マガジンのカバー画像

短編小説1000字

100
大体1000字くらいの短編小説です
運営しているクリエイター

2020年3月の記事一覧

短編小説 寄り道

海が見たかった。智史はゲーム機の電源を落とすと洗面所で髭を剃った。いつも休みの日は剃らずに過ごしているのだが、海に行くなら剃らなければいけないような気がした。  

智史は幼い頃両親の離婚で一人だけ父親に引き取られた。それからは定住の地といえるものがなかった。父は何度も職を変え、思い出と言えるものは何処でもなく海という漠然とした概念だけだった。父は三年前に死んだ。  

ちょっとしたドライブになる

もっとみる

短編小説 休日

熱は六度八分だが、頭が痛い。本格的に風邪をひいてしまったようだ。草太は眼をぎゅっと瞑ると、前日買っておいたポカリスエットを一口飲んだ。こんな日は一人が辛い。
恋人、友人、親。誰でもいいからそばに居て欲しくて、連絡するべき人間が誰も思いつかなかった。恋人はいない。友人と呼べるほど気を許した人間はいない。親は論外である。  

幼い頃からひとりぼっちだった。共働きの両親から、役割は与えられてもこんな時

もっとみる

短編小説 居

浩二は家に戻ると電気をつけて大きく息をついた。四畳半の小さな部屋。これはセカンドハウスだった。道中あるスーパーで第三のビールと惣菜を一つ買い、ここで一杯やってから家へと帰る。それが日課だった。  

もちろん部屋を借りるにあたり、葛藤はあった。毎日居酒屋では金が続かないし、車は持っていない。カラオケや漫画喫茶でもよかったが、なにより落ち着く場所が欲しかった。妻は帰れば寝ているし、たまに会う子供たち

もっとみる

短編小説 明日を越えて

センセーショナルな彼氏だった。芸能事務所に所属し、学校にはあまり来ず、来たとしても女性に囲まれそれを自慢するような人だった。  

グループデビューが決まったからと私は一方的に別れを切り出された。いつかこんな日が来ることはわかっていたから私は彼に「私のどこが好きだったの?」と聞いた。
彼は少しも悩まずに「俺になびかないところ」と言った。だとしたら彼は全く私の事がわかっていないということになる。私は

もっとみる

短編小説 「13日に帰ります」

用件だけを送って文香はスマホを置いた。そのまま冷蔵庫まで歩いてビールを一本取り出す。
実家に帰るのは何時ぶりだろうかと思い起こす。
少しお節介な母親と寡黙な父が待っていたらどんなにいいだろうかと思う。ただ、待っているのは吝嗇な父と、静かに従う母と、ニートの兄なのだ。文香は高校を卒業すると、逃げるように地元を出てきた。兄が手に負えないと何度母から連絡を貰ったか。兄は物静かなので、そんなに手がかかると

もっとみる

短編小説 愛すよ

煙草の箱を投げられた。首を傾げて避ける。今度はライターが飛んでくる。ライターは胸に当たりぽとりと股間の上に落ちた。
美佳はカッとなると手が付けられない。蒼はため息を一つついて立ち上がり、まだ興奮している美佳の手をおさえた。  

今日のモンダイは蒼が指輪をしていなかった事である。蒼はアクセサリーを付けるのを生理的に受け付けないので、いつも付けたり付けなかったりしている。美佳が言うには今日は記念日ら

もっとみる

短編小説 もうひと押し

セフレの女がいる。友達とセックスしてる。好きな人が身体だけ許してくれる。
言い方はともかくアイコは俺に心を許さない。
今すれ違った女達が、俺らを見てお似合いのカップルね、と言った。俺は満更でもない気分になる。そんな俺にアイコは必ず釘を刺す。
「カップルだって、笑っちゃう。ただのセフレなのに」
「…お前可愛げ無いなぁ」
「事実を言っただけでしょ、これから向かう場所は?」
「ラブホテル」
「よくできま

