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◆読書日記.《ルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタイン『青色本』》

<概要>
「語の意味とは何か」――本書はこの端的な問いかけから始まる。ウィトゲンシュタインは、前期著作『論理哲学論考』の後、その根底に置いた言語観をみずから問い直す転回点を迎える。青い表紙で綴じられていたために『青色本』と名付けられたこの講義録は、その過渡期のドラスティックな思想転回が凝縮した哲学的格闘の記録であり、後期著作『哲学探究』への序章としても読むことのできる極めて重要な著作である。また、ウィトゲンシュタインの主要著作としては珍しく読みくだしが可能な、比較的短い著作でもあり、言語哲学の入門書が最初に読むのに最適な書物とも言えるだろう。

(本書・裏表紙の内容紹介より引用)

<著者略歴>
ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン
1889‐1951年。ウィーンのユダヤ系富豪の家に生まれる。航空工学や数学を学んだ後、フレーゲやラッセルの影響を受けて論理学などを学ぶ。『論理哲学論考』の完成によって哲学問題をすべて解決させたと考え、その後、小学校教師や修道院庭師の職に就いていたが、自己の言語理論への批判的検討を通して新たな転回を遂げ、哲学者としてケンブリッジ大学に復帰した。後年の思想は『哲学探究』へと結実する。

(本書・袖の著者紹介より引用)

<2024年12月20日>


 今年のぼくの研究課題、ルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタインの中期を代表する著作『青色本』読了した。

ルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタイン『青色本』大森荘蔵/訳・ちくま学芸文庫版

 11月は色々と忙しかった事もあって以前の記事から一か月半ほども間が開いてしまったが、本書の分量は一か月半もかかる分量ではない。

 文庫でも160ページ弱という分量であり、また上に書いた<概要>にもある通り「ウィトゲンシュタインの主要著作としては珍しく読みくだしが可能な、比較的短い著作」である。
『論理哲学論考』のように論理学の基礎知識が必要というわけでもない。と言うより、あらゆる専門的な知識や専門用語さえも、この本は使っていない。そのため、予備知識はほとんど必要ないと言えるかもしれない。

 文章についても、「講義録」をもとにしているために難解な表現はほとんど使っておらず、平明な語り口なので、確かに本書のオビにある通り「もっとも読みやすいウィトゲンシュタイン」だと言って差し支えないだろう。

――が、それにも関わらず、本書は曰く言い難い、独特の難解さがある。

 これだけ平明な文章でこれほど難しい問題を扱っているのである。誰もが入っていけそうな入り口をしていながら、中身については一生懸命自分の頭を絞って考えねばならないような内容になっているという――確かに本書は「これぞ哲学」といった感じの、一般的な哲学のイメージの哲学書らしい形態になっていると思う。

 その詳しい内容に入っていく前に、本書の位置づけについて、最初に説明しておこう。本書の解説にある野矢茂樹が的確に説明してるのでその文章を引用する。

『青色本』はケンブリッジにおける講義の記録である。1933年から1934年にかけての学期において、ウィトゲンシュタインの講義に3,40人の学生が集まり、彼は数週間後、その状態で講義を続けることを断念した。そして、選ばれた数名の学生に口述し、そのノートを他の学生たちに渡すというやり方をとるよことにした。その謄写版によるコピーには青い表紙がつけられ、『青色本』と呼ばれるようになった。

本書P.171-172・野矢茂樹「解説 『青色本』の使い方」より引用

 つまり、本書はウィトゲンシュタインの講義を口述筆記させた「講義録」なので、喋り口調に近い形で書かれている。そのために文章がかなり平明なのである。
 また、口述筆記だからという事もあって、内容によって章分けがされているわけではなく、延々とウィトゲンシュタインの語りが続くというスタイルとなっている。
 この形式は、前期思想の『論理哲学論考』とはほとんど真逆と言っていいほどの対称的なスタイルで、このスタイルが『哲学探究』にも引き継がれているのである。

