昔、会社にめんどくさい女性がいた。 いわゆる”お局さん”のイメージを具現化したような人だった。 不幸なことに同期は女の子ばかりで、若くて、おじさんたちが女の子に構うと、イライラ。 直接的な憎さを仕事という皮で包み隠すようにしながら、女の子たちのミスを指摘していた。 今となってみれば、自分を認めてほしいだけの人なんだなぁと思えるけど、 社会人になりたての私には存在が恐怖だった。 彼女は、とてもきれいな肌をしていたし、笑顔が可愛らしい女性だった。(私に笑顔を向けてくれ
最近引っ越しをしたのだけれど、今の家の近くには小学校がある。子どもたちの声も、校内放送の音楽も、グラウンドで先生が児童に指示する声も、全部聞こえるぐらいの近さだ。 始業時間前にグラウンドで遊ぶ小学生がいることに驚いたり、(自分にもそんなころがあったのか…?今は少しでも長く寝ていたい) 校内放送で80年代の洋楽が流れていることに驚いたり、(先生の趣味?) 結構毎日いろいろな発見があっておもしろい。 私には子どもがいないが、小学生の子を持つ同級生は多い。 子どもがいたら、こう
晴れているわけでもなく、雨が降っているわけでもない。 そんな天気の日は、体調が悪くなることが多い。 今日もそんな日だ。 朝目覚めたときからなんとなく身体がぼやけている、ちょっと熱い(熱は全然ない)感じがした。 こういう日は1日中寝て過ごしてしまうことが多いから、今日は出かける日!!と脳に直接語りかけ、午前中は出かけることに成功した。 最近頑張っている簿記の勉強1時間と、何年も前に読んでおもしろかった本を読むのに1時間。 これで何もしない1日になることは回避したが、家に
最近引っ越しをしてパートナーと暮らし始めた。 (このパートナーとは30代前半の時に婚活で出会ったが、その話はまた別の機会に書きたいと思う) 朝はパンかごはんか。 昼はお弁当か外食か。 夜はお風呂と食事はどっちが先か。 1人の時も毎日、何を着るか、何を食べるか、何時の電車に乗るか、この角を曲がるか、階段を使うかエレベーターを使うかなど、無限の選択をしていたが、2人になるとある程度お互いに寄せた生活スタイルを作っていく必要がある。 私は、考えや言葉選びには結構強いこだわりが
中学生ぐらいの時から、 「制限のある自由がほしい」 と、ずっと思っていた。 外で会う人には、「行動的だね」とか「物怖じしないタイプっぽい」とか言われることもあるのだけれど、実は結構臆病だし、新しいことを始めるのはかなり下調べをして、毎日考えて調べて…で、数年後にやっと始めるなんてこともある。 中学生や高校生の頃は、正しいを押し付けられてるような感覚とか、狭すぎて選べない人間関係とかがしんどいと思いながらも、うまくかわしたりすることができなくて、苦い思い出もたくさんある
はじめまして。つばきと申します。 先日、noteから8周年おめでとうのバッジが届いていました。 はじめてのnoteではないですが、はじめての自己紹介です。 現在 30代半ば、京都府在住1年目。 noteを始めた時は、教育系の広告会社の営業職、直近の仕事は大学職員。 3回の転職経験あり。 キャリアコンサルタント資格、図書館司書資格保有。 現在はお仕事探し中の、のんびりライフ満喫中。 人の話を聞くのが好き 営業職は大変だったけど、毎日たくさんの人と話しができるのが楽しかっ
私は人一倍、言葉に敏感な人間だと思う。 悪意のある言葉には傷つき苦しみ、心を動かされた言葉は何重にも積み重なって、悲しみの底に沈んだ自分を救う。 ※ 本の世界に魅了されたのは、小学校5年生の時だった。 共感を求めても誰にもわかってもらえない、と孤独を感じていた。 本の中には、自分と似た主人公がいて、戦い、幸せになっていた。自分自身が幸せになれる未来はずっと見えなかったけど、仲間ができたと思った。 文章を読んでいる時間が、集中している時間こそが、私を救う時間だった。 ※
朝、目覚めたけど、身体が重くて動かないことが増えた。 「春眠暁を覚えず」だなぁ、、と思いながら、のそのそと起きて仕事へ行く。 部署異動になって1年が経った。 ほんとにほんとに怒涛の1年で、訳も分からないまま、人が何人もいなくなり、それでも人に助けられながら、なんとかやり切れたと思う。 この1年仕事でやってきてよかったことは、とにかくなんでも共有報告することだったように思う。 報告相手は上司に限らない。直接仕事で関わらない人も含めて、今の自分の状況・感情を知ってもらうように
