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十割蕎麦や、いかに‥
十割蕎麦を食べたのは初めて‥のような気がする。
あの店この店のメニューで見るたびに、「さぞかし美味しいのであろうなぁ、しかし10食限定か‥もはや有るまい。それに少々高いのであろう?」と、メニューの写真をチラ見するだけでやり過ごしてきた、一種の憧れのようなものであった。
今日それが実現した‥いや、食べたことは実現したのだが、それがどうも夢が破れたというか、期待はずれだったのである。
まずは初心者らしく店の指示どおり味わってみることにした。何やら丸こい字で挿絵とともにオシャレに書かれた食べ方の説明書きが、ラミネートされたカードになってテーブルに置かれていた。最近よく耳にする「己書(おのれしょ)」というやつだ。ここでもか、流行りだな。
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まずは塩だけで食べてみよと書かれている。おぉ!蕎麦の香りがするではないか!これが十割蕎麦か‥。
と、3口目まではよかったのだが、どうも歯に纏わりついて口の中でモタつき始めた。え、みんなどうやって食べてるの? まわりをキョロキョロしだす私。みんな困ってないのかな‥。入れ歯なんかしてる人、大丈夫なのか?
向かいに座ってる母の皿が目に止まった。天ぷらはまもなく完食されようとしているが、蕎麦はまだこんもりと残っているではないか‥。あれはきっとノツコツしているのだ。
(→ノツコツの意味? これはもしや方言かもと調べてみた。やはり関西では通じる人がいるようだ。食欲がなかったりお腹がいっぱいだったりで、箸が進まずモタモタすること‥である。)
母はやはり困っていた。結局母も私も考えだした対策は、残りをすべて蕎麦ちょこに入れ、蕎麦湯も足して、どうにかこうにか口の中で処理しやすくしようという方法だった。
私には蕎麦を味わうセンスがないのだろうか‥と、自分を少々卑下しながらの結末だった。
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そんな時、父が言った。「その昔、徳川家康も十割蕎麦の食べにくさに辟易し、作らせたのが二八蕎麦やったと聞いたことがある。」たまに飛び出す父のうんちく。こういう時だけ父を素直に見直す。
そんなわけで、人生初の憧れの十割蕎麦は、描いていたものではなかったけれど、家康と同じ体験ができたというだけで妙に満足した。
はて‥、他のお店の十割蕎麦もそうなのだろうか。あの店はどうだろう、もしくはあの店は?と、頭の中でいくつかの蕎麦屋さんが巡った。確認するには注文せねばならぬが、また口の中で格闘するのかと思うとその勇気はない。きっと私の中での十割蕎麦イメージは今日の日のままだと思う‥。