らくがき帳

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「リラックスのやり方がわからない」は意外と簡単に解決できた  (副題「社畜」という言葉を簡単に使うのをやめよう)

結論:意識的に腹式呼吸をする 理由:普段腹式呼吸をしていると思い込んでいたが、そうではなかったため 私はASDで言葉を字面通り受け取る傾向があり、特に「社畜」という言葉について、本当に働く人は家畜以下の扱いで奴隷のように生かされているのだと思い込んで生きてきた。 だが(もちろんそのような状況に陥っている人がいる事は認めるが)自分の現状はそうではない。 かなりストレスの低い恵まれた職場だとは思うが、出勤前はやや緊張する。 思うに、「働く事は恐ろしい事、死に物狂いでやらな

    • 「1回失敗してみる」ススメ(RPGゲームに例えて)

      前回のnoteで、「次に失敗した時、それによって受ける(精神的・社会的な)ダメージを避けようとせず、正面で受け止める」と決めて生きてみる、と言うことを提唱した。 それで失敗するまで生きてみて、「失敗しても案外いじめられない」とわかったり、「失言して誰かと敵対してしまっても、意外と自分は生きていける」と言うことが実体験としてわかれば、その後の人生はそれまでより優等生っぽく生きずともある程度ありのままで過ごせるようになる。という話だった。 後者の方がわかりにくいかもしれないの

      • あなたは臆病なのではない、リスクを過大評価しているか、自分の耐久性を過小評価しているのだ

        真面目さと臆病さについて面白い名言を発見した。ソースを見つけてないので本当に松下さんの発言なのかは知らないが、当てはまると思う人も多いのではないだろうか。 なぜ人が臆病になるのかというと、あなたの行動や失敗によって、「怒られる」「嫌われる」「仲間はずれにされる」「いじめられる」など、他人から嫌な結果を受けることが怖くなるからである。少なくとも私はそう思う。 特に親が厳しかった人なら、親から非難されるのを防ぐため、つまりは「生き残るため」に優等生っぽく振る舞わなければなから

        • 「安全な試せる環境」を万人に行き渡らせないといけない

          これはアイデアの根っこの話なんだけどさ。 コミュニケーションについて「安全で、発言や行動を試せる環境(そして、それは大人でも参加できる)」を作りたいと思った。 小学校の情報の授業で(中学だったかな?)ビジュアルプログラミングでロボットに行動を覚えさせるって授業があったんだけど、 ロボには部品による個体差があるからさ、90度右に曲がらせたい時、87度で入力する必要の個体もあれば、100度で入力してやる必要のある個体もある。 そんなときどうやって正しい角度を図ると思う?

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        「リラックスのやり方がわからない」は意外と簡単に解決できた  (副題「社畜」という言葉を簡単に使うのをやめよう)

          「ないなら作る」精神の弱点

          あんまり詳細に書くと身バレしそうなのでぼかすが、私は何を作るにしても「それが足りなくて自分が困ったから、それを作る」のである。 ほしいものが「ない、たりない」から作るのだ。 あくまで「ないことを理由に」作るのであって、すでにモノがあるならそれを使う、というスタンスだ。しかし、これには少し問題がある。 何が困るかと言うと、すでに必要なものが使える状況にある限り、自分では何も作り出せないないのである。 一番わかりやすいのがプログラミングだ。パソコンを使っていて「こうだった

          「ないなら作る」精神の弱点

          「嫌われる勇気」より「嫌われ"慣れる"こと」

          無謀な行動って、1回くらいならなんとかできちゃうんですよね。 理由がなくても無理やり自分の意見を言ったりとか、思ったことを馬鹿正直に話したりとか。 で、その後怖くなって、その場所から逃げてしまう。2度といかなくなる。 「勇気」って単語がよくないと思います。単発的な、その場でグッと行動するための言葉に見えてしまう。 それよりも、「嫌われ続けることを恐れないことを継続する心」と言った方が適切じゃないでしょうか(読みにくい…)。 もっと本書に即して言うなら、「自分の課題に

          「嫌われる勇気」より「嫌われ"慣れる"こと」

          論理的スピリチュアル① 「同じ問題が繰り返される」が当たり前な理由。

          スピリチュアルでは「同じ問題は再びやってくる」と言うことがあると思います。 人生を過ごしていると、過去に解決できなかったのと似たような問題がまたやってくるという話です。 でもこれって全然スピリチュアルでもオカルトでも何でもなくて、自然なことですよね。 僕はこれはスピリチュアルというより、「人生で解決できる問題の方が多いことのあらわれ」だと思っています。わかりにくいですか?少し噛み砕きましょう。 小さな「問題」そのものは毎日起こってるんです。 「上司(先生)に怒られた」

          論理的スピリチュアル① 「同じ問題が繰り返される」が当たり前な理由。

          問題は問題ではない

          「問題」と思うことは、その時点で必要な「適応」であり、時間がそれを解決する。 よほど深刻でない限り、その「問題」について深刻になる必要はない。 自分が状況に適応した結果そうなっているだけである。

          問題は問題ではない

          愚か者は痛い目に遭わなければ理解できないが、“痛い目に遭えば”なんでも理解することができる。

          だから、実体験を通さずに悩みを解決することを諦めることにした。 愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶと言う。これを具体的に言い換えると、「愚か者は自分で経験しないと理解できないが、賢いものは本を読んだり教えてもらったり、観察したりなどして、他者の経験からも学ぶことができる」という言葉である。 「賢者は歴史に学ぶ」と聞き、なるべく本を読むように努めて来たが、結局のところ自分が腑に落ちなければその内容を理解することはできない。 本を読んでわかった気になった程度のことは、数日〜