 また『青色本』は、ウィトゲンシュタインの「著作」として出版されたわけでなく、学生間に回覧させられたノートでしかなかったため、本書は『青色本』というよりかは原題の「ザ・ブルー・ノート」と表現したほうがイメージは近いのかもしれない。

 岡田雅勝『人と思想76 ウィトゲンシュタイン』の記述によれば、当時の口述筆記を請け負った学生の一人であったアリス=アンブローズは「彼の思想が如何に革命的であったのかを、特に『青色本』に書かれていることが如何に革命的であったのかをほとんど私たちのなかでは誰も気がついていませんでした(岡田雅勝『人と思想76 ウィトゲンシュタイン』P.99より)」と証言しており、当初学生らは『青色本』の真髄を理解しきれず困惑していたようである。

 しかも、ウィトゲンシュタインの講義スタイルは非常に厳しく、学生が「答え」を知りたいと質問しても優しく答えを教えてくれるタイプではなかった。
 突き放し、学生に対して突き詰めて考えるように厳しく要求し、そういった態度を自分自身にさえ適用して妥協を許さなかったのである。――こんな厳しい講義をしていたからこそ、彼は「その状態(30~40人の学生に対して行うスタイル)で講義を続けることを断念」せざるを得なかったのだろう。

 それにも関わらずこの『青色本』は、イギリスの哲学を変えるほどの影響力を与え、その後イギリス~アメリカの哲学界で20世紀中の主流となる分析哲学に繋がる流れとなるのである。

 第二次大戦後まもなくこの地(※オックスフォード)を訪れたフォン・ライトは、ウィトゲンシュタインの名前が誰の口からも聞かれ、それがしかも『論考』の著者としてではなく、『青色本』や『茶色本』の著者としてであることに驚いている。『哲学探究』の出版以来、その影響は圧倒的なものになった。

飯田隆『ウィトゲンシュタイン 言語の限界』P.221より引用

 ウィトゲンシュタインの思想は普通、大まかに分けて「前期思想」と「後期思想」に分けられるとされている。「前期思想」の代表作が『論理哲学論考』で、「後期思想」の代表作が『哲学探究』である。

 そんな中で『青色本』はどちらに入るかと言えば、ちょうど中間地点にあって「後期思想」の準備段階となる移行期の思想だと言う事ができる。
 本書の冒頭にも「『哲学探究』への先行的研究 青色本・茶色本 として普通知られている」と書かれている。

 ウィトゲンシュタインは前期思想の『論理哲学論考』の冒頭で「哲学の問題を本質的な点において最終的に解決したと考えています」と言っているように、『論考』の後は哲学の仕事を一時期やめてしまっている。

 そのウィトゲンシュタインが再びケンブリッジ大学やオックスフォード大学の哲学教授として戻って再び哲学の仕事に戻ってきたのは、自らの前期思想である『論理哲学論考』の修正が必要と考えての事であった。

『哲学探究』の「序」でも、彼は「十六年前に再び哲学に関り始めて以来、あの最初の本(※『論理哲学論考』の事)に書き記したことの中に私はいくつもの深刻な思い違いを認識せざるを得なかった」と自らの誤りを認めているのである。

 と言う事で後期ウィトゲンシュタイン思想はまず『論理哲学論考』の修正から開始される。その先行的研究の第一弾が『青色本』なのである。

 その『青色本』は、何をテーマにしているかと言えば「言語」であった。
 ウィトゲンシュタインは本書ではまず「語の意味とは何か」という一言から論考を始めているのである。

 彼は前期~後期と一貫して、何より「言語の哲学」を扱う人であったと言えるだろう。

 ウィトゲンシュタインは、本書で様々な言葉の使い方や言語そのものについて検討を加えている。
 このウィトゲンシュタインの言語分析に影響を受けた人々が、後に「分析哲学」の流れを作っていく事となり、その手法の一つとして「言語における論理的な明晰化」だったり、「日常言語の分析」といった方法論が受け継がれていく事となる。

