古川詩織

思考の外を見上げるように

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思考の外を見上げるように

最近の記事

羽ばたいてないけど戻らない

多分、3ヶ月くらいの私だったら。 この文章が面白かった話を、 あの物語についての見解を、 その音楽を褒め称える言葉を、 あなたに話しかけに行ったんだろうな、多分。 あなたの話が聞きたかった。見解を知りたいし、言葉を届けたいと思えていたのに。 「まあ、いいか」 数行書いたけどやめた、2ヶ月前。 「別に、いいや」 便箋を開いたものの閉じるしかなかった、先月。 「特に、いいわ」 何をすることさえ諦めた、今。 あなたの作ったものたちを身内の色眼鏡をかけて褒め称えてきた。けれど、

    • 「その程度」で生きて行こうね 憐れむ短歌十首

      良いんだよ「この程度」でさ それでいい 君も私も「この程度」のまま 転がって落ちて砕けた欠片達 拾い集めた なおせなくても 生きててと無責任にも言い放つ 酷いことだと知っていた、けど 例えれば磁石のSとSくらい 反発しあう関係だよね 責任を押し付けるなよ あなたって烏滸がましいね 憐憫ひとつ 手の届く場所だけ大事に「あいしてる」 これまでだってこれからだって 大事だと思っていたからやったこと無為にされたね もういいかい? 優しくて素敵な人間らしいからお前如きはい

      • 生きてくれと乞い願う

        蟹座というものは、心の内側にいる人を特別に大切にするものらしい。他の蟹座と話すことがあまり無いが、私にとっては大いにそうだと思う。 外側の人は、どうでもいい。野になれ山になれ。 内側の中でも、真ん中に近づくほど大事にしていると思う。外側の人が大事で無いわけではなく、1人でも大丈夫だろうなあと思う人だ。 今その真ん中にはうさぎと、パートナーと、それから私の大切な友人がいる。 正直に言えばパートナーは、私とは全く違う人間だなあと思う。悪い人間ではもちろん無いが考え方やら生き方

        • 関ジャニ∞に二度目の恋をした。

          2014年7月10日、THE MUSICDAYという歌番組が放送された。そこで10代最後の夏を浪費していた私はとあるアイドルグループに魅了されたのを、多分一生忘れない。 そのユニットはV6。6人のキラキラしたおじさんたちだった。 二次元にしか興味のなかった私のような人間さえ魅了したのだから本当にすごいことだ。 そして数ヶ月しないうちに関ジャニ∞を布教され見事にハマった記憶がある。あるのだが、そちらに関して細かな記憶は正直ない。気がついたらどちらも、大好きになっていった。

          やる気スイッチが入ってくれない

          『ダラダラしたいよ 何もしたくないよ ギラギラ輝く太陽を避けて 涼しい部屋でお茶を淹れて』 さよならポニーテール、『無気力スイッチ』の一説だ。 ただいま絶賛、やる気スイッチがオフになっているのでこの曲が体に馴染む。 昨年末から、趣味へのモチベーションが上がったり下がったりしているのが現状だ。 モチベーションが上がっているのは、二次創作の方だ。 元々夢小説畑原産の私は身内向けにこぢんまりと活動していた。for only youなのだ。たった1人の、誰かのために文字を紡いで

          やる気スイッチが入ってくれない

          時代はクリぼっちを超えたクリ抜歯だ!-クリスマスに親知らずを抜いた記録 追記

          クリスマスに、私は生まれて初めて入院をした。思えば幼少期から骨折やら何やらとは縁遠く、運が良かったとしみじみ思う。 その入院も抜歯のためである。健全とあるといえよう。 コレはただのアラサー女が、親知らずを抜いた時の記録である。 抜歯に至るまでの道筋まず、私がなぜ抜歯をせねばならなくなったかについて触れておこう。 私の上左側の親知らずは21の時に抜歯しており、右側もその時に抜歯したと思い込んでいた。 その年の夏に地元を離れ、そこから6年。一度も歯医者に行っていなかった。愚か

          時代はクリぼっちを超えたクリ抜歯だ!-クリスマスに親知らずを抜いた記録 追記

          不動峰中学校と、私

          はじめにこの記事は、めんどくさいオタク語りである。 一言にまとめることができる。私は、テニスの王子様が好き。それだけの長文だ。 私に取ってテニスの王子様は、青春の1ページ。実際に通った中学よりも長い間、魂がそこにある。 テニプリはいろんなコンテンツへの入り口にもなってくれたし、最愛の声優さんもテニプリで一番好きなキャラクターを演じている方である。 テニプリ無くしてオタクの私無しだ。 そしてテニプリは何度も、私を救ってくれた。つらい時に何度もその展開が何もかもを忘れさせ

          不動峰中学校と、私

          私の大好きな君の話

          大阪に来たのは、先日書いた通りに舞台観劇のため……だけではなく。友人に会いに来たかったのもあった。 私の可愛いひだまり。大切な友人。 出会い自体はインターネットなのだが話していたら居住区が近すぎることが判明した。疫病のこともあってなかなか会わずに居たのだが、なんだかんだでオフ会をしてからというものめちゃくちゃ会っている。もうネット上の友人とかそういう域ではなくマブダチである、私にとっては。 彼女が嬉しそうだと嬉しいし、悲しそうだと悲しい。誰にだってそうでありたいものだが

