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母の認知症 着替えること

時系列はバラバラで記しています。  母の認知症が進み、いよいよ着替えの順番が分からなくなった時の私なりに考えた対処法。  お風呂から出ると、身体は拭けるけれど、下着、肌着、パジャマをどの順番で着るのかが分からなくなった母。とはいえ、全部介助することで出来ることが減ってしまうことへの不安もあり、なるべく自分でできるような工夫をした。それは子育て中、自分で着替えができるようになってきた娘にした対応に似ている。  まず身体を拭いて、部屋に戻るとき、床に身につける順番に衣類を置いて

    • 母の認知症 デイサービスの持ち物

       母がデイサービスに通うことになり、持ち物等を準備することに。  とにかく間違えず、忘れず、効率よくを考えて準備をした。  まずは通所時の持ち物は2セット用意することにした。2セットあれば慌てて準備する必要がなく、確認もしっかりできるから。  バスタオル2枚以上 フェイスタオル2枚以上 洗濯ネット2つ 紐で締まる巾着袋タイプのビニール巾着袋2枚 デイサービスではお風呂に入れてもらえるので バスタオル、フェイスタオル、着替えの衣類を洗濯ネットに入れる ビニールの巾着袋には

      • 母の認知症 デイサービスのこと

        時系列はバラバラで。  母が認知症の診断を受け、デイサービスを利用することになった。まずは週2からはじまった。  最初デイサービスを利用することを母は、とても嫌がっていた。それは認知症になる前から「老人ホームには入りたくない」とよく言っていた。  認知症とはいえ、初期の頃だったので、自分よりも認知症が進んでいる人たちの姿を見て、「自分は、こんなじゃない!」っという思いがあったから。  デイサービスの話を進めると自分が捨てられるように感じたんだと思える険しい表情に。  「気分

        • 母の認知症 お風呂での大惨事

          時系列はバラバラで記していく。  本題に入る前に、我が家のお風呂事情を記しておこう。  我が家のお風呂は追い焚きなしの深夜電気温水器(4人家庭でお風呂も日常のお湯もたっぷりまかなえるタンク式)お湯がぬるくれば熱いお湯を足すシステム。 4人家庭でも足りないことはない。 を踏まえて  母の認知症の初期の頃。だいたいの時間になれば自分でお風呂に入って、寝室へ行けていたころ。とはいえ、キチンと洗えていたかは不明。  とある日、夕方からライブに出かけた私。楽しい時間を過ごして夜中に

        母の認知症 着替えること

          母の認知症 トイレで大惨事

          時系列はバラバラで。  母が認知症になってから、母の行動に敏感になりつつあったある早朝のこと。  私の部屋の隣が母の寝室で、夜、布団に入って横になるのを見届けることが習慣となっていた。  とある早朝、いつもより早く起きてトイレに行ったようだった。まだその頃はトイレでの失敗はなかった。トイレ後、玄関の戸を開ける音。まだ認知症も軽いころ。朝刊を取りに行ったのかな? っと聞き耳を立てていると、そのまま寝室に戻っていった。  なんだか胸騒ぎがするものの、私もトイレに行く。 ちょっと

          母の認知症 トイレで大惨事

          母の認知症 地域包括センターのこと

          時系列はバラバラで記している。 母がおかしくなった時、どこに相談すれば良いかも分からず、途方に暮れていた。その頃の私は今でいう𝕏、旧ツイッターをしており、ツイートしたところTwitterの民に地域包括センターに問い合わせるとよいと教えてもらった。 そこから話はどんどん進んでいった。初めて来てくださるときには、あらかじめどういう人が何をしにくるのかを母にハッキリ伝えた。自分の認知の低下を認められずにいた母は前日から自分の名前、生年月日、住所、電話番号などを復唱していた。  当日

          母の認知症 地域包括センターのこと

          母の認知症 お買い物のこと

           時系列はバラバラですが 認知症の初期の頃のこと。まだ診断は受けてなかった頃。  しっかりしていたけれど会計時に財布を預かって小銭を出そうとすると、とんでもなく小銭が入っていた。たぶん私が気づいていなかっただけで、お金の計算もできなくなっていたんだと思う。一万円札を出せばなんとかなるとはわかっていたんだと。  そして、認知症が進んできて認知症外来の帰りに買い物に行き、会計時に財布を渡される。支払いは自分がしたいという思いはしっかりあった。 私もうっかり受け取ったけれど、自分で