◆◆◆

『青色本』を読んでいると、非常にしばしば奇妙な気分にさせられる。この「奇妙さ」が、一般の人々にとっては独特の難解さに繋がっていると思われる。

 ぼくとしては、本書を読んでいてしばしば「やっぱりウィトゲンシュタインってヘンな人だったんだなぁ」とつくづく思わされた(笑)。
 このウィトゲンシュタインの「ヘンさ」というのは、たぶんぼくにも似た所のある「ヘンさ」なのではないかと思う。「議論の内容」に、ではなく、ウィトゲンシュタイン自身の「感覚」に、妙に共感してしまう所があるのだ。
 普通の人だったら「何でそんな事を疑問に思うの?」と思うようなおかしな部分に対して、非常にねちっこい疑問を持ち、そこを執拗に考え抜いているのである。

 本書の冒頭のあたりに出てくる「ものごとを考える場所は"頭"か?」という議論なども、まさしくこの手のヘンなこだわりの一つであろう。

ものごとを考える場所は"頭"か?」の場合にウィトゲンシュタインが疑問に思っている所とは、ある種の「文法」の奇妙さであり、ソシュールも疑問に付した「言語」というものの際立った特徴の一つであったと言える。
 つまりソシュール的な「言語は、単なる"記号"ではない」という事でもあるだろう。

 われわれ日本人が物事を考える際、その多くは日本語で物事を考えているわけだが、この日本語というのは、物事を客観的に捉える事の出来る「記号的」なものではなく、ソシュール的に言えばある種の「ものの捉え方そのもの」でもある。
 だから、われわれのものの考え方とは「文法」に引きずられている部分があるのだ。

(※ちなみに――といっても非常に重要な点だが『青色本』にてウィトゲンシュタインはしばしば「文法」という言葉を使っている。「文法」について考えよう、とかこの場合は「文法」が間違っている……だとか。この場合注意が必要なのは、ここでの「文法」というのは「主語、述語、修飾語、接続語」……といった意味での「文法」ではなくて、「言語規則」や「言葉の使い方」といった意味をイメージして読んだほうが分かり易い)

 また、われわれは単語の意味を調べようと思うと、多くはその「単語」単体の意味を調べる事となるが、言葉というものは多かれ少なかれ「文脈」の中の使われ方であり、喋っている人のスタンス、思想、TPO、自国語などの様々な要素によって意味を変えてしまうものだ。「固定的な意味などない」と言える。

 ウィトゲンシュタインが自身の『論理哲学論考』の中に見た「思い違い」とは、こういう所にもある。
『論考』の言語観というのは、言語というのが現実を再現するミニチュア模型のように世界を写し取るものだ、というスタンスであった。

 どのようにしてウィトゲンシュタインが、言語が実在の像であるという考えを思いついたのかという話がある。それは、一九一四年の秋、東部戦線でのことだった。ウィトゲンシュタインは、ある自動車事故に関するパリの訴訟についての雑誌記事を読んでいた。その裁判では、事故を再現する模型が提出された。模型はここでは命題の役割を果たしていた。つまり、ある可能な事態の記述として機能していた。この機能を模型が果たしているのは、その各部分(模型の家、模型の車、模型のひと)が、実在の側のもの(家、車、人)と対応することによってである。ウィトゲンシュタインは、この類比を逆向きにすることを思いついた。つまり、命題は、その部分と世界とのあいだの同様な対応によって、模型もしくは像として働くのだと。

飯田隆『ウィトゲンシュタイン 言語の限界』P.89-90、フォン・ライト『ウィトゲンシュタイン(1982年)』の孫引きによる

 だが、日常使われているわれわれの言葉には、そういった厳密な意味での「言葉と現実との一対一の対応性」があるわけではない。
 現実に存在しているものに固定的に名前が張り付けられており、われわれはそれを名指している……というわけではなく、言葉に固定的な内容や定義があるわけでもない。

