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「子ども食堂」を予約制にしない理由‥

母と夫と、そして地域の方々と共に「子ども食堂」なるものを月に一回、平日の16時半から19時まで開いている。場所は自宅の元農機具倉庫だった建物を一部改装したところ。今年で9年目。子どもたちは100円を握り持ってやって来る。大人は300円。対象は限定せず誰でも来ることができる。
「子ども食堂」=貧困対策という印象が強いと思われるが、確かに誕生の背景にはその目的があるものの、限定すると通いにくい、入りづらいことが懸念されるため、誰でも来れる場所でありながらその中に本当に必要とする家庭の子どもが利用できるように配慮する形をとる場合が多い。
今から9年前、開始当初は子ども10人〜20人程度だったが、今では50人60人と増え、先月からは80人を超える子どもと保護者さんで100人を超えるようになった。

悔しい夜‥。たとえ大盛況でも一人が食べられなければダメなのだ

昨日も参加者は100人を超えた。しかし、最後たった2人の母娘に「売り切れました」と言わざるを得なかった今日の「子ども食堂」。9年間一度もなかったことを、してしまった。辛い。
昨日のメニューは『豚丼』。(と言っても豚肉ばかりでは値が張るので、厚揚げを重増しに加えているのだが笑)。その豚肉がついに足らなくなったのだ‥。
母娘は「いいですいいです。」と笑ってくれたが、なぜあの時、「すぐに違うもので作りますからそれでもいいですか。」と言えなかったのか‥。これまでずっとそうしてきたのに。

「もう何にもないよ、打ち切ってもらわないと。」キッチンから飛んできた言葉の圧に逆らえなかった自分が、咄嗟に信念に返れなかった自分が悔やまれてならなかった。それは、一晩明けてもなお心に重く残っていた‥。

美容院でも凹み隠せず‥

「子ども食堂」の翌日はオフにしている。先月と同じく、美容院の予約を入れていた。朝から元気が出ず行く気にはなれなかったが、とりあえず行った。申し訳ないが元気の無さ丸出しの様子だったようで「疲れてはりますね〜」と言われた。
おしゃべり好きのボスにも奥様の朝美さんにも、まったく申し訳ないのだが歯切れのよい返答ができず、ほぼ相槌に終わる会話だった。
髪をとてもキレイに仕上げてくださり気分が少しアガッた。そうだ、あのシュークリームを買って帰ろう。

「がんばった時と困った時の和三盆シュー」と名付けている。和菓子屋さんのシュークリームなのだ。少し沈んだ色の、なんとも上品な甘みのカスタード。実は以前よりひと回り小さくなっているらしい‥鋭い友人が教えてくれた(笑) 母もカフェに後片付けに来ているかもしれない。お茶にしよう。

母も同じ思いだった‥

なんと母も昨夜から悔しさを抱えていた。理由は同じだ。
キッチンではこんな会話がなされていたそうだ。
スタッフ“けいさん”「18時まわったらもう打ち切るとかせなあかんのとちゃう?」
スタッフ“まきさん”「そやけど遠くから来てはったら可哀想やん。」
スタッフ“けいさん”「やっぱり予約制にしたほうがいいと思うんよな〜。」

確かに予約制にしている「子ども食堂」は多い。しかしオープン当初から私が予約制にしないのは、「家の人が予約してくれなかったから行けない」という子を作りたくなかったからだ。実際、仕事に追われて予約の連絡など出来ようがない保護者さんはいる。

スタッフさんたちの気持ちもわからないではない。いつもどんな要望にも応えてくださる頼もしい強力スタッフさんたちだ。しかし、止まらぬ来館者、残り少なくなる鍋、悪気はなくてもパニックになってくるのが人間。雰囲気は緊迫してくる。
母は、その勢いに負けてしまった自分が悔しいらしい。スタッフさんからはいつも「足りなくなりかけても必ず何とかされるんです。」と感心されていたし、母もそれを誇りに思っていた。

たとえば文化祭での模擬店なら「売り切れました。」「来るのが遅いからもうありません。」‥それでよい。しかし「子ども食堂」は趣旨がちがうのだ。
「最後に来た親子が万が一、生活に苦しくて食事を求めて来たのだったら‥」(そういうことはほんとうにあり得るのだ)
「これからは何としても信念曲げず、追い返すことだけはしないでおこう。」 気持ちを新たにした。スタッフのみなさんも、話せばきっとわかってくださる方々だ。
母は私が同じ思いでいたことに安堵し急に元気になった。私もまた然り。二人でシュークリームを頬張りながら誓い合った。

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