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米30キロかついでもびっくりされへんかった‥

辺りに稲刈りの匂いが漂うので、今日はちょっと義父との稲刈りの思い出を‥🌾「とくじさんおかえりプロジェクト〜懐古編」

昔こんなことを義父から聞いた。
「一年のうちで一番好きなのは9月。誕生日があるのと、お米が穫れるから。」

まわりに農家がいない地域で育った私は、田んぼのある家に嫁いだらみんな田植えや稲刈りをしているものだと思い込んでいた。なんて真面目な性格〜。
よって、何の疑いもなく、義父からコンバインを操る手ほどきを受け、どんどこ刈るようになっていた。なんて健気〜。
ある日、見渡せば広〜い田園に一人で稲刈りしていた時間があり、聞こえるのは私のコンバインの音とスズメの鳴き声だけ。その時初めて「あれ?若い奥様たち稲刈りしないものなの?私だけ?」って気づいた。車の運転好きな私はやはりコンバインの運転も楽しくて好きでやっていたからいいのだけど。


刈り取った米を乾燥機にかけて、もみすりして30キロの袋に詰めて井桁に重ねて積む。懐かしい一連の作業。
何十個にもなる米袋をかついで積む作業に手を貸さずにはいられず、これまた真面目な私はそれをもやってのけた。
しかし、「おぉ!えぇ力してんな。」とか「ムリせんでえぇで。」というような普通の会話は、ない。
びっくりもされず止められもせず。そないして、もしも腰を痛めてしまったらアホらしいなと思い手を抜いたりしたものだ。
この辺の人はみんなそうなんかいなと思っていたら、知らないうちに「力持ちのヨメさん」で名が通っていることを知った。物言わぬのはこの義父だけだったのか‥恐るべし昭和な男だった。ただ単に女性と口を聞くのが苦手だっただけなのかもしれぬ。

相談もせず決意した引退‥

数年前、義父は私たちに相談もせずに、農業一切を組合に任せることに決めた。ちょっとガッカリだったけど、米作りは私の見えないところでの苦労が山ほどあって、とても引き継げるものではない。
ここで一つ。

田んぼがある家に嫁いだからこそ知ったこと、その①


雑草の除去をさぼれば、粟や稗がニョッキニョキと出てくる。時々そういう田んぼを見かける。教えてもらうまでは気にも留めなかったのに知ってしまうとものすごく目につく。黄金の稲穂に混じって、つんつくつんつくと出ている、稲穂じゃないやつ。あまりに多いと「あそこの田んぼはひどい」と囁かれるのである。
義父はそんなこと許さなかったし、几帳面なので小まめに田へ足を運んでいた。
誰にも相談せず引退を決めた義父の潔さに感服したのを覚えている。
いま、とくじさんにはどんなふうにこの稲穂の田園風景が映ってるんだろうな。

田んぼがある家に嫁いだからこそ知ったこと、その②


稲刈りの日は、天気予報を見ながら9月の上旬に何日かかけて行われた。
品種によって刈る時期がちがう。一番早いのが「きぬひかり」だった。最も遅いのは「日本晴」。刈り取りの時期をずらせるのでちょうどよかった。「コシヒカリ」も遅めだった。下旬になるほど台風の襲来が増えるので、倒れやすい「コシヒカリ」は心配だった。そして刈り取りも難しいので、だから高価なのだな‥と解釈している。

ありがとうと、伝えようかな‥

軽トラの陰に座って、おにぎりをみんなで頬張った。
イナゴがぴょんぴょんと跳ねていた。
時には野ネズミがコンバインから追われるように目の前を走った。
籾の微粒子が肌につくのでピリピリする。
それもこれも、もう二度と体験することのない思い出。
今となっては、とくじさんありがとう。近いうちに伝えようかな‥。文字で書けば伝わるかな‥。




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