短編小説 恋
「あなた、お父さんみたいね」
と菜月に言われた時、十二歳の年の差を言っているのだと思った。昔ほど食えなくなったが酒量は増え、下腹が少し出た。気は若いつもりだが十二も下の菜月にはそうは見えないのかもしれない。
「そんなに歳に見えるか?」
下腹をさすりながら菜月にご飯のおかわりと茶碗を渡す。
「ほら、そういうとこ」
菜月は茶碗を指さしながらぴしゃりと言った。
「家事は女の仕事、って分けちゃうとこ。あなたの方が炊飯器に近いのに」
おかわり一つで気分が悪かった。音をたてて茶碗をテーブルに置くと菜月はため息をついた。菜月には専業主婦をやらせているのだから本来ご飯が空になったら「おかわりします?」と聞いて欲しいくらいなのだ。
そんな話を会社でしたら独身の佐藤は同意してくれた。
「やっぱり三歩下がって、じゃないけどついてくる女って可愛いなと思うんですよね」
「たててくれる女だとなお良いな」
結婚10年の高橋はうーん、と唸る。
「夫婦は作っていくものですからね。生活が絡むと妥協しないと」
佐藤はだから独身が気楽でいいと言う。
「今は内縁っていう手もありますからね」
「でもそれじゃ、手に入れた感がないじゃないか」
「結構男らしいんですね」
高橋が茶化すと、佐藤はお茶に手を伸ばした。ランチタイムも終わろうとしていた。
家に帰ると菜月はテレビを見ていた。テーブルには箸や茶碗が並んでおり、ご飯の炊けた匂いもする。
「あっ、お帰りなさい。今日は手羽先と大根の煮物だよ」
俺に気づいて台所へ立つ。風呂はわいているはずだった。
「先に入るよ」
「あっ、溜めるの忘れた!」
菜月は慌ててバスルームへ走ろうとする。風呂より俺の頭の方が沸きそうだった。
「いいよ、もう」
「いいって?入らないってこと?」
「そんな事は言ってない、先に飯食うよ」
「温めるから待ってて」
どちらにしても待つのか。俺は冷蔵庫からビールを取り出すと先程まで菜月の座っていたソファにどっしり腰をおろした。菜月は何か言いたそうにしたが、テレビのチャンネルを変えた。菜月はバスルームに消えていった。
テレビでは犬が飼い主の言った数を当てるゲームをしていて、正直どうでもよかった。
どうしてこうなってしまうのだろう。菜月の気が強いのは誤算だった。
その時ふと、菜月の言っていた「あなた、お父さんみたいね」が腑に落ちた。
お父さんとは、誰を指すのか。菜月の父か、俺の父かですら意味は変わってくる。
「おい、菜月」
菜月は既に台所で鍋から煮物を皿に移すところだった。思わず立ち上がり、皿をテーブルに移す手伝いをした。
菜月は目を見開いて俺のことを見つめていた。