もっとみる

短編小説 コーヒーの味がする

バイト終わり、由紀恵さんと二人きりで公園にいた。ご飯に行こうと言っても、酒をおごると言ってもなんとなくノーと言われ結局公園でコーヒーを渡した。
それでも裕太は今日こそ上手くいくと確信があった。家庭ある人が(公園とはいえ)時間を取ってくれたのだ。
由紀恵さんは指輪を付けていない。金属アレルギー、洗い物で手が清潔を保てない、サイズが変わった。時々によって理由は変わったが指輪を付けていたくない、何かがあ

もっとみる

短編小説 気だるい女

奈津はコーヒーをいれようと思った。お湯を沸かしながらマグカップにインスタントのコーヒーを入れようとして、手を止めた。自分のために用意するのはやめようと思った。そのままその場に座り込んで、膝を抱えるようにした。何もかも疲れてしまったのだ。  

特に思い当たるような事は何も無い。ただ、電車を一本見逃してそのまま反対行きの電車に乗ってしまうような気持ちがわかるような気がした。
スマホから通知音がする。

もっとみる

短編小説 産みの苦しみ

吉野は鍵盤から指を離すと大きな息をついた。締切を過ぎているのに曲が出来上がらないのである。
吉野は天から音符が降ってくる、という天才型ではなく規則正しい生活の中から絞り出てきたものの上澄みを掬いとる努力型の音楽家だった。
毎日仕上がりを待つクライアントから催促の電話がくる。こんなことは今まで経験がないので焦り、音符の羅列の最中にも気になり仕事は進まない。ぐしゃぐしゃと髪の毛を搔いてもバラバラの音符

もっとみる

短編小説 恋

「あなた、お父さんみたいね」
と菜月に言われた時、十二歳の年の差を言っているのだと思った。昔ほど食えなくなったが酒量は増え、下腹が少し出た。気は若いつもりだが十二も下の菜月にはそうは見えないのかもしれない。
「そんなに歳に見えるか?」
下腹をさすりながら菜月にご飯のおかわりと茶碗を渡す。
「ほら、そういうとこ」
菜月は茶碗を指さしながらぴしゃりと言った。
「家事は女の仕事、って分けちゃうとこ。あな

もっとみる

短編小説 彼は今日、留守にします。

彼に同窓会のお知らせがくる時期がやってきた。ひとりぼっちが好きな私と違って彼には友達が多かった。LINEで幹事から連絡があってからの彼はとても優しい。
けれどその日帰って来ても明け方なのだと思うと、私の心は憂鬱だった。ひとり好きなのに、寂しがり屋。矛盾した性格を持て余していた。  

当日オシャレをした彼は行ってきます、と玄関先で私に軽くキスをした。思わず行かないで、と縋ってしまいそうになったがこ

もっとみる

短編小説 纏足の女

メイは纏足だった。幼い頃から足を矯正されて小さくするのは女としては当然だった。
当然早く歩く事も、走ることも困難だった。メイのそばにはいつでもシュェがいた。シュェは纏足されていない田舎女だった。
足を洗う時、常にシュェがいた。シュェはメイの足を触る度、綺麗で美しいと言った。メイはシュェの大きな足を眺めながら軋む心を慰めた。私はきっと、良いところへお嫁に行けるけれど、シュェは私のお付として人生を終え

もっとみる

短編小説 造花のステッキ

あと一駅で最寄りだと、気付いた時には歩き始めていた。
見慣れた風景だがいつもと違う場所で梨花は少し気後れしたが既に電車は行ってしまった。改札を抜けると自販機でジャスミンティーを買った。少し歩けば公園がある。  

静かな公園のベンチに座って、梨花はため息をついた。職場での同僚のキツい言葉、電話で話した母親の身を案じる体の責める声、空いていた電車で梨花の前に立つ知らないおじさん。最悪な気分だった。顔

もっとみる