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星野廉
2024年2月18日 07:46
本日、二月十八日は古井由吉(1937-2020)の命日です。 樹の下に陽が沈み、長い夜がはじまる。机に向かい鉛筆を握る。目の前には白い紙だけがある。深い谷を想い、底にかかる圧力を軀に感じ取り、睿い耳を澄ませながら白を黒で埋めていく。 目を瞑ると、そうやって夜明けを待つ人の背中が見えます。 合掌。※ヘッダーの写真はもときさんからお借りしました。 #古井由吉 #杳子 #夜明け
2024年2月26日 15:55
「わける、はかる、わかる」への投稿後の加筆が、かなり大幅なものとなってしまったので、加筆した二つの文章を独立させ、新たな記事にしました。ふらふらして申し訳ありません。「同一視する「自由」、同一視する「不自由」」は蓮實重彥の文章にうながされて書いたものであり、「「鏡・時計・文字」という迷路」は古井由吉の『杳子』の冒頭における杳子と「彼」の出会いの場面について書いたものです。 私は古井由吉の作
2023年11月5日 08:54
見る「彼」『杳子』の冒頭から、視点的人物である「彼」の「見る」身振りを書かれている順に――小説ですから出来事の起こった順に書かれているわけではありません――見ていきたいのですが、とても多いので、気になる部分だけを選んで引用してみます。(『杳子』p.8『杳子・妻隠』新潮文庫所収、以下同じ) 上の「認めて」(見留めて)は、登山に不可欠な「見る」でしょう。このように自然のしるし(兆)を知覚し
2023年12月9日 07:39
前回に引きつづき今回も、『妻隠』における「見る「古井由吉」」と「聞く「古井由吉」」を見ていきます。*「見る「古井由吉」、聞く「古井由吉」(その1)」*「見る「古井由吉」、聞く「古井由吉」(その2)」 長い記事です。太文字の部分に目をとおすだけでも読めるように書いていますので、お急ぎの方はお試しください。Ⅰ 「見る「古井由吉」」と「聞く「古井由吉」」 まず、この連載でつかっている「
2024年1月7日 07:47
今回は、古井由吉が訳したロベルト・ムージルの『愛の完成』で私の気になる部分を引用し、その感想を述べます。・「古井、ブロッホ、ムージル(その1)」 以下は、「古井、ブロッホ、ムージル」というこの連載でもちいている図式的な見立てです。今回も、これにそって話を書き進めていきます。 **聞く「古井由吉」:ぞくぞく、わくわく。声と音が身体に入ってくる。自分が溶けていく。聞いている対
2024年2月3日 08:56
今回は、古井由吉のエッセイと小説を紹介します。 前回の記事でお知らせしましたように、しばらくnoteでの活動をお休みして読書に専念するつもりでいたのですが、気になる下書きが複数あるので、ペースをうんと落として投稿する方向に気持ちが傾いてきました。ふらふらして申し訳ありません。◆雪の描写 古井由吉が金沢大学の教員として金沢に住んでいたころを回想した文章を読んでいて、感動したことがあります
2024年2月12日 09:22
今回は「「写る・映る」ではなく「移る」・その1」の続編です。 まず、この記事で対象としている、『名人』の段落を引用します。 前回に引きつづき、上の段落から少しずつ引用しながら話を進めていきます。 *開かれた表記としての「ひらがな」・「生きて眠るかのようにうつってもいる。しかし、そういう意味ではなく、これを死顔の写真として見ても、生でも死でもないものがここにある感じだ。」「生き