北居理恵

「向こう見ずな私が見る向こうの景色」‥よかったらどんな景色か覗いていってください。今後…

北居理恵

「向こう見ずな私が見る向こうの景色」‥よかったらどんな景色か覗いていってください。今後ともよろしくお願いします。

最近の記事

「子ども食堂」を予約制にしない理由‥

母と夫と、そして地域の方々と共に「子ども食堂」なるものを月に一回、平日の16時半から19時まで開いている。場所は自宅の元農機具倉庫だった建物を一部改装したところ。今年で9年目。子どもたちは100円を握り持ってやって来る。大人は300円。対象は限定せず誰でも来ることができる。 「子ども食堂」=貧困対策という印象が強いと思われるが、確かに誕生の背景にはその目的があるものの、限定すると通いにくい、入りづらいことが懸念されるため、誰でも来れる場所でありながらその中に本当に必要とする家

    • 「お先ぃです。」の言葉が好き

      私はこの言葉が好きでつい言ってしまう。エレベーターを先に下りる時や、歯医者さんを先に出る時。 でもこれ言う時って一瞬の迷いがある。言われたほうは「そんな言うてくれんでも‥」とか、「わざわざ言う?」みたいに思うのかな‥って。 でも言ってしまう。軽く会釈をしてくれる人もいれば、「どうぞ〜」って返してくれる人もいる。 たまたま居合わせた他人同士が口を聞くのはごく限られた場合であることが多い世の中だから、ある意味とても特殊な瞬間かもしれない。 めずらしく言ってもらえた 昨日は定

      • カッコええ老人‥のはずだった

        「もうちょっとカッコええ老人になると思ってたんやけどな‥」 これは昼間母が言った言葉だ。誰のことって父のことだ(笑) 最近の父の姿にゲンナリしているらしい。どのあたりが? もうそのズボンは履かんといて言うてるのに履く。サラのええスニーカーあるのにボロボロになってきた靴を履く。ランニングシャツのまま外に出る。眠たい言うてすぐ寝る。 ‥こう書き連ねていくと、なんだかヨシタニシンスケさん風に「理由があります」と、ユーモアたっぷりに続けたくなるが、理由は父にしかわからず想像すらでき

        • たまには青空の誘惑に乗るのもいい

          やらねばならない仕事もあるのに、待ちに待った涼しさと青空が、朝から悪い誘惑をした。 出かけたい‥。どこに行こうか。何をしようか。胸を駆り立てる。 出かけてしまった🌳 夫と母もノリノリ。 今日の琵琶湖はちょっと深めな、何とも魅力的な色。 湖畔で作るラタトゥイユ 準備に労力のいるバーベキューはどうも億劫なので、私はコンロと小鍋でできる料理を屋外でするのが好きだ。今日は家にあった食材を使ったラタトゥイユ。 風が強くても平気なアウトドア用ガスコンロ🔥こんなときの強い味方なのだ😊

        「子ども食堂」を予約制にしない理由‥

          十割蕎麦や、いかに‥

          十割蕎麦を食べたのは初めて‥のような気がする。 あの店この店のメニューで見るたびに、「さぞかし美味しいのであろうなぁ、しかし10食限定か‥もはや有るまい。それに少々高いのであろう?」と、メニューの写真をチラ見するだけでやり過ごしてきた、一種の憧れのようなものであった。 今日それが実現した‥いや、食べたことは実現したのだが、それがどうも夢が破れたというか、期待はずれだったのである。 まずは初心者らしく店の指示どおり味わってみることにした。何やら丸こい字で挿絵とともにオシャレ

          十割蕎麦や、いかに‥

          弟が密かに送る父への直LINEに感動してる今日このごろ‥

          世の中には、いろいろな父と息子があると思う。私の父と弟の間にも、これまた一言では表せない、ある種のわだかまりが存在した。 私の父は優しい人だけれどちょっとした困ったさんで、母はもちろん私も3つ下の弟も、父のことでは心労が絶えなかった。 よく言えば「夢追い人」。己の能力や向いている方面で夢追えばよいのに、その触角が鈍いのか、すべてうまくいかなかった。いや、唯一触角の選択した方向が合っていたものがある。喫茶店の経営だ。しかし、世の変化に町自体が翻弄される地域だったので、うまくいっ

          弟が密かに送る父への直LINEに感動してる今日このごろ‥

          義母を見送り4か月

          思い出すのは笑顔ばかりだなんて、それだけで義母は偉業を成したと言っていいような気がする。 在宅で介護していた義母、昨年の投稿で『褥瘡(床ずれ)』と闘った数ヶ月間を記したが、今年2024年5月20日、90歳でこの世を去った。約7年間の介護生活も、20年間の同居生活もついに終わりを告げた。 私は義母と話すのが下手で、ほぼ気持ちを伝えてこなかったので、葬儀の日、今までの「ありがとう」と「ごめんなさい」を手紙にして読ませてもらった🍃 「お母さん、20年間いっしょに暮らさせていただ

          義母を見送り4か月

          満月が語らせた母の昔話

          「満月を見てたらね、そろそろ誰かに話してもいいかなと思えたんよ。」 ほろ酔いになった母が突然語り出した。 それは、私が生まれるずっと前の、母が父に出会うもっと前の話だった。 そうだ、始まりはマージャンの話からだった。その日は大型台風の警報が出ており、カフェも臨時休業、外出もできず、久しぶりに家族マージャンをしてすごした。晩になり、家で映画でも見ながら呑もうかということになり、すぐに眠気の襲う父を除き、母と私と夫の3人でテレビの前でまったりしていたのだ。 夫が母にたずねた。

