子供から刃物を奪うのは子供思いでもなんでもなく親のエゴ
親が子供のことを思うのは当たり前のことで、それはあたたかくていいものなのだろうか。自分以外の個体のことを思うことは、常に自分よがりで一方的で、時に暴力的であったりもするんじゃないだろうか。想いというものは、どんなに相手のためと思っても、自分がその想いを生み出し自分主体で思う以上、自己満足的側面があることは無視できないのではないだろうか。それとも、親と子という関係性においては、子供が未熟なために、や、親は親なのだから、という理由で正当化されるのだろうか。
私は中学生の頃と今現在、2度、カッティングの経験がある。もちろん、私の投稿を読んでくださっている方はご存じの通り、現在進行形で、おそらく自傷行為にその痛みにその快感に依存している。最近は腕や太もも切るより耳に穴開けとく方がまだましだろうと、数週間のうちにピアス穴が6個増えて、まだまだ開けたい衝動が収まらないので昨日も軟骨をセルフで失敗してしまった。まだたかが耳に8個のピアス穴しかないので大丈夫だろう。(うん)
親に親の過干渉がしんどいと打ち明けた日、もちろん同時に私の腕にある傷にも話が及んだ。そして、かつて私がリストカットをしていた際に、私の部屋から刃物を全て取っていたことを知った。私は今も昔もはさみで行っているので、部屋からはさみがなくなっても、自分がどっかで使って無くしたんだなぁくらいにしか思わず、まさか親が奪っていっていたとは今日の今日まで知らなかった。加えて、当時のカッティングは跡が残らない擦り傷程度で、一時的なものだったので、切るものがなくなっても特に困らなく、自然にやめられた。というか、当時の記憶がほぼない(笑)。
今回も同じことが起こっていた。親に出来立ての切り跡を見せた後、私の引き出しから、数本あったカミソリも、カッターもはさみも、全部なくなっていた。過干渉がしんどいと訴える娘の部屋に知らないうちに入り勝手に引き出しを開け勝手にものを奪っていたのだ。成人を迎えた私の生活圏に勝手に入って私の私物を取るという行為は、中学生の保護下にいる私に行うのとまた少し異なる。
愛する娘の体に傷がつくのは親だから辛いという気持ちも、止めたいという気持ちも、私もこの社会の中で親子関係の法則にのっとって生きてきたので、理解はできる。
一応、最近、自傷行為を止めたいという気持ちも芽生えてきた。それでも私のカッティングは、常にきっと、簡単には死ねないこの世界の中で辛くても呼吸し続けるために行うためのものであって、決して自死のためのものではない。きっと抑うつ状態の思考回路を有しながら、この地獄のような世界を生きるための手段になってくれているのだ。
親の行為は結局は、自分のかわいい娘の体に傷がついてほしくない、自分で自分を傷つけてほしくない、という彼らの感情の、願望の、優先でしかない。親の気持ちの優先で、子供が生きる手段を奪われることすらも、「親が子のことを思うのは当然」というこの世界の法則のせいで、正当化されてしまうのだろうか。子供の消化しきれなかったそのフラストレーションは浮遊したままである。うちに至っては、自傷の根本原因は親にあるようなものだ。それとも、私はやめたくてもやめれない依存状態にあるので、周囲の人間がやめさせようとするのは、まったくもって正当で適切な行為なのだろうか。ただそれが、知らない間に刃物を奪うだけであったとしても。
私が切ってしまうそのメカニズムを寄り添わずして、ただ刃物を奪う行為は、親の自己満足にすぎないとしか、今の私には思えない。
私だって、娘が自分の体を自分で切る親の気持ちは正確には想像できないし、身近な人が自傷行為をした際にどう対応すべきがよくわからない。でも、自分本位に考えるとすれば、自分でもなんで切っている変わらない状態で、親に「なんでそんなことするの」と聞かれたところで、どうしようもなくなるしかない。「何がそんなにつらいの。そんなにパパとママのことが嫌いなの。自分のことがそんなに嫌いなの。」なんて言われても、言いたいことはそんなことじゃないし、別に彼らに負担をかけたいわけでもない。
発作的希死念慮を鎮めるための突発的カッティングから、常習化してしまって、1秒前まで元気に話していても、ふと切ってしまう今の私は、自分でもなんで自分が切ってしまうのかわからないし、私は切らないとやっていけないほど辛いのかもわからない。切り始めて、一年近くもうそろそろすると経つが、精神科に行くまで、私は、カッティングしていたが、「誰しも辛いことはある。切ってしまうくらい普通のことだ。」くらいに思っていた。今思えば、世の中の多数派切っていなくて、自傷行為しないと生きていけない精神状態は異常かもしれないのに。
まぁでも、今でも、みんな生きていれば大変なことは誰にでもあるので、私はカッティングやくそビッチ活動というわかりやすいものだったけど、物理的でなくても精神的自傷、心の自傷をみんな行いながら生きているだろうとは思う。この世界観が私の世界がまだ負で埋まっているから想起したものなのか、案外的を射ているのがは全く見当がつかないが。