「嫌われる勇気」より「嫌われ"慣れる"こと」

無謀な行動って、1回くらいならなんとかできちゃうんですよね。

理由がなくても無理やり自分の意見を言ったりとか、思ったことを馬鹿正直に話したりとか。

で、その後怖くなって、その場所から逃げてしまう。2度といかなくなる。


「勇気」って単語がよくないと思います。単発的な、その場でグッと行動するための言葉に見えてしまう。

それよりも、「嫌われ続けることを恐れないことを継続する心」と言った方が適切じゃないでしょうか(読みにくい…)。


もっと本書に即して言うなら、「自分の課題にのみ集中し"続けること"」が大事だと思います。

少なくとも自分の場合は、自分が正しいと信じたことを、他人がどう思うかを恐れず「一度やる」ことはできてしまいます。

しかし、その後復讐や批判が怖くなり、その一度を皮切りに非常に消極的になります。

大事なのは継続です。

だからこそ、例え嫌われようとも、報復や批判の恐怖を感じたとしても、自分の思う行動を取り「続ける心」を大事にしたいと思いました。

それは「勇気」というよりは「慣れ」の方が近いように思います。


なぜ「忍耐」にしないのかというと、無理やり我慢する「忍耐」ではいずれ必ず折れてしまうからです。

もちろん慣れるまでは忍耐と感じることもあるかもしれませんが、最終的な着地点としては他者がどう思おうがそれは他者の課題だと完全に割り切れる「慣れ」こそが安定的で、持続的な心のあり方ではないかと思った次第です、




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