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デリケアエムズも人生
夏は股間が痒くなる。痒くなったらデリケアエムズ、ララランランラー♪
耳に残る曲でもあり、誰もいない部屋で口ずさんでしまう。誰もいないというのがポイントである。昔、生理痛に作用するノーシンピュアのCMを口ずさんだとき「それはみんなの前で言わないほうがいいよ」と言われてから少しずつ頭で考えてから発言するようになった。そのため恥ずかしそうな(自分では恥ずかしいとは思っていない)歌の時は周囲に人がいないか
本の帯からまずは自分で考えてみる
久々に本屋に寄った。書籍の平積みされた中に國分功一郎さんの「暇と退屈の理論学」があった。オードリーの若林さんも帯を書いていたこともあり手を取って、裏表紙に本文の一部を読んでみた。
「人はパンがなければ生きていけない。しかし、パンだけで生きるべきでもない。私たちはだけでなく、バラも求めよう。生きることはバラで飾られねばらなない。」
私はその場で数分考えてしまった。肯定も否定もできないもどかしさと
私がyahooニュースを見に行きたくない理由
私は新聞を読まない。昔から新聞を取っていた家でもない。新しい情報は野球中継の間に流れるニュース番組ぐらいだった。文章と出会わないように逃げて生活して気がする。今となってもその気質は変わらない。学問を学問として生業にしておらず、偉そうに語るだけ。私が私である思考を深め表現するができない。
しかし、昔から、世間の情報を知りたくないと思ったこともない。その反対に、さわりの部分ぐらいは知りたいと思う性分
何を書こうかと考える日々が与える刺激
忙しく作業をこなす毎日。この“こなす”という行為を朝から夜まで一日中行っている。私たちは、他の動物と異なる理性や念慮を有しており、自分の行動を自分で決めていると思っている。
そんなことない。私たちも習慣の生き物である。
この日記を書き始めて、常々そう感じる。
家から職場までの往復路、職場の人たちとの会話、家でぼーっとテレビを見ている時など、いつもの日課をこなす生活なのだ。モノクロの世界にいるの
不老不死の薬を飲むのか飲まないのか。
金曜日の夜は、松本人志の酒のつまみになる話を見ている。何気ない芸人の問いに考えさせられる時がある。
ハライチの岩井さんが言ったのがタイトルの“不老不死の薬を飲むのか飲まないのか”というテーマになった。
正直、冒頭の岩井さんの不老不死の薬を飲むと、完全治癒し、体型も変わらないという話は僕には入ってこなかった。
この問いに若手俳優の1人が言った。「僕は絶対に飲みたくない。死ぬからいいじゃないか」
命の大切さってどこで学べるのか。
今日の授業で、我がクラスの子は心悲しげな雰囲気に包まれていた。みんな、重い腰をあげるようにゆっくりと終礼の準備をしていた。しかし、なぜか、いつも山盛りになっている配布物はみんなで協力して配っていた。重い雰囲気の中に緊張感がそこにはあった。
放課後に終礼前の授業者に話を聞くと、その不均衡さに納得がいった。
こどもホスピスの動画を見ていたらしい。
感情移入して泣いてる子がいたり、自分の溢れ出す感
塩味が強いハンバーガーと自分
感想文は続きにします。
今日は某ハンバーガーチェーン店でお昼を食べた。クーポンを使ってハンバーガーセットを注文した。2階に上がり座席を探す。案の定、フロアーの四隅の席は全て取られている。階段を上がった1番注目される席は、派手目の女子高生二人が占領していた。僕が学生の時には確実に近づいていないタイプ。男友達がイケメンかイケメンじゃないかが会話の中心になっていた。(そこそこ話が気になっているじゃん。