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生きてくれと乞い願う

蟹座というものは、心の内側にいる人を特別に大切にするものらしい。他の蟹座と話すことがあまり無いが、私にとっては大いにそうだと思う。

外側の人は、どうでもいい。野になれ山になれ。
内側の中でも、真ん中に近づくほど大事にしていると思う。外側の人が大事で無いわけではなく、1人でも大丈夫だろうなあと思う人だ。
今その真ん中にはうさぎと、パートナーと、それから私の大切な友人がいる。

正直に言えばパートナーは、私とは全く違う人間だなあと思う。悪い人間ではもちろん無いが考え方やら生き方がまるで違うので理解しあえないなあと思うこともまま、ある。
だからこそ人生の伴侶にはありがたいのだが、一旦置いておこう。

大切な友人は逆に、とても近しい人間だと感じている。強みも弱みも、どこか近しい。唯一まるで違うのが好きなキャラクターの傾向だろうか。

私は彼女を大好きだ。
多分みんなが彼女を大好きだ。それだけの人を惹きつける魅力のある人だと思う。そしてその魅力は彼女の努力から成り立っているものだ。好ましいと思わない方が無理だろう。

さて、そんな彼女はもともとインターネットで出会ったというのにそれはそれは近くに住んでいた。最寄駅で言えば二駅である。
しかしてお互いに諸々あり今では250kmくらい離れ離れだ。親元を離れて一人暮らしを始めた彼女は、素敵な街で頑張っていた。その努力が結ばれることを祈っていた。いや、今も祈り続けている。
けれど、世界は彼女に少し意地悪だった。

今年は彼女につらいことや苦しいこと、悲しいことがそれはもう沢山降りかかったように思う。正直厄年だったんじゃ無いだろうか。
あげだすとキリがないがものすごく気を揉んだし心配だったのはいうまでもない。

彼女は私に近しい。流行りの16タイプに性格を分けるやつでも多分一緒になるくらいには。だからこそ、諸々があるたびに心配したのは一つ。

彼女が死を選ぶのではないか、と。

死んだって楽にならないと言われたって、今直面している状況から逃げ出す方法がそれしか思いつかないのだから仕方がない。そこまで追い詰めるのは他でもない自分だ。
死んでいなかったのは運が良いだけだ。責任やら約束があるからどうにか生きているだけ。

そんな思考を抱えて生きながらえてきた。死にたいと、死ねばいいのかと漏らすのを何度も聞いた。

そして、ここ数日に彼女に降りかかったソレは、今までで1番そうなる懸念を感じるものだった。

多少なら押し殺す子だ。ほどほどだったら溜め込んでしまう。そこそこになると余裕が無くなっていくのを側から見ても薄々感じる。

今回は、そんな兆候を全部すっ飛ばしていた。本人も自覚しているが、それ以上に危険だと感じるくらい。
「死ぬなら呼んで」
先手を打ったのは昨夜だったか。話自体は無理やり聞き出していたのだが、それにしても度を超えていた。
「すぐに飛んでいく。好きな作品全部見よう」

私は正直に言えば自死を悪いことだと思っていない。何もかもがあった上で引き止められなかった側の責任だとも思う。だから、そのお願いをした。私がその責任を負いたかったからだ。

「お母さんにも言われた」
彼女は笑った。お母さんも同じ懸念を抱いていたのだろうか。扉の前で鉢合わせしそうだなと思ったのは秘密だ。

今日はといえば、それからさらに悪化していたように思う。
いつもだったら、つらくってもなかなか内情を話さない節がある。それが、気心が知れている友人たちしかいないとは言え少し聞かれて話し続けた。怖かった。

その場を解散した後、LINEした。

諸々を聞きながら、自分の意見を伝えた。ずっと、私の思考を押し付けていないかが本当に心配だった。
私が彼女をコントロールしてしまっているのでは?
彼女の人生に関わることなのに、こんなに口を挟んでいいのか。迷いながら言葉を選んだ。

けれど私は、彼女をこんなにつらくさせる物事をどうしたって許せない。甘やかしていると言われようがつらい、くるしいと泣いている友人を谷底に落としたくなんてなかった。

彼女自身も、もちろん自分のことは理解している。このまま行くと辞めるか死ぬかの二択になると言った。だろうなあ、と思った。彼女はそういう子だし、我々はそういう人間なのだ。

死なないでとは言えないでいた私に、彼女は言ってくれた。
「しにたくないよ」
本当に、嬉しかった。
生き延びてしまったと自分を表した彼女がそう思えていることが嬉しい。
生を悪いことではないと少しでも思えていたら嬉しい。
彼女が生きたいと思ってくれたことが嬉しい。

「まだ遊びたいし、みんなを好きだし、みんなを悲しませたくないから死にたくない」

私の思っていた以上に彼女は、生きることが楽しくなってくれていたらしい。方針を決めた後、彼女は見るからに生き生きとしていて、私はにこにこになった。

伝えたかったことは全部伝えた。あなたは悪くないこと、むしろ沢山頑張って偉かったこと、などなどなど。

明日はこうする、という予定を聞いておやすみを交わした。おはようが言えることが嬉しい。ここ数日これが最期になったらという想像が脳裏をよぎっていたせいだ。

一応思考の整理がついたとは言え、ひと段落したわけではない。着地地点が定まったところだ。

おそらく。この件が終わるまで彼女はまだ頑張ってしまうのでは無いか。そしてそれを「こんなことをしたのだから当然果たさないといけないこと」くらいには思うんじゃないかと懸念している。
だからここで褒めておこう。

沢山色々動いたろうに、よく頑張ったってきっと君は思えないから、私がその分褒め称えよう。君は偉いのだ!って。

願わくば。これからも一緒に死にぞこなって、楽しいこと沢山できたら嬉しい。

照れくさいからついでにここに書く。
これからも続いてしまう人生というものの中で、少しでも君が苦しい時間が少なかったら嬉しい。
その上で、あわよくば、この先の人生でも君と仲良くバカなこととか楽しいこととか沢山してたいと思うのだ。

ひどい言葉でこのラブレターを締めよう。
どうかまだ少しだけ、私に飽きるまででも良い。少しでも長く生きながらえてくれ。
君が笑っている姿が好きだ。君が喜んでいる姿を大好きだ。

自分勝手な愛を込めて、大好きな君へ。


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