          私の大好きな君の話

          あの日潰えた夢の先の話

          さて、何から語ろうか。 始まりは、2019年にまで遡る……らしい。アニメ映画「アナスタシア」を大好きな尊敬する先輩がTwitterで嬉しそうにしていた。ついにその作品のミュージカルをやるのだという。 「(先輩の一番好きな俳優)が主演ですか!?」と皆口々に戯けていたっけ。 2020年の3月、仲のいい三人でチケットを取った。みんなで会おうって約束した。待ちに待った公演の7日前に、流行病でそのチケットは無に帰した。 悔しかった。苦しかった。でも、その先輩のほうがずっとずっと悲

          あの日潰えた夢の先の話

          老いることが楽しみになった、秋

          シティーハンターにハマっている。ピッコマで課金して読み倒し、エンジェル・ハートも読んで呻く日々。 とくに香ちゃんが好きだ。幼少期にラムちゃんを見て育ったので昭和ノリを愛しているといっても過言ではない。そんな私に合わないわけが無かったのだ。 なんだかんだ素直になれない二人が歯がゆくも愛おしい。だからこそエンジェルハートは痛ましいけれど、端々に存在する文字通りの『残り香』があまりに優しく存在する。それが辛くていとおしくて仕方ない。 そんな香ちゃんのトレードマークと言えば、ハ

          老いることが楽しみになった、秋

          推し短歌:「貴女」

          青春に先生の声聞かないで追いかけていたあなたの言葉 寒い日に思い起こすはいつだってあの57577の愛 七月にサラダを作る 袋からはみ出すセロリ必須にしてる 手のひらに収まっていたその風に羽ばたかされて今に至った 革命は起こせないままだったけど勇気もらったあの装丁に 嬰児は緑の中で生き生きとまばゆく今も育まれけり 画面越しあっという間に成長す キノコ食べたと問いたくなった 鋭くて美しさなお増しており 言の刃振るう姿見惚れる 夜にだけ咲く薔薇たちのエレジーを集めて

          推し短歌:「貴女」

          聞きたくなんかない

          その言葉に、私は何も言わない。拒絶もしないし止めもしない。腑の底で不快感が蠢いているのを、静かに見ている。いっそ累積して爆発して仕舞えばこの汚い臓腑が開陳されるだけなのかもしれないけれど溜まることさえなく吹き抜ける。それは梅雨の夜に駆け抜ける生臭い風によく似ていた。やめてくれと伝えればきっと皆は従ってしまうのだろう、恐怖政治にも似た強迫観念を押し付けるのはきっと何より簡単だ。そこまで人として落ちぶれたくはないと思える自分は好きなんだ。されどずうっと蠢いている不快感を無視しきれ

          聞きたくなんかない

          「今まで見た中で一番の悪夢は?」

          そんな問いには答えられても、その逆は答えられないと思う。 吉夢ほど砂糖菓子のようなものは無い。夢の残り香を追いかけて反芻するうちにわからなくなるばかり。 比べて悪夢はと言えば嫌なリアリティのせいか尾を引きそれがずうっと記憶にこびりつく。逆だったら良かったのにと思わんでもない。 私はいまだに、初めて見た明確な悪夢をよく覚えている。 小学一年生の時だ。背中に「日本画」と検索して一番最初に出てくるような画風の女性が憑りつく夢。ポイントとしては背後ではなく、背中なのだ。背中一面

          「今まで見た中で一番の悪夢は?」

          お盆がわからない

          正直に言うと、私はいまだに「お盆」がいつなのかさっぱりわかっていない。 子供の頃、というか大学生までは「夏休みの一部」であったので意識していなかった。 実家ではもちろん諸々やっていたが日にちを気にしておらず、ただ『お墓に提灯灯して、親戚が来て、あとお墓で花火する数日間』と認識してしまった。 就職した後はどうかといえば、諸事情が重なり職を転々としたにも関わらずお盆休みがある仕事に一度もついたことがない。言わずもがな今だってそうだ。 運送業の事務をしていた期間が一番長いのだ

          お盆がわからない

          屍の上で生きている

          私の祖父は敗戦時に、満州国から引き揚げてきた1人である。原爆が投下された跡の長崎に帰ってきた。 彼らに住む場所を、となるのは自然な流れだろう。 ちょうど何も無くなった土地があった。誰が所有していたかもわからなくなっていたのだろうか、誰がそれを決めたのだろうか。詳しいことは何もわからない。 事実なのは私の祖父が爆心地近くの土地を与えられたということだ。 長崎で育った子供というのは、物心がつく前から原爆という存在を教え込まれているのではないかと思う。 事実私はそうだった。原爆

          屍の上で生きている

          車窓を満たす海

          思い出す。窓の外にはいつも、水面が揺蕩っていた。 我が故郷は悲しくなるほどに田舎だ。電車の沿線沿いに映る景色は自然が8割と言って過言ではない。シーサイドライナーと名付けられた快速電車は言葉通り、海の直ぐそばを線路が通っていた。 ガタンガタンと揺れる車内の片側は緑、片側は青に埋め尽くされる。 そんな美しい景色を、当然だと思って見ていなかった。十年前の高校生だった私のなんと愚かなことだろう。 いつも登下校の時は本を読んでいたのだ。文字の海に潜り込む方が好きだった。まれに深く

          車窓を満たす海