          母の認知症 お買い物のこと

          母の認知症 食事のこと

          時系列はバラバラですが  母が認知症とわかってから、そういえばあの時って。 と回想することがある。  当時生協の宅配を頼んでいた。だいたい買うものは同じようになるのだけれど、毎回購入していたのは小さいパックに重鎮された豆腐。3つで一括りになったもの。  母はよく「豆腐買っといて」と言っていた。その時は、最近豆腐にハマっているんだな。くらいにしか思ってなかった。たぶん、あの時は何をどう食べたらいいとかわからなくなっていたんだと思う。  我が家はごはんをまとめて炊いて小分けして冷

          母の認知症 食事のこと

          母の認知症 お風呂のこと

           母が認知症になり、いろいろなエピソードや不安や苛立ちについて記しておきます。  母が認知症になるまでは、生真面目でふざけたことも言わず、それでいて世間体は気にする。外面の良い性格だった。 整理整頓が得意というのとは、またちょっと違うのだが、使わないものはきれいに洗ったり、手入れしたり、次に使う時にさっぱりとした状態にし、ホコリや汚れがつかないようにぴっちり袋や箱にしまう。そして押入にしまう。ただ、しまう場所は空いている空間にしまうため、季節物もアチコチに点在する。 微妙な

          母の認知症 お風呂のこと

          母の認知症 歯のこと

           時系列はバラバラですが、認知症のはじまりの頃のこと。  仕事から帰って夕飯の支度をしようとしたとき 「歯がグラグラで噛めへんからうどんにしてくれん?」 「グラグラんが抜けるまでやから」  どうやら母は虫歯にでもなったんだな。認知症で自分で歯医者に行けなくなって、というか歯医者に行くことを失念してしまったよう。  いつ抜けるかも分からない状態で放っておけるわけでもなく、なるべく早く診てもらえそうな歯医者さんに予約し診察を受けることに。  そこで愕然としたのは奥歯が欠けていたり

          母の認知症 歯のこと

          母の認知症 あんなことこんなこと

          昨日はちょっと母の認知症のはじまりを記しましたね。 今は施設でお世話になっていますが、それまでの間にあった大変だったことや気付きを記したいと思います。 時系列としてはバラバラ。 思い出したことを。 母親の寝室って入ることないですよね。 母の認知症のはじまりは夏真っ盛りのころ。 なかなか寝室に行ってくれない母を寝室につれて行った時、冬用の布団を使用していました。 暑い寒いの判断ができなかったのか、夏用の布団に変えるという概念すらなくなっていたのか。 とにかく「暑くない」とは言

          母の認知症 あんなことこんなこと

          母の認知症

          前回ちらっと母が認知症で施設で介護してもらっていると記した。  コロナウイルスがまん延する少し前のこと。  ある晩、お風呂上がりに自分の洗濯をしようと洗濯機のところにいた母。  最初に気づいたのは娘。 「お母さん‥おばあちゃん、ずっと洗濯機んとこにいるよ?」  はて!? 様子を見にいくと洗濯機のスイッチを入れたり消したりしながら「おかしいな‥おかしいな‥」と呟いていた。 80歳過ぎの母だもの機械に弱くなってきても仕方ないけれど、どうも様子がおかしい。 「私がするよ」と言って

          母の認知症

          バツイチ 跡取り 寂しさ

          娘が4歳になる前に離婚した。 私は両親が遅くに生まれた次女なので、離婚後出戻ったときには高齢の両親のもとに置いてもらうことになった。 幼い娘と私。 年金暮らしの両親のお荷物になってしまったのだ。 自分の仕事、娘の保育園、将来の不安。 そんな私に父親が言った言葉は。 「お前は自分たちのことをお荷物と思っとるけど、俺らの方がお荷物なんやで。戻って来てくれて嬉しいんやでな。ずっとおれよ。」と。  どんなに高齢であろうと、両親のもとに置いてもらえることは精神的にも金銭的にも心強く、非

          バツイチ 跡取り 寂しさ