母の認知症 トイレで大惨事

時系列はバラバラで。

 母が認知症になってから、母の行動に敏感になりつつあったある早朝のこと。
 私の部屋の隣が母の寝室で、夜、布団に入って横になるのを見届けることが習慣となっていた。
 とある早朝、いつもより早く起きてトイレに行ったようだった。まだその頃はトイレでの失敗はなかった。トイレ後、玄関の戸を開ける音。まだ認知症も軽いころ。朝刊を取りに行ったのかな?
っと聞き耳を立てていると、そのまま寝室に戻っていった。
 なんだか胸騒ぎがするものの、私もトイレに行く。
ちょっと便座が濡れているような…
っと用を足して水を流すと便器ギリギリまで水位が上がってきた。すぐに用心すればよかったのだが、もう一度流せば戻るだろうと流してしまったのが地獄。
少し詰まっていたところに私の使用したトイレットペーパーも加わり、便器から大量に水が逆流。あっという間にトイレは水浸しになってしまった。
 とにかく、娘を駅まで送らなければならないことと、自分の仕事のこと、母にトイレが使えないことを 理解してもらうこと。同時に3つの優先順位を考えた。
まずトイレ掃除。新聞紙やらバスタオルやら古いシーツやらかき集め、溢れ出した汚物まみれの水を拭き取る。水分を含んだタオルは重く、お風呂場で絞りゴミ袋に突っ込む。
トイレからお風呂までもビタビタと汚れていく。拭き取ったあともきれいなタオルで拭き上げ、アルコール消毒をし、さらに拭き上げ、自分も汚く感じシャワーを浴びた。
 娘を送っていく前に「トイレ詰まってて流れへんからトイレに入らんでよ。行きたくなったら外のトイレ使って!」
 幸い我が家には屋外に和式であるが水洗トイレがある。
母にはそう告げ、告げたものの不安で【使えません。外のトイレを使ってね】と、万が一のために張り紙をしておいた。
 電車の時間ギリギリに車で娘を駅まで送り届ける。
もう胸騒ぎが収まらない。
 帰宅して最初トイレに向かうとトイレから汚物まみれの水が溢れ出し、そこに呆然と立ち尽くす母のシュールな姿…
 終わった。。
「外のトイレ使ってって言ったやん!」半泣きで叫ぶと
「我慢できなかったんやもん‥」と。
 私はまた、新しく買ったばかりのバスタオルなども引っ張り出し、一から汚物まみれの水を拭き取り、汚物まみれの母をお風呂に連れていききれいにし、もう何度もタイムリープしているようだった。
 
その日は母のデイサービスもなく、トイレの使えない家においておくわけにもいかず。
トイレが詰まった段階で隣町の姉に連絡を入れた。姉の旦那さんは姉より年上で、もう定年退職して家にいる。トイレを直してもらっている間だけ預かってもらおう!と早朝に電話を入れたのだった。
 早朝ということもあり姉に大惨事を伝え、修理の間だけ母を預かってほしいと伝えると‥
「私、仕事あるんやわ‥」と返事が返ってきた。
その時は、早朝で頭が働かなかったこともあるが絶望した。
 姉は大学を卒業後公務員として働いている。私はバツイチでパートで保育士をしていた。
 「私も仕事あるけど‥わかったじゃあいいわ」
 悔しくて泣いた。
姉の仕事は休めず、私の仕事は休める。寝ぼけた頭でそう判断したんだろう。後に姉はそのことについて謝罪があったが、その時にすっかり姉妹の間に溝ができてしまった。
 話は戻り、その日私は仕事を休んだ。地元の水道屋さんも早々に来てくださり、結果的にはスッポンとする詰まり取りの道具だけで詰まりは直ったが、詰まりの原因を母がいる前で業者さんに話したことで、すっかり肩を落としていた。
 後に思えば、トイレットペーパーの減りが早くなっていた。使う分量も分からずにたくさん流してしまったのかもしれない。

 仕事に行けなかった自分
 姉妹に出来てしまった溝
うなだれる母
後に記すであろう不登校の娘
もう私は随分とすり減り疲弊していた。
   他にも認知症の母のしでかした惨事は後日記していこうと思う。

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