虐待家に5時間滞在してみた【老いはありがたい】
※実家からの帰りの新幹線の中で書いたので、
ちょっと混乱しています。
正月に実家に行った。
両親は私の脳内イメージより、
はるかに普通の人たちだった。
お笑い番組を見て、
夫婦で無邪気に笑い合っていた。
普通の人たちだ。
夫婦仲も良かった。
父親の介護が大変なはずなのに、
母親はあっけらかんと話していた。
その点が不自然(ある意味普通)なだけで、
コミュニケーションが取れないわけじゃなかった。
母親の昔からの決まった繰り言を、
私がわざわざ修正しないだけだった。
介護をしたりされたりして、
かなり穏やかになっていた。
もうほとんど手を出してこない。
リビングにベットが置かれ、
家中に手すりが設置されていた。
介護サービスも利用しているらしい。
リハビリやお風呂などをやってもらっていると。
最近ようやく車を手放したらしい。
それまでは、あちこちに車をぶつけて、
車の片側がボコボコになるくらいだったと。
やはり2年前に見た、
半身麻痺状態で車を運転して、
仕事に行っているというのは、
本当だったようだ。
市に通報してよかった。
アルコール中毒の父親は、
脳の手術をするために禁酒をし始めて、
7ヶ月続いているらしい。
単純に父親が自分で歩行して
買ってこられないから、
禁酒が続いているんだろう。
父親がかわいそうだからと、
母親が大量のノンアルコール飲料を
買ってきたけど、
まずいと嫌がったらしい。
タバコは吸っていた。
父親は認知症も始まっていて、
方向と時間が分からないらしい。
父親も母親も、声が小さくなって、
乱暴な言葉遣いも激減していた。
実家に5時間滞在して、
乱暴な言葉は一言くらいだった。
母親いわく、介護の初期、
父親の脳に血がたまっていたせいで、
介護中に「なんだその言葉遣いは」といって
父親に殴られたらしい。
母親は父親の姉に電話して、
「今殴られたんですけど、
止めてくれませんか」と言って、
電話を代わった。
そうしたら、父親は「分かった」と言って、
それ以来殴らなくなったらしい。
母親いわく、母親が父親に殴られたのは、
それ以外には、昔一度だけとのこと。
私が自閉症の他にADHDも見つかったと言うと、
母親は、
「あんたもこの人(父親)も、
病気のデパートだね」
「遺伝だわね。どうもすみません。
私じゃないと思うけど」
「(遺伝すると)分かっていたら、
他の考えもあった」
「代わってやりたい」と言った。
私は黙っていた。
父親は、脳の手術とすい臓の手術を受けたらしい。
忘れもの外来にも行った。
あとは、隠れ脳腫瘍と、肩が痛いらしい。
歯が半分もなかった。
足が悪い。紙パンツをしているらしい。
ベットと手すりがあるお陰で、
2年前よりは自分で動けるようになっていた。
といっても、トイレとベットの往復だけど。
とにかく思ったより普通の人たちだった。
ドリフを見て笑うんだ。
介護サービスの人が介入したのも
良かったんだと思う。
ただ、いつも通り孤食はさせられた、正月に。
チンし足りない鰻を父親が細く切って小皿に盛り、
いつ買ったか分からない、
しきりに良い肉と呼ぶものを母親が焼いた。
サラダなどの彩りはなかった。
あとは、温め足りない煮物と、
4時間保温された白米が出てきた。
思ったよりは、まずくなかった。思ったよりは。
テーブルを囲んで、私が一人で食べて、
二人は黙って、正月のテレビと私を
チラチラ交互に見ていた。
私が食べ終わると、数分後に、
母親が父親に「先に食べるよ。すみません」
と言って、より質素な食事を始めた。
私と一緒に食べる感覚はないのかなと思ったが、
言えなかった。
母親は、翌日兄たちが来るから泊まっていけ
としきりに言ったが、私は帰った。
もし、兄ファミリーを見たら、
葛藤が生まれそうで、会わずに帰った。
自分の親が思ったより普通だった
という印象を保存したかった。
兄夫婦の子育てを見たら、
色々昔を思い出すだろうと思って、
避けて帰った。
両親は私の頭の中の印象より、
はるかに普通になっていた。
そのイメージを大事にしたい。
もう誰も私を叩かないし、暴言も言わない。
セクハラもしないし、ネグレクトもしない。
そう信じたい。
老いはありがたいものだ。
すっかり弱気になって、
まるで普通の人みたいじゃないか。
帰ろう、大阪に。
お正月をやり直そう。
タラバガニを食べて、オードブルを食べて、
ステーキと、牛すきを食べよう。
お酒を少し飲んで、ジュースを飲んで、
大福とみかんも食べよう。
うん、そうしよう。
普通の人だった。
とにかく普通の人たちだった。
老いたらみんな普通の人。
認知症はありがたい。
さようなら、虐待。
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