「ないなら作る」精神の弱点
あんまり詳細に書くと身バレしそうなのでぼかすが、私は何を作るにしても「それが足りなくて自分が困ったから、それを作る」のである。
ほしいものが「ない、たりない」から作るのだ。
あくまで「ないことを理由に」作るのであって、すでにモノがあるならそれを使う、というスタンスだ。しかし、これには少し問題がある。
何が困るかと言うと、すでに必要なものが使える状況にある限り、自分では何も作り出せないないのである。
一番わかりやすいのがプログラミングだ。パソコンを使っていて「こうだったら良いのにな」と思う事があっても、インターネットで調べればなんでも便利なソフトウェアやプラグインが出てきてしまうのである。
すでに"ある"し、仮に自分で作ってもそれより劣ったものしかできないとわかりきっている以上、どうして劣化コピーを作ろうと思おうか。いや思わない(反語)
自分程度の存在が思いつくアイデアはすでに他の誰かによって成し遂げられており、それを検索して見つけ出し、使う側に回った方が100倍楽である。
こう言う人へのアドバイスとして「既成のものにオリジナルでプラスアルファを付け足したものを作れ」とも言うが、そのプラスアルファを付け足したものだって、ネットで調べれば似たようなものが(いや、もっと優れたものが)誰かがすでに作っている。
「自分のために作る」というスタンスだと、何かクリエイティブなことに憧れても、既に世にあるものによって自分の必要な分が満たされた時点で「何かを作り出す」気力がなくなってしまう。
そしていざ作りたい、そして誰も作っていないものを思いついても、何も作っていないので技術が足りていない。
何かを作るよう頼み事をしてくれる人がいないなら、どこかの誰かの劣化版だとしても「作る練習」をしなくてはいけない。
料理のようにやるのか?
これは思いつきなのだが、他の初心者プログラマーは「料理のように」プログラムを作っているのではないか?と考えた。
料理はレシピを見て、真似ることから始まる。
技術が低いうちはプロの料理人と比べて味も風味も劣るものしか作れないが、繰り返し練習することで成長できる。
オリジナリティはないしすでにあるものの劣化コピーかもしれないが、作ることに意義がある。特に趣味として料理をする場合は。
…しかし料理とものづくりでは根本的に異なる点がある。
料理は(よほどメシマズでなければ)自分で作れば外食より安く作る事ができ、作った後自分で食べて楽しむ事ができる。
物理的に何かを作るにしろ、プログラムを作るにしろ、ほとんどの場合前者は通販で、後者はインターネットで、より安価で、そして優れたものを手に入れられてしまう。
自分で何かを作ったところで、私自身がそれを楽しむことは全く持ってないのだ。
「問題を解決する」「必要なものを得る」という点では、誰かが作った既製品で十二分に足りているのである。
どうやって練習するんだろう?
結局振り出しに戻ってしまったが、「何かを作る」ことに憧れを抱いたとしても、発想力と技術力が足りていない人は、どうやって新しいものを作る練習をするのだろうか?
自分で作ったものはいつもただのゴミになってしまう。適当に探して、他の人の作ったものを使う方がいいからだ。ゴミを作ると思うと、気力がなくなってしまう。
自分では使わないし誰も使わないとしても、練習のためだけに作ることを続けるのだろうか?私にはそんな根性はとてもない。
…そして、この記事は私が世界でも5本の指に入るほど恨んでいる、問題提起をしておきながら解決策を述べないタイプの記事になってしまった。もっと悪いことに、noteはログインをしないとコメントを残す事ができない。
不躾で申し訳ないが、もし似た状況を乗り越えた人や、アドバイスに心当たりのある人がいたら、捨てメアドでもいいのでアカウントを作り、コメントを残してほしい。