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どうでもいいことに気づく
自分のことがよくわからない。
この半年、自分の人生の中で、一番穏やかで幸せな時間を過ごしていたと思う。
穏やかとは、とてつもなく暇で、悩みもなく、ただ時間をどうやって使おうかということを毎日考える状態だ。これを幸せと呼ぶのかどうかはわからないが、いつも何かに気持ちが追われ、戦っていた私からすると、幸せなんじゃないかと思うことにしている。
大嫌いではあるが、心穏やかに過ごせる地元に帰ってきて約10か月が過ぎた。1年前辞めた職場がなんだったのか、と思うぐらい、人間らしく付き合うことのできる人がたくさんいる職場で4月から働いている。
しかしここの職場は契約社員という立場、しかも1年契約であるため、そんな穏やかな時間もあと半年ということだ。
「いや、待てよ。」とふと気づく。
なぜか私は昔から、自分は幸せであってはいけないと無意識に思っている。理由はわからないけど、幸せを感じたら、不幸を感じなければいけないって常々思ってきた。最近はそういう思考を意識的にやめようとしていたのに、無意識に上記の文を書いてしまった。癖とは恐ろしい。
後半年で契約が終わるので、半年後に向けて転職活動をし始めた。そこで、改めて、自分が今までしてきたことや、自分の好きなこと・嫌なことを考えたりしているのだが、考えれば考えるほどなにがなんだかわからなくなってきた。
ここ最近、人の話を聞いていても、「感じ方は人それぞれだから、いいも悪いも私が決めることじゃないよな~」とか「私はこうゆうの好きやけど、一般受けはしなさそう~」とか、肯定も否定もしない考えが主になってきたからなのか。おかげで普段の生活でイライラすることもないし、生きやすくはなったのだけれど、今みたいに「何かを決める」タイミングには恐ろしく不向きな思考パターンだと感じている。
肯定も否定もしない、と言えば聞こえはいいけど、要するにどうでもいいのだ。他人も自分も。人は変わる。今日の自分と明日の自分は違う。自分のことをわかっているような気がしても、数か月前の自分では考えなかったことも今の自分は考えたりする。予測することに意味なんてあるのか?いや、ない。
そうは思っても、自己PRは書かないといけないし、志望動機も必要だ。
新卒のときから数えて一体何回書いたかわからない。進路って、キャリアって、就職って、自分の人生にそう何回も来るものじゃないと思っていた。けど何回も来ている。それはそれでおもしろいけどね。
そもそも、自己PRって苦手。自分のことを自分で評価するって…って思ってしまう。しかも今の私は自分のことも他人のこともよくわからないし。笑でもこうやって文章にしてたら、よくわからないことがそんな重要なことではないと感じてきた。
考えていることを文章にする、ってとても大事なことですね。
紙のメモも好きだけど、noteも大好き。