          愚か者は痛い目に遭わなければ理解できないが、“痛い目に遭えば”なんでも理解することができる。

          【アイデア】利益度外視で「人の不安を解消する」ことにだけ特化したメディア

          久々に、アイデア紹介をすることができる。 前回の終わりで書いた通りだが、「人の不安を解消していくサイト」を作ろうというアイデアである。 例えば前回の例で言えば、働いたことのない若者…特にインターネットのネガティブな意見に浸っており、視野が狭い傾向にあり、かつ偶然周りに不幸な労働者が多い若者にとっては、「大人になること=社畜になり生き地獄を過ごすこと」となってしまう。 しかし実際には、楽しく暮らせている大人もいるし、少なくとも「死にそうな気持ちで生きている大人ばかり」が真

          【アイデア】利益度外視で「人の不安を解消する」ことにだけ特化したメディア

          「社畜」という言葉に関する良質な記事の紹介。実は「自分は社畜ではない」と感じている人は全体の86%。

          情報…特にインターネットの情報をみると、労働者を何でもかんでも「社畜」と呼び、とにかく社会人の辛い面を書き連ねている人が多いように感じないだろうか。 ASD傾向でなんでも信じがちな学生からすると、労働者を何でもかんでも「社畜」と呼び、労働者の辛さを強調して話す現代の風潮は、大人になることへの不安を無意味に増大させると いうことは先日語ったばかりである。(詳しくはプロフ固定記事で) このテーマについて、良い記事を発見した。 タイトルこそ不安を煽るものであるが、中身は86%

          「社畜」という言葉に関する良質な記事の紹介。実は「自分は社畜ではない」と感じている人は全体の86%。

          「慣れ」の力は最強。

          「慣れ」の力はすごい。どんな問題であっても、あらゆる「コツ」「方法」よりも、一番頼れるのは「慣れ」…すなわち経験である。 そしてこの「慣れ」は思ったより早く発生する。1〜2回の経験で十分である。 最初はすっごくドキドキするような挑戦でも、3回目となれば全く平気なことを経験したことがないだろうか? モノによっては2回目で平気になることもあるかもしれない。 全然関係ない話になるが、私は「実社会では叱られたり理不尽な目に遭わされまくるのが普通なので、子供は可能な限り厳しく教育

          「慣れ」の力は最強。

          アイデアを思いついても試作品 "プロトタイプ" が作れない

          まだ公開してないが「アイデアを思いついた」という記事を書いて、そこにこう書いた。 「自分なりに真剣に考えましたが、結局妄想レベルでおわっちゃうんです。 いつもそうです。ほんの少し技術があれば試作品を作ってみて「こういう理由でこのアイデアはうまくいかないのか」と理解できるんだと思うのですが、壮大なことから先に思いついてしまうから全く試せず、成長せず、同じ事を繰り返しています。」 と。だが本当はちがって、本当の問題は「当事者意識がないと頑張れないこと」かもしれない。 「自

          アイデアを思いついても試作品 "プロトタイプ" が作れない

          人は「体験」ではなく「思い出」を買っている

          「人は」と書いたが、本当は「自分はこれからそうする」である。 ある時、人は「体験」そのものではなく「思い出」のためにお金を出すのではないかと思うようになった。 あるお土産屋によって適当な商品を一つ、つまんでじっと眺めていたんだ。 私には感性というものがあまりないので、それそのものを見ても特に何も思わなかった。 でもそこで、もし、友達か、もしくは恋人と一緒に来ていたら?と空想してみた。 その売り場の変な商品を前に、色々と面白がったりするだろうと思った。 これはきっかけ

          人は「体験」ではなく「思い出」を買っている

          「音楽を楽しめない」と思う人への新しい楽しみ方の提案。

          私はあまり音楽を聞かない。あまり共感しないからだろうか? 今日は「他の人とのコミュニケーションを円滑にする、社会学習をする」というつもりで流行りの音楽についてさぐっていたのだが、面白いことに気づいた。 「自分が共感できる」曲を探すというつもりで曲を探すと、結局見つからなくてがっかりすることの方が多いのだが、 曲を聴くとき「他の人はこういう見方で世界を見ているのか」と思いながら聴くと、穿った見方かもしれないが、これが実に面白い。 歌詞にはクリエイターの想いが込められてる

          「音楽を楽しめない」と思う人への新しい楽しみ方の提案。

          「大人になるとゲームができなくなる」の個人的真実

          「大人になるとゲームができなくなる」みたいな言葉がよくあると思うんですけど、実際なってみて思うのは「本当はやりたいのにやる気がなく遊べなくて辛すぎる」んじゃなくて、「そもそもやりたいという欲求自体が下がる」からそんなに辛くないんですよね。 まあそうじゃない人もいるかもしれませんが。ただ他に有意義なことができそうならそっちに興味が向くだけ。 やるべきことをやってリラックスしたくなったら普通にゲームを遊ぶこともある。 なんでも間に受ける自分もアレなんですけど、こう言った一つ一

          「大人になるとゲームができなくなる」の個人的真実