感想文1[前半]
僕は今、若林正恭さんの“表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬”を読んでいる。今ちょうどキューバ紀行の終盤まできた。
若林さんは、社会主義共和制国家であるキューバを触れることで、今の自分の置かれている状況や資本主義社会のシステムについて考えを深めている。
その中で、キューバの若い者たちの他国への憧れをありありとみた若林さんは「元々人間は競争したい生き物なのかもしれない」「良い服、良いもの、良い家を求める。」「その欲が、平等でありたいという気持ちが上回っているのだろう」と述べていた。
さらに「日本の自由競争は機会の平等であり、結果の不平等だろう。キューバの社会主義は結果が平等になることを目指していて、機会は不平等といえるのかもしれない」の文に惹かれた。
僕は、数学の問題の解答を見ているかのような印象を受けた。二通りの解答があるものの、結果は同じ。「結局、自分に戻ってしまうなあ」
日本の自由競争だって、キューバの社会主義だって、外的要因をどのようにしたかを取り上げただけで、どちらにも幸福・不幸はある。日本の機会の平等だってそうだ。何を持っての平等なのだろうか。中学まで行けることが平等なのか?お金がないから進学しないことが?お金があるが学力はない子の進学も?
視点を変えると、結果は変わる。
なぜだと思う?
結果ばかり追いかけて、わかることしかわからない仕組みしか作り上げていないからだ。わかりやすい世界を創造した結果なのさ。世の中に分からないことしかないのに、わかった気になっているから、“真理はその時々に変わる”と言ってわかった気になっている。いや。そうじゃないだろう。
続き明日書けたら良いなあ。
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