満月が語らせた母の昔話
「満月を見てたらね、そろそろ誰かに話してもいいかなと思えたんよ。」
ほろ酔いになった母が突然語り出した。
それは、私が生まれるずっと前の、母が父に出会うもっと前の話だった。
そうだ、始まりはマージャンの話からだった。その日は大型台風の警報が出ており、カフェも臨時休業、外出もできず、久しぶりに家族マージャンをしてすごした。晩になり、家で映画でも見ながら呑もうかということになり、すぐに眠気の襲う父を除き、母と私と夫の3人でテレビの前でまったりしていたのだ。
夫が母にたずねた。
「秀ちゃんはどこでマージャンを覚えはったんですか?」
母「私な、近所の3人男兄弟のいはるお家にお花を生けに行ってたんや。そこで教えてもろた。」
そうだったのか‥娘の私も初めて知る話だった。
母の話はそれで終わらず意外な方向に展開した。
母語る‥
「実はな、その兄弟の一番上の長男とつきあってたんよ。いろんな所に遊びにも行った。けど、その人は会社を経営する伯父さん宅へ養子に出る約束がなされた人で、女2人姉妹で姉がすでに嫁いでる私には結婚は無理だと、ある日そこのお母さんから言われた。つきおうてることがバレてたんや。うちのおばあちゃんからも反対された。それでも二人は密かに会い続けた。だけどちょうどそのころ、私に京都支店への転勤辞令が出てね。私の中では、これがついに来た潮時だと思った。今の京都タワーの中に事務所があって、転勤後も彼はそこに会いに来てくれた。だけどこれを機会に諦めねばと自分に言い聞かせた私は会わないようにしたんよ。そんな時、現れたのが今のパパ。これは初めて人に語ること‥。」
私と夫は、母が胸に秘めていた若き日のロマンスに、なんだか胸を打たれた。
若き母がおしゃれをして微笑みながらデートする幸せそうな姿がモノクロ映像で頭の中を巡った。
実は、母は父と結婚して並々ならぬ苦労を重ねてきた。父は癖とも言うべき夢追い人なところがあり(いやコレは私がまちがいなく引き継いでいるのだが)、母は家庭の経済を持ち堪えさせるため、約40年働きづめに働いた。時には、やりたくない仕事もあった。
母は言った。
「でもね、人は心の中に、ほろ苦くとも美しい思い出があるとね、どんな苦労に出会っても生きていけるものなのよ。」
その思い出は、苦労続きの母を支えていたのだ。
そして、その話にはさらに驚く続きがあった。
今から10年ほど前、およそ50年ぶりに母はその人に出会ったのだ。
「パパが網膜剥離で入院していた時のことよ。病院のエレベーターの中で偶然出会ったんよ。お母さんが入院されててね。」
“母に会ってやってくれるか?”とその人は言ったそう。母は病室に会いに行った。
“秀ちゃん、ごめんな。あのとき、一緒にならしてあげたらよかったのに。悪かったな、ごめんな。”と、ベッドの上のお母さんは言われたそう。
知らなかった。病院の一つ下の階でそんなシーンがあったとは。
母が今の今まで胸にしまっていた一つのストーリー。満月の引力とはすごいものだな‥時には心の鍵まで開けてしまう🗝️ 私は聴くことができてよかったと思っている。母の元気なうちに、母の青春の1ページを知ることができたのだから。ありがとう、お月さま。
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