのであるが、ある方を介して紹介してもらった。
当時彼(T山)が、その札幌のホテルのブライダルのアドバイザーのような仕事をしていた関係で、そのホテルのGMとつながりあり、その頭の良くないGMはT山氏を妙に買っていたのだ。
そんな関係で、話はうまく運んだ。
紹介してもらったというと聞こえがいいが、その男 本当にガメツイ奴で、
紹介したんだから「紹介料」を寄越せ!と言われた。
本来は、年俸の20%なんだが、10%にまけてやる!
これが冗談でもなんでもなく、しっかり取られた。
見た目もヤクザみたいな男だった。
紹介料まで払ったんだから、文句無いだろ!!って
言いたいところであるが、
「辞めることにした。」と言うと
電話で怒鳴りまくられた。
「俺の顔に泥を塗るつもりか!」
オマエの顔なんて、どうでもいいんだよ!と思いながら、
「すいません!」と言って電話を切った。
「二度とこの業界で働けないようにしてやる!」
なんて捨て台詞を言われた。
つまらない男もいたもんである。
KKRもGMのやり方に納得出来ず、正面から立ち向かっていった結果、
辞めざるを得なくなった。
そして、ようやく見つけた札幌のホテルの仕事も辞めてしまった私は、
次が簡単には見つかるなどと決して楽観していたわけでは無い。
しかし、現実は本当に厳しくて、自分としては妥協に妥協しても
良い仕事は見つからなかった。
もう、どうしたらいいのか・・・途方にくれていたときに、西鉄エージェンシーのS石さんが
メールをくれて、そしてこうやってなんとか生き延びることが出来たのだ。
S石さんには感謝である。
***
もう初日から訳が分からないホテルだった。
中華の料理長が辞めるだの・・・
私が担当しているレストランの、今までの責任者も辞めるという・・・
イッタイ、どうなってんだ?
と思った。
私は、レストラン課の課長というタイトルで入社したのであるが、
ほんとに、ドンドン辞めていき、なんでもかんでも私がやらないとならなくなった。
どうやってやるのか? 聞こうにも、聞く相手は辞めていなかった。
まっいっか!適当にやろう!と、思うしかなかった。
そして、1ヶ月後 私は課長から部長になった。
凄い人事である。
支配人がいて、部長は私の他に営業部長がいた。
しかし、その支配人と営業部長も間もなく辞めてしまった。
どこのホテルも人の出入りは激しいものだが、それにしてもこのホテル、
もの凄い勢いで、人が辞めていくなぁ!と思った。
もう慢性的に人がいないので、部長なんて肩書の名刺を持っていても
何の意味も無く、ただの戦力であった。
それも強力な戦力である。朝早くから夜遅くまで・・・
休みなんて滅多に無い。
ちっぽけなホテルではあったが、結構客室はあり、朝食の対応も結構大変だった。
100名以上の宿泊であっても、私はその朝食をパートの女性と2名だけでやったことがある。やったことがあると言うと、1回か2回みたいだが、実際はしょっちゅうであった。
朝食はバイキングであったが、下げと料理補充をたった二人でやるのは、
かなりの技と頭がいる。
そのパートの彼女は、実はかなり有名なホテルで長年和食をやっていた女性で、すんごい仕事が出来たのだ。
もう、忙しすぎると喋ることすら出来なくなる。
私は、よく彼女に目で指示を出した。
彼女は目で答え、そして的確にこなした。
私は、あんなに仕事が出来るというか、さばける女性は初めて会った。
それも、東京のホテルならいざ知らず、H山で・・・
世の中分からないものである。
**
〇イクサイドホテルH山は、
Y川さんという方が経営していた。
創業時(今から30年位前)は、
1日に1000名以上の人が毎日押し寄せ、
儲かって仕方なかったらしい…
このY川さんというオーナーは、かなりおかしい人(変なという意味)で、
M崎支配人をハンティングしたのも、オーナーらしい。
しかし、私が来た時にはオーナーは既に経営から退いていた。
何故退いたのか…
本当のところはよく知らないが、
息子と異常に仲が悪く、
今までに、幹部に金を持ち逃げされたり、
マスコミに内部告発されたり、
ありとあらゆることがあったそうだ。
銀行側から、
『あなたは経営から離れて、息子に譲りなさい!』
と言われたのかも知れない。
私は、そのオーナーと電話で何回か話をしたことがあるが、(突然レストランの直通にかかってきた)
明らかに精神を病んでいる感じであり、何が言いたいのか、さっぱり分からない電話であり、切るタイミングばかり考えていた。
人を不快にさせる『負』の『気』を発しているように感じた。
私が入った時には、息子(30くらい)が社長であり、
副社長がいて、
取締役社長室長というのがいて、
もう一人、女性の取締役がいた。
このおばさん(取締役)は、
オーナーの妹ということだった。
その中に、まともな人は一人もいなかった。
月に一回、幹部会議というのがあり、
私が出た最初の幹部会議において、
笹川さんの長い経験から、
〇イクサイドホテルH山に何が不足していて、
何をすべきか!