          満月が語らせた母の昔話

          永遠の憧れ、オニヤンマ

          「憧れど 追いつけぬ夢 おにやんま」 愚作だけど一句詠んでみた。先日、久しぶりにオニヤンマに出会った。相変わらず、スイスイと泳ぐように目の前を通り過ぎては、上手すぎる一旦停止。キレのいい動きだった。 オニヤンマは子どもの頃から憧れの存在。出会うと心ときめき必死で追った。赤トンボやしおからトンボみたいに、つかまえて真近くで見つめたかったのだ。その勇ましくも美しいカッコいい姿を。 そしてそれは今でも変わらない。さすがに、つかまえようとは思わないが、なぜか追いかけてしまう。足の衰

          永遠の憧れ、オニヤンマ

          義母の床ずれと闘った日々

          このほど、義母の褥瘡(床ずれ)がほぼ完治し、このバンザイな気分が久しぶりに「書く」気力をくれた。 昨日、ドクターが「6月から約7か月間もの間、よくがんばりましたね!」って褒めてくださってうれしかった。 たしかに毎日の手当て、がんばった💪😊 一日に2回の手当てが必要な時期もあった。患部のまわりにタオルを当てて、泡を患部に乗せ水を流して洗浄する→薬を塗る→ガーゼを当てる→テープを貼る。これを3箇所行う。 (痛みに耐えてた義母が一番がんばったのだろうけど😅) あのまま入院してい

          義母の床ずれと闘った日々

          米30キロかついでもびっくりされへんかった‥

          辺りに稲刈りの匂いが漂うので、今日はちょっと義父との稲刈りの思い出を‥🌾「とくじさんおかえりプロジェクト〜懐古編」 昔こんなことを義父から聞いた。 「一年のうちで一番好きなのは9月。誕生日があるのと、お米が穫れるから。」 まわりに農家がいない地域で育った私は、田んぼのある家に嫁いだらみんな田植えや稲刈りをしているものだと思い込んでいた。なんて真面目な性格〜。 よって、何の疑いもなく、義父からコンバインを操る手ほどきを受け、どんどこ刈るようになっていた。なんて健気〜。 ある

          米30キロかついでもびっくりされへんかった‥

          無理だと思っていた誕生日が迎えられる‥

          在宅看護始めて3週間。 義父は明後日、89歳の誕生日を迎えることができそうだ。 点滴のみの生活になって約2か月になる。が、義父は元気だ。 人が点滴だけで生きられる時間ってきっとそう長くはないのだろう。 “その時”を私たちはどのように迎えるのだろうか‥近い将来、確実にやってくる“その時”をどんな風に迎えるのだろう。 そのことは頭の片隅にずっと潜んでいる。おそらく夫も。 耳が遠く、ろれつも回りにくい今となっては言葉を発することもなければ筆談で書ける力もない。思いを交わすこ

          無理だと思っていた誕生日が迎えられる‥

          「好き」ではないけど愛せるから‥

          在宅看護スタートのいきさつを読んでいただけた方は、なんて仲のいい嫁と義父母だろうかと思われたかもしれないが、実は義父とは何度も大喧嘩をしてきた。 義母には2〜3年前まで微笑んだことすらなかった。 それがなぜこんなことに?と不思議に思われる方もあるだろう。 同居生活のなかで、理解し難いことは山ほどあり、書き連ねろと言われればおそらく30個はすらすらと書ける。 二人とも耳が遠いので、そこに居る私の気配に気づかずに続けられる陰口は何度も聞いたし、聞き捨てならぬ時は宣戦布告した。

          「好き」ではないけど愛せるから‥

          かくして在宅看護は始まった‥

          2021.9.3 退院。とくじさんは3か月ぶりに私服に着替え、3か月ぶりに病室以外の風景を見て、3か月ぶりに外の空気を吸い、なんとなく目が楽しそうだった。 そして、言葉を発することはできないが、なんとなく「家」を感じてくれているようだった。 ベッドに落ち着きしばらくして何か言いたげな様子なので「お義母さんか?今日はデイサービスやで。夕方帰ってきはるで。」と言うとうなずいた。 しかし認知症ぎみの義母との再会は微妙だった。感動の再会を少々期待したのだが(笑) 病室がそのまま空輸

          かくして在宅看護は始まった‥

          もう腹をくくるしかない! いざ在宅看護へ‥

          2021.8.5 退院後の看護の仕方を練習しに来てくださいと言われ病院へ。 2カ月ぶりの面会‥義父はやせ細っていたけど、 「淋しかったなぁ、よぅ頑張ったなぁ」と頬を撫でると小さくうなずいた。よかった‥夫と義姉と私のこと、忘れていなかった。 いや、私は穴があくかと思うほど見つめられたのでもしかしたら「この子誰やったっけ‥」って思われてたかもしれない。 アザラシ、がんばってくれた‥枕元には、うす汚れたぬいぐるみ🌿 入院して1カ月ほどたったころ病院へ届け物に行ったとき看護師さん

          もう腹をくくるしかない! いざ在宅看護へ‥

          義父の人生の最期が、このまま誰とも会わずに終わるなんて‥

          そんなことあってたまるかと、入院中の義父89歳を退院させる覚悟を決めてしまった!迷いはなかった。 義父が原因不明な発熱で入院したのは6月初め。また細菌が肺に入ったのだろう、抗生物質を投与して3日ほどで退院だな‥と思っていたら、思いがけず長引いた。コロナ禍で面会は出来ず、治療状況は病院からの連絡を待つのみで2カ月が経った。 2021.7.19   病院から電話が入った。発熱の原因は細菌ではなく誤嚥性肺炎によるものと判明したとのこと。ペースト状のもので食事を試みるが誤嚥は避けら

          義父の人生の最期が、このまま誰とも会わずに終わるなんて‥