ぺどら

力が支配する世界に愛をとりもどすために、日夜思想に耽っております。聖書の教え、とりわけイエスのことばに深い関心を抱いております。法と自由、不完全性と不確定性、争いと平和、発信と解釈、無条件に信じることとエビデンス、相反するモノたちのバランス。考えれば考える程に難しいっすねえ。

ぺどら

力が支配する世界に愛をとりもどすために、日夜思想に耽っております。聖書の教え、とりわけイエスのことばに深い関心を抱いております。法と自由、不完全性と不確定性、争いと平和、発信と解釈、無条件に信じることとエビデンス、相反するモノたちのバランス。考えれば考える程に難しいっすねえ。

最近の記事

仏教の教えについてちょっと考えてみた。

何か眠れないので久々に仏教関係の解説本みたいなの読んでいて、それでも眠れなかったので久々に記事を書こうと思い立って今に到ったのです。 色即是空だとか色不異空だとか、八正道だとか、無無明尽だとか、諸行無常に諸法無我に涅槃寂静だの、何だかんだと色々書かれたり唱えられたりしているけど、結局最終的に言いたいことは、ウパニシャッドから大乗仏教まで一貫して、「私は存在しない」とか「私は認識によって判断されるものではない」とか「とにかく経を唱えて阿弥陀仏だかお釈迦様だか観自在菩薩だかに委

    • 論理と止揚

      たまに、何でもかんでも論理的思考を用いようとする人が居るが、普段からロジカルに考えることが知的であるかと言うと答えはノーだ。恋人とラブなご休憩ご宿泊の場所のベッドまで来て突然少子化問題について語る人は居ないだろう。 ましてやお楽しみの最中に「忌々しき社会問題に対処するためにもラバーキャップ、ぴるぴるは用いるべきではないだろう。」と言いながら人差し指と中指でインテリメガネをくいっと押し上げるような人はまず居ないと思う。 日常会話で談笑中に突然「その発言は客観性に欠けると思い

      • 言葉と認知

        この聖書の一節は、ヒトの認知による自然に対しての解釈、理解、認識を端的に表している。また、仏教思想に於いても同じような意味の言葉が述べられている。 法は言葉に依って成るものであり、ヒトの共通認識となる為、自らを拠り所(認知)として、法を拠り所とする(共通認識)という言葉は、人の認知の始まり(アルケー)が「言(logos)」であると言っているのと大体同じ意味になると言えるだろう。 自然の真実の姿は未だ解明されていない。理論通りに前提を整えて実験をしても再現性が伴わないことが

        • note記事用キャラクターぺどらのイメージ

          note一ヶ月記念

          何となく始めて何となく毎日何か1記事書くのを続けてたらいつの間にか一ヶ月が経過していた。大体飽きっぽい自分にしては良く続いたもんだ。始めた頃は三日坊主で終わると思っていたのだけど。 というわけで今日は筆休めに今までの記事を振り返りたいと思う。 スキが押された数順に記事を並べると・・・・・・。 一位 16 personalitiesにご用心  二位 悩める方へ 三位 論理的とは何か 四位 整合性のチェック 五位 他者を裁いているとき、あなたは自らを裁いているのだ。 とい

          note一ヶ月記念

          「知らない」こそ悟りであり「知っている」は野狐禅と言う

          般若心経の一説である「無無明尽」、そして禅の偉人である菩提達磨の「不識」。どちらも有体に言えば「わからない」「知らない」「知りようが無い」という意味になる。 古代ギリシャの哲学者ソクラテスも「不知の自覚」という考え方を説いた。 そして、毎度おなじみ数学の「不完全性定理」に量子力学の「不確定性原理」。賢い人であるほど「知らない」とはっきりと言えるのだ。多くの物事を知っているからこそ、世界は知り得ない事の方が圧倒的に多い、と言うことに気付ける。 さて、禅の世界には「野狐禅(

          「知らない」こそ悟りであり「知っている」は野狐禅と言う

          教育は貧弱な奴隷しか生まない

          もう古いんだと思う、教育というモノ自体が。昔は教育が必要だった、と思う。というのも、本は高価なものだったし誰でも気軽に読めるものじゃなかったし、インターネットなんてものも無い時代があった。しかし現代はスマホで検索すれば腐るほど情報が転がっており、古今東西様々な本が、わずかな月額サブスクで読み放題になるサービスもある。 そして、教育というのは「教え」「育む」わけだけど、はっきり言って窮屈な場所に押し込められた挙句、上から目線の偉そうな奴らに無理矢理詰め込むように教えられても、

          教育は貧弱な奴隷しか生まない

          すべてが他力であり、自力は無い。

          我々ヒトは、自力で生きることが出来ない。まず空気が無くては生きられない。そして水が無いと生きられない。自分以外の生物を殺して食べなくては生きられない。当然、これはヒトに限らない。すべての生物は、その生物以外の何かの力によって生かされている。 そしてそれは宇宙、銀河、星系、恒星、惑星すべて例外ではない。恒星が無くては惑星は維持されず、惑星が無くては星系が維持されない。星系が無ければ銀河は存在せず、銀河が存在しなければ宇宙は存在しない。 すごく当たり前の事なのに、何故か我々は

