あなたは臆病なのではない、リスクを過大評価しているか、自分の耐久性を過小評価しているのだ
真面目さと臆病さについて面白い名言を発見した。ソースを見つけてないので本当に松下さんの発言なのかは知らないが、当てはまると思う人も多いのではないだろうか。
なぜ人が臆病になるのかというと、あなたの行動や失敗によって、「怒られる」「嫌われる」「仲間はずれにされる」「いじめられる」など、他人から嫌な結果を受けることが怖くなるからである。少なくとも私はそう思う。
特に親が厳しかった人なら、親から非難されるのを防ぐため、つまりは「生き残るため」に優等生っぽく振る舞わなければなからかった人も多いだろう。
さてここで臆病をやめようと思えば、「今は大人で他人に命を握られているわけではないし、たとえ会社で嫌われようとも最悪クビになるだけで死にはしないので恐れないようにしよう」という結論に至るだろう。
しかし、理屈ではわかっていても腑に落ちないと理解できないのが人間である。
というわけで、新しい対処法を提案する。
まず前提として、あなたに「臆病」という属性がついてしまっているのではなく、人生を生きているうちに「リスクを過大評価する癖」もしくは「自分の耐久性を過小評価する癖」がついているのだと考える。
この実験をすることで私は後者だと気づいた。
で、何をするかと言うと、「一回失敗してみる」のだ。
わざと自分から失敗しに行く必要はないが、
「次の一回だけ、失敗をした時にそれによって受ける(精神的・社会的な)ダメージを避けようとせず、正面から受け止める」と心に決めておくのだ。
そしてまあ、生きていればそのうち失敗する。
失敗した時に、実際に周りから思っていたようなマイナスの対応をされないのであれば、「リスクを過大評価していた」のだとわかるし、
思っていた通りに対人関係において悪い影響が発生してしまったとしても、それを受けて自分のメンタルが保てたのであれば「自分の耐久性を過小評価していた」のだとわかる。
もし失敗した際に他者からマイナスの仕打ちを受けて、そして自分のメンタルが持たなかったのであれば、あなたは臆病だったのではなく、適切な危機管理をしていたと言うことがわかる。実際にマイナスの影響が出るし、自分がそれに耐えられないのであれば、避けるのは正しいことだ。
この実験は一度痛い目に遭わなければならない。失敗した時のストレスは食らうだろう。しかし机上の空論で自分を納得させるよりは大いに実行しやすいものだ。
「実際には失言してもそこまで嫌われない」とわかったり「誰かに嫌われても死にはしない」と腑に落ちれば、そのあとはこれまでより多少は勇敢に行動することができるようになる。
まあ、失敗や失言には程度もあるし、相手との相性もある。これは実験というよりかは自分の運を試し、自分を納得させるための行動かもしれない。もしも対人関係がマイナスになり、かつそれに自分が耐えられないという1/3の結果を引いてしまった場合は、ひとまずゆっくり過ごそう。
しばらくしたらメンタルが回復して「ありのままで過ごして多少のダメージを食らっても意外と(回復力も含めて)大丈夫だ」と思えるかもしれないし、「結局臆病だったのではなく、現状においても自分にとっては過負荷なリスクを避けるために必要な危機管理だった」と結論づくかもしれない。
まあ、うまくいこうとうまく行かなこうとも、逸脱することへの経験値は積むことができる。
とにかく、「『1回だけ』と思い込むことでダメージへの恐怖を少しでも減らすことができる」という話でした。