 ウィトゲンシュタインはまずそういった言語に対する「厳密性」を修正するのである。

 われわれが普段使っている「日常言語」というのは、その場その場で言葉の使い方は柔軟に変化し、またその使用ルールも場によって変化してしまう。

 われわれは「言葉」について、厳密に定義づけしてから使っているわけではない。その場その場でのフィーリングによって使っているのである。

 そして、その曖昧性が限界に達したら、改めてその語の定義を問い直す、という後付けで「定義」が行われるのが常だ。

 ウィトゲンシュタインが言語を「ゲーム」に喩えた理由の一つがそこにある。

 ウィトゲンシュタインは、われわれが普段使っている言語に「定義」が存在すると考えるのは、子供たちがボールで遊び始める際、常に厳密にルールを決めてからでないと遊び始められないと考えているのに等しい、と指摘する。

 ウィトゲンシュタインの言う「言語ゲーム」は、ドイツ語で「シュプラッハ・シュピール」と言うが、この「シュピール」という単語は単純に英語の「game」を意味する言葉ではなく、「ゲーム」「遊び」「劇」といった意味要素の交合体なのだ。

 言語を、この意味での「ゲーム」に喩えるという事は、人間のコミュニケーションも、ある種の「即興劇」的な側面があると指摘しているわけである。

『青色本』では、このように「言語」に関して「厳密な定義が存在する」という考え方を明確に批判しているのである。

 ぼくが思うに、ウィトゲンシュタインは、ソシュールの主張していた「言語の二重性」という特徴に『青色本』の時点で気づいたのではないだろうか。

フェルディナン・ド・ソシュール『一般言語学講義』P.24の挿図より

 つまり、言語と言うのは「(1):頭の中で行われる心的現象」という側面と、「(2):個人間、あるいは大衆でやり取りされる社会的現象」という二側面があるという事である。

 言語でやり取りをするという事は「頭の中にあるアイデアを(1)、発声によって伝達し(2)、相手の心の中に再現させる(1)」というプロセスを踏む。

 このために、常に(1)と(2)の間にギャップが生まれる可能性を秘めているわけである。

 例え社会的現象としての言語(2)が厳密にルール化できるものだとしても、心的現象としての言語(1)までもが厳密なルール化をされるわけではない。
 何故なら、人は言葉を「ルール」として認識しているわけではないからだ。

 その場で、その状況に合わせて、即興で相手とフィーリングを合わせていく「ゲーム」的なやりとりこそが「言語」なのだ。だから、言語を「厳格な規則」と捉えると間違えるわけである。

『論理哲学論考』時代のウィトゲンシュタインの誤謬というのは、そういう所にあった。
 彼は、一般名詞がどんなに厳密に考えても「一対一対応」という形に綺麗に治まらないという事に気づいたのだろう。
 言葉と言うものは、チェスの駒のような固定的な役割でなく、文脈や場によって変幻自在にルールを変化させているのである。

◆◆◆

 私がある人に命じる、「牧場から赤い花を取ってこい」と。私は一つの語を与えただけなのに、彼はどんな花を持ってくればいいのかがどうしてわかるだろうか。

本書P.11より引用

 本書の議論の中にはこのようなものがあるが、これ一つを取っても、ぼくが上に書いたように「普通の人だったら「何でそんな事を疑問に思うの?」と思うようなおかしな部分に対して、非常にねちっこい疑問を持ち、そこを執拗に考え抜いている」というウィトゲンシュタインの性質が伺えるだろう。

 上の議論が結局どうなるかと言えば、「言語の働きにはそれと硬く結びついたある独立した心的過程があり、その過程を通してでなければ言語は機能できないようにみえる。その過程とは、理解し意味するという〔心的〕過程である。我々の言語の諸記号はこれらの心的過程が伴わなければ死んでいるように思われる(P.13)」となるが、これは要するに、上にも説明したソシュール理論――「言語と言うのは「(1):頭の中で行われる心的現象」という側面と、「(2):個人間、あるいは大衆でやり取りされる社会的現象」という二側面がある」――の内の(1)と同じ事を述べているのである。