          すべてが他力であり、自力は無い。

          悩める方へ

          悩めるあなた、まずはゆっくり休んでください。身体を落ち着けたら、目を閉じて、可能であればそのまま眠りについてください。ゆっくりと休めたら、散歩に行っても良いし、自分の好きなことをしても良いでしょう。 何も考えずに念仏を唱えたり、写経をしたり、あるいは聖書を音読しても良いし、何なら好きな芸能人、アニメキャラ、推しのホロライブキャラ、推しの歌い手、推しのボーカロイド、推しのボイスロイド、推しのボイスボックスキャラでも何でも良いので、それらを思い浮かべて妄想するのも良いですし、何

          悩める方へ

          論理的とは何か

          人間の認知は矛盾している。 明は無明であり無無明であり無無無明である。我々が見ている風景は、飽くまで光の波長の屈折に過ぎず、いわば幻のようなものだ。幻に対して、これこれはこういうものだと決めつけるのは、周囲にある空気を指さして、「ここからここまでがジョニー君で、ここからここまでがメアリーちゃんだよ!」と言っているようなものである。 このような方に必要なのは理屈ではなく精神病院という発想になるかもしれないが、その理論でいけば、人類のほとんどは今すぐ精神病院に行って治療を受け

          論理的とは何か

          ペルソナシリーズで学ぶ無我の境地

          ペルソナシリーズとは、ゲームメーカATLUSが開発したゲームシリーズブランドのことだが、このゲームの世界観は無我の境地を識るのに役立つ。 登場人物は皆、未熟な学生であるか、或いは成人であっても子どもの頃のトラウマなどを未だ抱えており、成熟していない人物であったりする。そんな彼らは、何らかの事件を切欠に自分自身の内側に眠る超越的な能力に目覚め、叫ぶことによって現世に影響を与える。 その叫びとはこうだ。 ペルソナ!(カッ!) あるいは、叫ぶものは自身のペルソナ名でも良い。

          ペルソナシリーズで学ぶ無我の境地

          無我の境地

          赤子は人間の状態の中でもっとも愚かな状態だ・・・・・・そんなふうに考えていた時期がぼくにもありました。そんな自分が愚かだったということに気付かずに・・・・・・。 誰かの状態を見て「愚かだ」と思うことは、自分自身の愚かさを対象に投影していただけだったんだ。たとえばアリだ。自らを省みず、ただただ巣へと餌を運ぶだけのアリ。奴らは何も考えちゃあいない。本能の赴くままに、帰巣性と集団性のみを頼りにただただ長蛇の列を作っている。何と愚かな存在であろうか、笑いが止まらない。 いや、待て

          無我の境地

          矛盾していても良い

          どうも皆さん。 突然無茶苦茶なタイトルにしてしまいましたが、言うことも行動することも万物も、実は矛盾していても良いのではないかと思い始めました。 なんか、矛盾していてはいけない、理路整然としていなければいけない、何となくふわっと、そういう風に決めつけてぼくたちは生きている、でもよくよく考えれば、それも所詮は概念であり、縛られているに過ぎないかもしれません。 どうせエントロピーは増大し続けているわけで、人間もその系の一形態に過ぎないわけで、何をしようと何をするまいと、別に

          矛盾していても良い

          自信を持ってください、あなたは正しい。

          皆さんどうも。 これを読まれた方の中で、自信の無い人、自己肯定感の薄い人、自尊心の低い人は居るでしょうか。もし居るなら、はっきりと言いましょう。 あなたは正しい!なにも間違っていない! あなたをあなたたらしめんとしているのは、あなた自身なのです。どうが自信を持ってください。諸法無我という言葉は確かにあります。そして、あなたが誰かの、何かの相対であることも確かです。しかし、あなたのその意識は、あなたのものなのです。 そして、この世界さえもすべて、あなたのものなのです。あ

          自信を持ってください、あなたは正しい。

          李斯と韓非子

          皆さんどうも。今日は秦の始皇帝である政の時代に活躍した二人の知恵者、李斯と韓非子についてお話したいと思います。 李斯は儒家に入り思想を学んだのちに秦の政王(始皇帝)のもとに就き、宰相として政治の補佐を執り行いました。政王はこの李斯を深く信頼し、常に助言を求めたと言います。 しかし後に政王が、韓非子の著書を読んでいたく感心し、この書の著者に会えるのであれば死んでも後悔しない、とまで言わしめました。 韓非子は韓の生まれの貴族であり、生まれつきの吃音症のため兄弟からも馬鹿にさ

          李斯と韓非子

          学習における彼岸と此岸

          皆さんどうも。今日は学習には二種類あるというお話をしたいと思います。 学習には彼岸型と此岸型があります。いきなり勝手な造語を使ってしまいましたが、単純な話、他者が書いた書籍や著作物等、あるいは教師や先達者の口頭説明、説教、授業によって間接的に学習するものが彼岸型学習、自ら実体験して学習するものが此岸型学習となります。 数学で表わすと、公式や計算方法や解き方や、文章問題であればその正しい解釈方法などを学ぶことが彼岸型学習となり、実際に計算してみるのが此岸型学習となります。

          学習における彼岸と此岸