論理的スピリチュアル① 「同じ問題が繰り返される」が当たり前な理由。
スピリチュアルでは「同じ問題は再びやってくる」と言うことがあると思います。
人生を過ごしていると、過去に解決できなかったのと似たような問題がまたやってくるという話です。
でもこれって全然スピリチュアルでもオカルトでも何でもなくて、自然なことですよね。
僕はこれはスピリチュアルというより、「人生で解決できる問題の方が多いことのあらわれ」だと思っています。わかりにくいですか?少し噛み砕きましょう。
小さな「問題」そのものは毎日起こってるんです。
「上司(先生)に怒られた」とか、「締め切りに遅れた」とか…
もっと小さいことにすると「今日どの服を着て行くか」とか、更に小さいものにするなら「どうやったら呼吸ができるのか」とか。
でもそれらの問題って、大抵それが起きた当日とか、数日とかで解決することができて、自分の記憶には残らないですよね。
そう、「問題」そのものは毎日たくさん起きていて、でも解決できたり、解決できないにしてもなんとかなってしまうから記憶に残ってないだけなんです。
自分がその問題を対処/回避できなかったり、何とかできても悪い感情が強く発生するような出来事だからこそ印象に残り、たとえ数回しか起きてなかったとしても(その苦手な出来事が)「何度も繰り返し起きる」と感じるわけです。
本当は気にも留めていない、繰り返されている「問題」は何百個もあるかもしれませんが。
人生で気に留めずにいられる問題の方が多いからこそ、自分の苦手な問題ばかり繰り返されるように印象づけられるのです。
で、もっと具体的に「繰り返し起きる問題」ってなんなのかって言うと、「それに対処する能力が自分に足りてない問題」になるわけです。
例えば…検索上位のヤツから持ってきますが、「似たような(苦手なタイプの)人と隣の席になりがち」という問題は、実際は多少の確率の偏りでしかなく…
そのタイプ以外の人とのコミュニケーションはうまく取れるため印象に残らず、苦手なタイプの人とのコミュニケーションを取る能力が不足しているから、そういった人と隣になると嫌な記憶が発生しがちになり、そのことが印象に残るからでしょう。
よくいじめられるという問題であれば、いじめを回避する能力や、いじめを解決する能力が足りていないため、新しいコミュ二ティに入るたびにいじめの被害が印象に残るため「よくいじめにあう」という認識になります。
まあ、結局肝心なのはその問題を解決することです。仮に運命や魂がうんたらかんたらで、本当にその問題が起きやすい人生だったとしても…
「その問題に対処する能力」をできるだけ高めてしまえば…(例えば毎秒呼吸をやり遂げたり、毎朝服を選ぶことができるように。)
仮にその問題が頻繁に発生するとしても、何とも思わなくなるわけです。
長くなったので意見をまとめると、「同じ問題が繰り返される」というのはあたりまえで、なぜなら「問題」そのものは毎日起きているが、対処(もしくは受け流し)可能な問題は印象に残らず、自分の力では対処できない(解決/受け流し能力が足りない)問題が悪い記憶として印象に残るため、自分の記憶の中では「同じような問題が繰り返される」となるわけです。
まあ、上の画像の通りですね。
まあ、えーっと、とにかく。
スピリチュアルの教えを受けて現実的で具体的な行動が取れるならそれで良いですが、もし今、目の前にある具体的な問題の、「解決方法を検索できそうなら」今それを検索してそっちを実行した方が問題解決に近づくと思います。
まあ、もちろん、自分の成長だけでは解決できない問題もあるので、その時は頼れる他の人を頼ってください。
とにかく、何か願っているだけよりかは何かしら行動をした方が100倍…おっと、0に何を掛けても0ですが………とにかく良いと思います。
8年(うろ覚え)スピリチュアルにハマって結局何も得なかった人より。
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