 そういう「心的過程」――つまりは個人のフィーリングによって言語の理解や意味が決まってくるという状況に、ウィトゲンシュタインのようなガチガチの理論派というのは非常にイヤなものを感じるのではないかと、ぼくとしては思ってしまう。

『論理哲学論考』で、言語の構造として厳密な記号論理学のルールをもって説明したウィトゲンシュタインとしては、日常言語のそういった曖昧性について「個人の感覚でなんとなく理解せよ」と言われているような、イヤな気分がしたのではないかと思うのだ。

 この手の日常語に潜む曖昧性というのは、ウィトゲンシュタインのように頭の良すぎる人が、一般人とコミュニケーションを取る時に感じるコミュニケーション・ギャップの原因ともなっているのではなかろうか。

 ぼくのようなカンの悪い人間としては、金田一春彦の『日本語』に紹介されている次のような小話が思い起こされた。

 太郎が木に登って落ちそうになったので、下の次郎に「おい、尻を押さえろ」と叫んだが、押さえてくれなかったのでドサッと落ち、「何で押さえないんだ!」とどなったら、次郎は一生懸命、自分のお尻を押さえていた。

金田一春彦『日本語』より

 この場合「尻を押さえろ」ではなく、わざわざ「木から落ちないように、俺の尻を下から押さえろ」と詳しく言わなくとも、そんなことは「その場の状況」を見れば、直感的に「共通了解」として分かるだろう?……というのが、日常言語における「曖昧性」であり、日常会話における「直感関係」を表しているのだ。

 金田一春彦の紹介しているこの話は、われわれ"一般人"が共有している日常会話の常識が覆されるからこそ「笑える話」になる。

 だが、もしかしたらウィトゲンシュタインなら、こう言うかもしれない。

「私がある人に命じる、「おい、尻を押さえろ」と。私は一つの語を与えただけなのに、彼はその後どのような行動をとればいいのかどうしてわかるだろうか。」

 こういう「流れ」や、皆が分かっていると思われる「共通了解」の飲み込みが悪く、相手の言わんとしている事をすぐに察する事ができない人というのは、日本では「カンの悪い人」扱いされる。因みに、ぼくは若い頃はかなり「カンの悪い人」扱いされたものだった(笑)。

 そういう「カンの悪い人」であるぼくからしてみれば、ウィトゲンシュタインがこういった些細な問題にねちっこくこだわって、厳密に考え抜かなければ気が済まない、という感覚は分からなくもないのだ。

 非常にエキセントリックな性格をしており、しばしば日常生活の中で周囲と衝突を繰り返していたウィトゲンシュタインにしてみれば、そういう自分と他者との意識のギャップというものは気になって仕方がなかったであろう。

 ウィトゲンシュタインの哲学はしばしば「治療としての哲学」と言われる。

 彼は、『青色本』にかぎらず前期から晩年まで、一貫して哲学を治療として捉えていた。つまり、哲学をなんらかの理論・学説を構築するものとして捉えるのではなく、湧き上がってくる哲学的困惑を解消し、鎮静させることが哲学の仕事と考えていたのである。

本書P.177・野矢茂樹「解説 『青色本』の使い方」より引用

 ウィトゲンシュタインは、日常交わされる何気ない会話の数々に「困惑」があったのだろう。そうでなくては、日常語のこんな些細な問題について、しつこく追求してはいないだろう。

牧場から赤い花を取ってこい」と言われて、何の疑問もなくさっさと牧場から花を摘んでくるタイプの人間であったならば、こんな事に疑問は覚えないのだ。

 微に入り細を穿ってウィトゲンシュタインが説明しようと奮闘する、この日常言語の中に潜む些細な問題に対する、彼のねちっこい疑問に対して、われわれが感じてしまう「困惑」こそ、ウィトゲンシュタインが日常言語に感じている「哲学的困惑」を、われわれのほうが追体験させられているのであろう。


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