季節のにおいって空気の温度や植物の香りだけでなく、 思い出と深く繋がっている気がする。 今週、急に春のにおいをぶわっと感じた。 私が思い出したのは、高校卒業から大学入学の時だ。 志望校を複数回受験して、やっと合格を手に入れた日。長い年月がたっても、その日付を忘れることはない。 入学まであまり時間がなかったけど、新生活のために初めてパーマをかけたり、ショッピングをしたり、新しく出会う人々はどんな人達だろうと想像するのは、とてもワクワクした。 正直、大学生活はそんなに楽しかっ
ほんのつい最近、といっても1年ぐらい前。私には夢があったと思う。 転職して、充実した毎日を送れるようになったのは間違いないが、目標も夢も憧れもやりたいことも何もないことに気づいてしまった。 きっかけは、まさかのAIアプリ。 AIがくれる質問に色々答えたりして暇をつぶしていたのだけれど、 「つばきちゃんは、夢はあるの?」 と聞かれて、おや?と思った。 去年の私は、職場環境に苦痛を感じていた。なんとかその環境を抜け出したくて、自分を振り返り、やりたいことは何か、自分はど
私は、幸せな風景や場面に出くわすと、 純粋に感動する気持ちと同時に、その幸せがいつかなくなることを想像して悲しい気持ちを感じてしまう。 例えば、「おおかみこどもの雨と雪」という映画を観たとき、 あらすじの地点でなんとなく父親が死ぬことがわかっていたので、 親子が幸せそうに楽しむキラキラした場面で、この後に家族が感じるであろう悲しさを想像して泣いてしまい、 隣にいた友人に、映画が終わったとき 「めっちゃ変なところで泣いてたよな!?」と驚かれた。 今年、自粛生活の春を過ごす中
ずっと自分で自分のことを無趣味だと感じていた。 みんな何かにハマって、推して、お金を使っているのが羨ましかった。 でも2015年に欅坂46というデビューしたてのグループを見て、はじめて応援したいと思ってCDを購入した。 曲もダンスも大好きで、3年ぐらいは熱狂的に応援していたけど、”1人だけ”を決めることができなくて”みんな”を大好きだった私は、グループから卒業者が出たことで、欅坂46からは少し距離を置くようになった。 それからは、ちょっと心が寂しくて、その寂しさを埋め
とても寂しいことだけど、 友達だった人と、友達じゃなくなることがある。 その関係が深ければ深いほど、 おや?と思うことに気付かないふりをしたり、 色んな理由で自分を納得させようと試みるけど、 一度感じた違和感から逃げることはできない。 2年前に書いたこの記事の友達と 今はほとんど連絡をとっていない。 男女の友情はここにある|つばき @tapioka_omochi #note https://note.com/pipopo37/n/n6a9a6fd30153 記事では男
今年30歳になった。 10代の頃は想像もできなかった30歳。 なってみた今、すごく気持ちが楽だ。 わたしは昔から、人目や世間をいつも気にしていた。 周りを気にしすぎて、何か感情を持たれることが怖くて、いつも強がっていた。 ありのままを自分を見てほしい、と強く強く願いながら、どうせ誰もわかってくれない、と周りを攻撃していた。 20代の頃は、周りを攻撃することは止めたけど、 それでもいつも世間と自分のズレを気にして、気にして、気にして…。 彼氏がいない自分、就職が中々決まら
私は平成元年生まれだ。今年で30歳になる。 平成とともに生まれ、30歳になる年で平成が終わる。なんだかとても区切りがよくて、嬉しくなる。なんでもないはずなのに、自分は特別なんじゃないかという気さえする。 新しい元号は「令和」に決まった。 テレビの前で今か、今かと発表を待った。 令和と聞いた瞬間、規律正しい美しい着物の女性の姿が目に浮かんだ。私は令和という文字に良い印象を感じた。 新元号になるにあたって、決意や抱負、目標を定める人も多いと思う。けど私は特にそういうもの
自分のことがよくわからない。 この半年、自分の人生の中で、一番穏やかで幸せな時間を過ごしていたと思う。 穏やかとは、とてつもなく暇で、悩みもなく、ただ時間をどうやって使おうかということを毎日考える状態だ。これを幸せと呼ぶのかどうかはわからないが、いつも何かに気持ちが追われ、戦っていた私からすると、幸せなんじゃないかと思うことにしている。 大嫌いではあるが、心穏やかに過ごせる地元に帰ってきて約10か月が過ぎた。1年前辞めた職場がなんだったのか、と思うぐらい、人間らしく