について話をして欲しい。
という依頼を受けた。
役員としては、
私に話をしてもらっても、
金は掛からないし、
試せるものは、
何でも試してみたかったんだと思う。
こっちは、話なんかしたところで、
どうにもならない…と思ったが、
自分をアピールすることは出来るチャンスである。
笹川という人間がどういう人間なのかを知らしめてやろうか、と考えた。
顧客満足とは…
みたいなテーマで、
具体例やビデオも使いながら
プロの講演を見せてやった。
皆、口あんぐり状態であった(笑)。
講演の後役員から
『今、H山に必要なことは何でしょうか?』
と聞かれた。
ちょっと前の面接の際の高飛車な物言いは消え去り、
コンサルの先生さま!
みたいな…
すがるような聞き方であった。
私は
『残業を問題にするよりも、本当の意味での少数精鋭にする必要を日々ひしひしと感じています。能力の無い人間ばかり、何人いても意味無いんです。具体的に名前をあげましょうか?』
くらいのことを言ってやった。
その後私は、こんな現場を野放しにしていた支配人を攻め、
彼に不必要な人間を辞めさせるよう依頼し、
彼は、私の言い付けを忠実に実施してくれた。
そして、ほどなくしてある辞令が発令された。
そう、私が部長になったのである。
***
〇イクサイドホテルH山に入ってから
3ヶ月くらいした8月頃から
今まで見掛けない、目つきの悪いおじさんが
役員室に出入りしていた。
そのおじさんは、
オーナーの実の兄で、
なんか色々あって、
若社長では、全然ダメなので、頼まれて乗り込んできた…
そんなことらしい。
若社長も、会長に就任したそのおじさんとは仲が良かったようだ。
会長は、一応人を見る目があり、私には紳士的に接してくれた。
そして、私に
『あのM崎という支配人はバカか?話にならない!』
と言った。
私もまさしく同感であったが、
「ハア…」と、聞く程度にしておいた。
ほどなくしてM崎支配人が
『笹川さん、お世話になりました。私辞めることになりました。』
・・・個人オーナーの場合、こういうのを避けて通れない。
いくら力があっても、オーナーと相性が悪いとやっていけない。
まあ、M崎さんの場合、別に力があったわけでも何でも無く、
ただのヘラヘラした軽い人だったので、こういう事態も避けられ無いところだ。
このM崎さん、奥さんがやけに若い人だったが、
なんと三人目の奥さんらしい…
す、凄いことである。
とにかく女性が好きで、どう間違って勝ち取ったのか
Gハイアットのオープンのとき、このM崎さんが宴会部長だった。
しかし、女性問題でオープン間もなく辞めさせられたのは
業界で有名な話である。
そして、副社長も更迭された。
ある日から、急に顔見ないなぁーって
思ってはいたが、そういうことだった。
取締役社長室長というのが、T永さんという人で、
この人は以前なんとか信用金庫の役員をしていて、
銀行との折衝を含め
オーナーから請われて役員になったのである。
このT永さんは、花うるしの女将さん(後で出てくる)とも繋がりが
あることが、後に判明しビックリした。
そのT永さんも、会長から
『辞めてくれ』
と言われたようで姿を消した。
会長は、売上が伸び悩んでいる状況を
温泉の手直しをすることと、
料金を下げるという大胆な方策で打破しようと考えたようだ。
しかし、残念なことに衰退に歯止めはきかなかった!
〇イクサイドホテルH山は、
今でも倒産せずに営業を続けている。
これは、意外なことである。